Re:年かな?(06-02-17)[s]
年かな? その問は、私自身に向かって発せられるものでもあります。 私の場合は、旅をしたいというアンビションがなくなってしまいました。 どこそこのレストランが美味いと聞いても、足を向ける気持が風前の蝋燭の火のように怪しくなってしまいました。 昔は、活字なら、電話帳でも喜んで開いたのに、その興味もなくなってしまったのも寂しいことです。 やはり年かな?
旅は、テレビの「トラベル・ヨーロッパ」を、アームチェアで眺めて満足する。 「ぶらり途中下車の旅」も、タレントさんが、「美味い、まろやか、奥が深い」などと、目を細めて板前さんを褒め上げるのを聞いていて、「そうでしょうね」と羨ましくは思うけれども、美味求真の旅に出かけたいという気はさらさら無くなった自分に気づくのも、考えてみれば寂しいものですね。 美人を見かけることがあっても、別な惑星の生物という感慨しかおこらない。 これも年でしょうね。
そういう自分に、今一番のカンフル注射が、貴兄からのメールです。 貴兄も心身ともにオーバーワークで一息つきたいこともあるでしょうが、そうした中をおして書いてくださったお便りは、こちらも心に沁みます。
放送作家の仕事というのは、そんなに苛酷なものだったのですか。 本当に送りっ放しなんですかねえ。 プロデューサーとかディレクターも、批判したり注文をつけたりするけれども、自分でそれ以上の作品をクリエートできるのでしょうかね。 出版社の編集者の中には、「原稿を読んでもらいたかったら菓子折りの一つでも下げてこい」という人もいるとか何かの本で読みましたが、カナダ大使館の日本人職員の中には、移住希望者が持ってきた菓子折りを机の引き出しに入れてみて、「入らんじゃないか」と一喝。 そこであらためて封筒を届けて、カナダ入国を果したという昔話を聞いたことがあります。 東京のカナダ大使館の日本人職員といえば、脱税が有名でしたからね。 カナダの新聞にも報道されていました。
日本でキリスト教が根付かないのは、日本人に「原罪」という意識がないからだと聞いたことがあります。 そういえば、我々日本人は一億総正直という神話が行きわたっていますからね。 おかげで、カナダでも、韓国の食料品店では、日本人の小切手なら受け取るが、「チャイニーズはお断り」と、差をつけます。 私なんか嘘つきなんですけどね。
旅は、テレビの「トラベル・ヨーロッパ」を、アームチェアで眺めて満足する。 「ぶらり途中下車の旅」も、タレントさんが、「美味い、まろやか、奥が深い」などと、目を細めて板前さんを褒め上げるのを聞いていて、「そうでしょうね」と羨ましくは思うけれども、美味求真の旅に出かけたいという気はさらさら無くなった自分に気づくのも、考えてみれば寂しいものですね。 美人を見かけることがあっても、別な惑星の生物という感慨しかおこらない。 これも年でしょうね。
そういう自分に、今一番のカンフル注射が、貴兄からのメールです。 貴兄も心身ともにオーバーワークで一息つきたいこともあるでしょうが、そうした中をおして書いてくださったお便りは、こちらも心に沁みます。
放送作家の仕事というのは、そんなに苛酷なものだったのですか。 本当に送りっ放しなんですかねえ。 プロデューサーとかディレクターも、批判したり注文をつけたりするけれども、自分でそれ以上の作品をクリエートできるのでしょうかね。 出版社の編集者の中には、「原稿を読んでもらいたかったら菓子折りの一つでも下げてこい」という人もいるとか何かの本で読みましたが、カナダ大使館の日本人職員の中には、移住希望者が持ってきた菓子折りを机の引き出しに入れてみて、「入らんじゃないか」と一喝。 そこであらためて封筒を届けて、カナダ入国を果したという昔話を聞いたことがあります。 東京のカナダ大使館の日本人職員といえば、脱税が有名でしたからね。 カナダの新聞にも報道されていました。
日本でキリスト教が根付かないのは、日本人に「原罪」という意識がないからだと聞いたことがあります。 そういえば、我々日本人は一億総正直という神話が行きわたっていますからね。 おかげで、カナダでも、韓国の食料品店では、日本人の小切手なら受け取るが、「チャイニーズはお断り」と、差をつけます。 私なんか嘘つきなんですけどね。

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