Friday, October 07, 2005

やっと起きました (05-10-7)

今日は熱も下がり、やっと起きられました。

奥様の腰痛は如何?
せっかく良い住居が見つかったのに、どうか一日も早く良くなられるように祈っています。

今度の住居はシルヴィヤホテルの傍とか、あのホテルで昼食をご馳走になったことを思い出します。
井上氏も朝食を取られたとか、すごく落ち着いたいい感じのホテルでしたし、スタンレイ公園を散歩ならぬ競歩した後の食事は最高かもしれませんね。

でも、奥様の容態が改善されぬことには貴兄の存在感が薄れます。
あれだけきちんと運動をされていたのに、皮肉な病名ですね。
素人は治療法にとやかく言わぬほうが良いと思いますから、医者に任せたら。

今度は水泳も出来るそうですから、腰痛予防に泳ぐのも良いでしょう。
もっとも平泳ぎとバタフライは腰には良くありません。
でも良いところに、安くてよい物件があって本当に良かったですね。

ところで、スイスの話を一つ。

今回は最後にレマン湖畔に2泊しました。

その目的はチャップリンなど有名人がこの湖畔に住んでいたと聞いたからです。
有名なローザンヌは避けてモントルーというところに泊まりました。

バイロンの詩で有名なシヨン城があるところです。
ここは日本人はさすがに少なく、欧米の観光客がいっぱいでした。

シヨン城に入るときにちょっとしたハプニングがありました。

入城券の切符売り場の高校生のアルバイトみたいな女性が「16を超えているか」と訊くのです。
どういう意味だと聞いたら、料金表を持ち出して指差します。
そこには{6~16は子供料金}とありました。
苦笑いして、16以上だと言ったら、今度は家内を指差し同じ質問です。
今度も16以上だというのに、彼女は「Really?」 と不思議そうに聞き返します。
白髪交じりの老夫婦が現地の高校生には、子供並みにしか見えないのです。
特に小柄の家内は若く見えたらしく、16以下に見られたと大喜び。暫くはしゃいでいました。

モントルーから列車かバスで10分ほどのヴヴェイという町にチャップリンの像があります。
レマン湖畔をのんびり歩けば、あの「街の灯」などでおなじみの山高帽子によれよれの服を着た彼の全身像が湖に向かって立っています。
身長は165センチくらいでしょうか、小柄でちょび髭の顔がさびしげに見えました。
小生が165センチで写真を撮るときにほぼ同じ高さでしたから台座の分を引くと160センチくらいかもしれません。

知っている観光客も少ないのか、小生が写真を撮っている間もほとんど人は近づきません。
この裏手に彼の別荘があり、そこで彼はユージン・オニールの娘と結婚してのんびり余生を送っていたわけです。

翌日、小生は家内とサンドウィッチ持参でモルジュという町に出かけました。モントルーから列車で40分くらいでしょうか。

この近くにオードリー・ヘップバーンが住んでいたとの話をJTB出版からでた、田中光子さんの本「スイスとっておきの旅便り」で読んだからです。

パヴィヨン・オードリー・ヘップバーンは13:30~17:30の開館と本にあったので、モルジュの湖畔でサンドウィッチを食べたりして、1時少し前に彼女の住んでいたトロシュナ村行きのバスに乗りました。

バスはやや湖畔を離れ、レマン湖はみえなくなります。

五つ目のバス停の前にパヴィヨンがあるはずなのに、バスを降りても静かー。と見ると彼女の
胸像が立っていました。

「許されざるもの」(1959)に出演したときの肖像で厳しい表情をしており、あの「ローマの休日」
(1953)の輝くような王女の顔とは全く異なります。
何故こんな顔の胸像を作ったのか不思議に思いました。

その胸像のさきにパヴィヨンらしき建物があり近寄るとなんと「CLOSED」の文字が。
閉館され、何時かどこかで再館するかも、の説明文もなく。
ここで彼女が取った二つのオスカー像を見たくてここまで来たのにがっかりしました。

