Saturday, March 22, 2008

再び十一献金の話題で恐縮ですが (2008/03/22)[s]

私は以前にも申し上げたように、教会には顔を出しますが、半煮えのクリスチャンです。 英語ではチャーチアテンディング・ノンビリーバーと言います。

イギリスの偉大な性格俳優(名前は失念しましたが)いわく、「神を否定する人は、バラの花の香を否定するようなものだだ」と言いましたが、私もかなり重症の蓄膿症患者です。

浪漫派の音楽を聴いていて、十代の少年ショパンが、ポーランドの音楽に縁の薄い田舎で、バッハなどの楽聖やウィーンの伝統とは無関係に名曲を生み出したと聞くと、神の介在がなければそんなことができるだろうかと思ってしまいます。

私は、夢の中で天使を見たこともなく、神の声を聴いたこともありませんが、だからといって神の存在を否定する気にはなれません。

ただ一つ、十一献金だけは、神がその行為を認めてくれる証しではないかと思います。 私どもは所得の一割を教会に献金していますが、教会に縁の無い人は、貧しい人を助けることでやはり神はその行いを認めることでしょう。 

私どもは、一割は教会に、それ以外の寄付や援助は、その枠外から行っていますが、こちらでは、そういう寄付は免税の対象となります。 税制で寄付が奨励されているのはいいことだと思います。

十一献金は、ユダヤ教徒もモルモン教とも実践していることです。 その上に安息日も守ります。 クリスチャンの家庭では、日曜日に子供の宿題をさせない親もいます。 この安息日に勉強をしないということで、昔の札幌農学校ではクリスチャンになることを拒んだ学生もいたそうですが、内村鑑三によると、成績上位の学生は全部クリスチャンだったそうです。 日本の月月火水木金金は神の意向に反することだったのでしょうか。 私はその逆で、毎日が日曜日で、これも神の教えに逆らっているのでしょう。

十一献金をしてもミリオネアにはなりません。 それでもいつも必要な額だけがタイミングに合わせてピッタリ与えられるから不思議です。 住いの修理に思わぬ出費が必要になっても、銀行の口座にはそれだけの資金がちゃんとありました。

聖書のイエスの話には、お金のテーマが多いそうです。 何十箇所あるのか忘れましたが、驚くほどの数字です。 

教会によっては、牧師が献金の話題を取り上げたがらない所もあります。 話しにくいのでしょう。 しかし献金の少ない教会は宣教にも力が発揮されず、ビンゴホールやマンションに変身して衰退の傾向にあるようです。

それではまた。 どうかお元気で。

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