私のCは? (05-5-25)
そうですか 村田さんでCですか!信じられません
小生もあのSP版を聞くため 一度も休まず<他はさぼったということ>出ましたが いい先生と思っていました
きっと振られた彼女の姓が重松だったのではないですか
そうした下らぬ理由しか考えられません
小生も音楽大好き人間で 姉は当時 上野の師範科でピアノを習っており アルバイトで「シャンブル ノネット」というアンサンブルのメンバーになっていました
芸大を出たあと NHKで「えり子とともに」というラジオドラマの番組にこのアンサンブルがでたので 番組の中でえり子が弾くピアノは姉が弾いていました
そんな関係で芥川也寸志さんや俳優の小沢栄太郎さんなどがよく家に遊びに来ていました
ところで、「オーケストラの少女」ビデオを見られましたか?
貴兄に触発されて 小生も押入れの隅からビデオを引っ張り出し 昨夜見ました
ディアナ ダービンがカナダ出身なので、それで見ようとされたのでしょうか
彼女もどこかの大使をされていたように覚えていますが、まだ健在でしょう
今の日本でも小沢征爾あたりを使えば出来そうな話ですが当時ストコフスキーを使う発想はかなり、ユニークだったと思います 有名な曲をうまく使っていました
原題の「One hundred men and a girl」をオーケストラの少女にしたのは、単純ですが内容がわかる題名ですね。
この頃は、7月14日が「巴里祭」になり、PEPE LE MOKO<pepeはアクサンテギュがeの上にありますが このPCでは書けあません>が「望郷」となり、恐らく東和にいた筈見恒夫さんあたりの命名と思いますが、良い日本題名がついていました。
近頃はスターウオーズとか原題そのままの題名が多いですが良い名付け親がいなくなったのでしょうか
交響楽団が赤字なのは今も変わらず 最近も楽団が潰れる話を耳にします 戦後モチ代稼ぎにベートーベンの第9を演奏することを思いついた人がいて そのため年末になると 今でも第9のラッシュになりますが これに替わるアイディアを考える必要がありそうですね
小生N響の会員だったことがあり、かなり聞きに行きましたが、いろいろ珍事もありました
有名な太鼓の小森さんが演奏中、あのスティックというのでしょうか棒の先についている丸い団子状のものが 外れて飛んだのです しかも2回も 1回目は直ぐ横の予備のものを取って何事も無いようにしましたが、2回目はさすがに慌てて残った無事な二本を取り上げて演奏を続けましたが 会場は笑いがあちこちに残りました
これと正反対だったのは、ハイフェッツか アイザック・スターンだったか忘れましたが、演奏中ヴァイオリンの弦が切れたのです。しかもやはり2回。
1回目は残った弦で音程が狂うことも無くそのまま演奏を続けみんなその凄さに聞きほれていたとき、またビーンという音がして2本目の弦が切れたのです 一瞬どうするかと思ったら最前列のコンサートマスターのヴァイオリンをひったくるように取って、演奏を続けたのです しかもいい音をだしてーおそらくストラデュヴァリあたりのヴァイオリンから 無名のものに変えたのに その音量は素晴らしいものでした
演奏後の拍手も凄いものでしたが、あとでN響関係の仕事をしている義兄に話を聞いたらコンサートマスターが「こんなヴァイオリンであんな凄い音が出るとは思わなかった 筆を選ばずというが 自分の腕がいかに劣るかを身に沁みて感じさせてくれた」と 言っていたそうです。
村田さんの話がいろいろ飛んで長い話になりました。
小生のCは法学でした そして卒業後労務部に入ったお陰で一番苦手なはずの法律、中でも労働三法を勉強させられ、今もそれでコンサルの収入が得られているわけです。大学の成績が如何ににあてにならないかの見本です。小生がノートをたくさん貸してあげた奥井さんが 卒業時に成績トップで表彰されたときは、こりゃなんじゃ!と思いました。
永戸さんのフランス語は小生、高校時代に第二外国語で少し勉強していたため、授業免除、試験だけ受けてAをもらえ、2年に進むときに白井先生と二人がかりで 仏文へこいと口説かれましたが 語学で飯を食うことは全く考えていなかったので、丁重にお断りしました。そのとき初めての大学ストを指導しのちに退学させられた浅利慶太が 何の用か来ていて 浅利のストに猛烈に反発していた小生は もし浅利が仏文に行くのなら絶対に仏文お断りと思ったのを覚えています。
あの日吉のかまぼこ兵舎は暑かったけど、いい思い出ですね
三田で新聞研究室に入ってから、新聞の編集の仕事が面白くなり、かなり授業をさぼりました。慶早戦で新聞を売っては、試合のあと笠井・小野君あたりと飲みに行きました。
真面目だった貴兄に比べると、ひどいものです。
今日は貴兄の便りに刺激されて、昔話を長々と書き連ねました。
では、また。
小生もあのSP版を聞くため 一度も休まず<他はさぼったということ>出ましたが いい先生と思っていました
きっと振られた彼女の姓が重松だったのではないですか
そうした下らぬ理由しか考えられません
小生も音楽大好き人間で 姉は当時 上野の師範科でピアノを習っており アルバイトで「シャンブル ノネット」というアンサンブルのメンバーになっていました
芸大を出たあと NHKで「えり子とともに」というラジオドラマの番組にこのアンサンブルがでたので 番組の中でえり子が弾くピアノは姉が弾いていました
そんな関係で芥川也寸志さんや俳優の小沢栄太郎さんなどがよく家に遊びに来ていました
ところで、「オーケストラの少女」ビデオを見られましたか?
