奥様いかが?(05-10-14)
カナダのパキスタン救援金、一人当たりで判り易くカナダの多いのが良く判りました。
総額では判りにくいことも理解でき、貴兄の分析方法の良さに感心しました。
小生、相変わらずバタバタの日々です。
今日は井上氏への礼状を出します。
貴兄の眼が奥様の腰痛同様に鍼で良くなるよう願っています。
井上 出様
小生の拙作をお読みいただき、しかも書評をお寄せいただき、感謝しております。
殊に、小生の帰国に合わせてFAXをいただき、その気配りに厚く御礼申し上げます。
小生作家になるつもりは全くありませんでしたが 放送は終わると消えてしまいますが、本は残るのでつい2冊も出してしまいました。
お読みいただいただけで、感謝感激です。
貴殿のエッセイのように良い文章が書ければもっといいのですが、この程度の文章しか書けません。
スイスの話、チャップリン(1889~1977)は1952年から、オードリーは1964年からスイスに住んでいますから交流があったかとも思われますが、共演作品も無く裏付けは取れません。
小生自身は、交流は無かったとおもっているのです。
というのは、チャップリンは1952年「ライムライト」完成後ロンドンへ船で行く途中、ハリウッドの赤狩りで召喚状が届いたため帰米せず、途中からスイスへ向かい、そのまま住み着いて25年間老衰で亡くなるまでヴヴェイにいたのです。
1964年スイスに行ったヘップバーンはまだ売れてる最中で、赤のレッテルを貼られたチャップリンに会いに行くのは勇気がいることだったと思われるからです。
もっとも、70年代に入ってハリウッドでも彼を表彰したり、イギリスがサーの称号を授けたりしましたから、そのお祝いに訪問した可能性はあります。
ただ、両者ともみんなの目線の届かないところに居たかったようですから、小生は交流は無かったと思うのです。
ウイリアム・ホールデンもトロシュナ村の近くに住んでいたようですが、彼は税金対策でスイスに移住したようなので恐らくこちらも交流はなかったと思います。
皆がスイスに憧れ、移住する人も多いのに今回のスイス滞在は決して気分はよくありませんでした。
そのことは、別に書きます。
いつか井上さんとお会いできることと思いますが取りあえず紙面でお礼を申し上げます。
(05-10-14)
阿部 基治
総額では判りにくいことも理解でき、貴兄の分析方法の良さに感心しました。
小生、相変わらずバタバタの日々です。
今日は井上氏への礼状を出します。
貴兄の眼が奥様の腰痛同様に鍼で良くなるよう願っています。
井上 出様
小生の拙作をお読みいただき、しかも書評をお寄せいただき、感謝しております。
殊に、小生の帰国に合わせてFAXをいただき、その気配りに厚く御礼申し上げます。
小生作家になるつもりは全くありませんでしたが 放送は終わると消えてしまいますが、本は残るのでつい2冊も出してしまいました。
お読みいただいただけで、感謝感激です。
貴殿のエッセイのように良い文章が書ければもっといいのですが、この程度の文章しか書けません。
スイスの話、チャップリン(1889~1977)は1952年から、オードリーは1964年からスイスに住んでいますから交流があったかとも思われますが、共演作品も無く裏付けは取れません。
小生自身は、交流は無かったとおもっているのです。
というのは、チャップリンは1952年「ライムライト」完成後ロンドンへ船で行く途中、ハリウッドの赤狩りで召喚状が届いたため帰米せず、途中からスイスへ向かい、そのまま住み着いて25年間老衰で亡くなるまでヴヴェイにいたのです。
1964年スイスに行ったヘップバーンはまだ売れてる最中で、赤のレッテルを貼られたチャップリンに会いに行くのは勇気がいることだったと思われるからです。
もっとも、70年代に入ってハリウッドでも彼を表彰したり、イギリスがサーの称号を授けたりしましたから、そのお祝いに訪問した可能性はあります。
ただ、両者ともみんなの目線の届かないところに居たかったようですから、小生は交流は無かったと思うのです。
ウイリアム・ホールデンもトロシュナ村の近くに住んでいたようですが、彼は税金対策でスイスに移住したようなので恐らくこちらも交流はなかったと思います。
皆がスイスに憧れ、移住する人も多いのに今回のスイス滞在は決して気分はよくありませんでした。
そのことは、別に書きます。
いつか井上さんとお会いできることと思いますが取りあえず紙面でお礼を申し上げます。
(05-10-14)
阿部 基治

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