気を取り直し、そこから道沿いに100メーターほど下ると右手に鉄柵が見え、そこが墓地です。

そうです、ヘップバーンはトロシュナ村の墓地にひっそりと眠っているのです。

墓地の広さも、墓石の大きさも村民のものと同じ、御影石の十字架に{AUDREY HEPBURN 1929~1993}とだけ書かれた質素というか、ありきたりのお墓です。

ここにあのローマ休日の王女役で一世を風靡した彼女が、眠っているのです。
あの輝くような美貌とエレガントな物腰で、世界中の男性のみならず、女性までもがあこがれた彼女は全く一人の村民として1964年以来の30年をこの静かな村で暮らしていたのです。

1964年というとあの「マイフェアレデイ」が公開された年ですから、ベルギー生まれの彼女は多忙の中、こっそりとこのレマン湖畔の村を探していたことになります。

墓地の脇の道を下り、車の多い県道は地下の横断歩道をくぐると村の中心部への道になります。
右手に彼女が二度目の結婚式とそして彼女自身の葬式が執り行われた小さな教会があります。

村の中心部は役場と郵便局のある二階建ての建物があるくらいで、商店一つありません。
農産物の市を土曜日の9時から12時まで開くとの張り紙があるだけ。
人どうりもほとんどなく、全く田舎の村そのものです。

十字路を右に折れ、県道に出る左角の家が「ラ・ぺジーブル」の館、ヘップバーンが住んでいた家です。
少し茶色がかった家は村のほかの家と同じ作りで、ただ少し広いかな、という感じです。
今は他の人が住んでおり、もちろん中を見ることは出来ません。

入り口の門が正面、左手と庭の方と3箇所あるのですが、その庭に近い門のある道に日本と同じ[駐停車禁止]の丸に×の標識板が立っていました。

ユニセフの大使をしていた頃は、ここにもたくさんの来客があったのでしょう。
その頃を偲ばせるものは、この場違いのような交通標識だけでした。
村の掲示板にあった歴史を書いた文中にも、墓地の入り口にも、住んでいた家の前にも「AUDREY HEPBURN」の文字はどこにも出てきません。

村民の一人として、プライバシィを尊重し、静かに暮らしたいという彼女の願いは、完全に叶えられたのです。

スイス政府観光局に20年以上勤務していたという本の著者の田中さんさえ、スイスにヘプバーンが住んでいたことさえ、知らなかったというのです。

彼女の家の前は県道でかなり車の量も多いのですが、道を渡ると直ぐ牛がいる放牧場、その先は麦畑とりんごとぶどうの畑が続きます。

田舎の自然な風景がなだらかな丘の向こうまで続いています。

この自然を愛でながら彼女は30年の歳月をここで過ごしたのです。

暫くこの景色を見ていると、あの華やかな女優生活とこの穏やかな田舎の村がマッチしてくるのが
不思議でした。

いいところに住んでいましたね、とそういいたくなるような村でした。

そこで、気になることを一つ。

この村に入って直ぐ左手に「Residence Audrey」というマンションが建設されているのです。
4階か5階か判りませんが、恐らくスイスの悪徳不動産業者が彼女が住んでいたことをキャッチフレーズにこの建設を始めたのでしょう。
これが出来たら、村の外観もそして静かな環境も一変します。

今、スイスはバブル崩壊の日本と似てきて、物価高と不動産ブーム、レマン湖畔にはマンションが
林立し、建築中です。

AUDREY HEPBURNの住んでいたところ、静かな村、お墓が見れるのは、せいぜい今年中かも。
トロシュナ村の良さが失われないことを祈ります。

今日は長くなりました、そろそろ仕事に戻ります。
なかなかメールが打てないかもしれませんが、ご了承のほど。
奥様の全快を祈るや、切。

(05-10-7)         

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