貴兄に触発されて 小生も押入れの隅からビデオを引っ張り出し 昨夜見ました
ディアナ ダービンがカナダ出身なので、それで見ようとされたのでしょうか
彼女もどこかの大使をされていたように覚えていますが、まだ健在でしょう
今の日本でも小沢征爾あたりを使えば出来そうな話ですが当時ストコフスキーを使う発想はかなり、ユニークだったと思います 有名な曲をうまく使っていました
原題の「One hundred men and a girl」をオーケストラの少女にしたのは、単純ですが内容がわかる題名ですね。
この頃は、7月14日が「巴里祭」になり、PEPE LE MOKO<pepeはアクサンテギュがeの上にありますが このPCでは書けあません>が「望郷」となり、恐らく東和にいた筈見恒夫さんあたりの命名と思いますが、良い日本題名がついていました。
近頃はスターウオーズとか原題そのままの題名が多いですが良い名付け親がいなくなったのでしょうか
交響楽団が赤字なのは今も変わらず 最近も楽団が潰れる話を耳にします 戦後モチ代稼ぎにベートーベンの第9を演奏することを思いついた人がいて そのため年末になると 今でも第9のラッシュになりますが これに替わるアイディアを考える必要がありそうですね
小生N響の会員だったことがあり、かなり聞きに行きましたが、いろいろ珍事もありました
有名な太鼓の小森さんが演奏中、あのスティックというのでしょうか棒の先についている丸い団子状のものが 外れて飛んだのです しかも2回も 1回目は直ぐ横の予備のものを取って何事も無いようにしましたが、2回目はさすがに慌てて残った無事な二本を取り上げて演奏を続けましたが 会場は笑いがあちこちに残りました
これと正反対だったのは、ハイフェッツか アイザック・スターンだったか忘れましたが、演奏中ヴァイオリンの弦が切れたのです。しかもやはり2回。
1回目は残った弦で音程が狂うことも無くそのまま演奏を続けみんなその凄さに聞きほれていたとき、またビーンという音がして2本目の弦が切れたのです 一瞬どうするかと思ったら最前列のコンサートマスターのヴァイオリンをひったくるように取って、演奏を続けたのです しかもいい音をだしてーおそらくストラデュヴァリあたりのヴァイオリンから 無名のものに変えたのに その音量は素晴らしいものでした
演奏後の拍手も凄いものでしたが、あとでN響関係の仕事をしている義兄に話を聞いたらコンサートマスターが「こんなヴァイオリンであんな凄い音が出るとは思わなかった 筆を選ばずというが 自分の腕がいかに劣るかを身に沁みて感じさせてくれた」と 言っていたそうです。
村田さんの話がいろいろ飛んで長い話になりました。
小生のCは法学でした そして卒業後労務部に入ったお陰で一番苦手なはずの法律、中でも労働三法を勉強させられ、今もそれでコンサルの収入が得られているわけです。大学の成績が如何ににあてにならないかの見本です。小生がノートをたくさん貸してあげた奥井さんが 卒業時に成績トップで表彰されたときは、こりゃなんじゃ!と思いました。
永戸さんのフランス語は小生、高校時代に第二外国語で少し勉強していたため、授業免除、試験だけ受けてAをもらえ、2年に進むときに白井先生と二人がかりで 仏文へこいと口説かれましたが 語学で飯を食うことは全く考えていなかったので、丁重にお断りしました。そのとき初めての大学ストを指導しのちに退学させられた浅利慶太が 何の用か来ていて 浅利のストに猛烈に反発していた小生は もし浅利が仏文に行くのなら絶対に仏文お断りと思ったのを覚えています。
あの日吉のかまぼこ兵舎は暑かったけど、いい思い出ですね
三田で新聞研究室に入ってから、新聞の編集の仕事が面白くなり、かなり授業をさぼりました。慶早戦で新聞を売っては、試合のあと笠井・小野君あたりと飲みに行きました。
真面目だった貴兄に比べると、ひどいものです。
今日は貴兄の便りに刺激されて、昔話を長々と書き連ねました。
では、また。

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