アウシュヴィッツとカナダ (2006/10/04)[o]
昨日、井上氏とお会いしました。
まだ、熱が引かなかったのですが、彼のスケジュールが混んでいるようなので、無理して出かけ、結局3時間話し込みました。
話題が豊富でしかもアウシュヴィッツの話もしたので、井上氏も床屋の予約を忘れて話し込んでしまった次第。
ところで、アウシュヴィッツとカナダは何の関係も無いように思えるでしょうが、実は、大きな関係があることを昨日、井上氏にも話しました。
ここまでは序文、「このごろ」ではカットしてください。
アウシュヴィッツとカナダは 一見何にも関係が無いように思われるでしょうが、凄いことに アウシュヴィッツの中に 信じられないでしょうが、「カナダ」と呼ばれていたところがあったのです。
アウシュヴィッツに送りこまれた人達の 財産、金品を SS(ナチス親衛隊)が全部、取り上げたことは 前に書きましたが、その没収財産の 一時保管倉庫が 「カナダ」と呼ばれていたのです。
なぜ、この倉庫が 「カナダ」と呼ばれていたかというと、裕福な国、ということだったそうです。
SSも「カナダ」と呼ぶようになったということなので、最初は 収容者がそう呼ぶようになった と思われます。
1945年1月20日と 26日に 大量殺人の証拠隠滅のため、SSは この倉庫(アウシュヴィッツ第1とビルケナウの2ヶ所にあった)に放火しましたが、全部はとても燃やしきれませんでした。
残された物は、ソ連の調査団の報告だと以下のとうりです。
男性用衣服 24万6820着
女性用 83万6225着
子供用 11万5063着
男性用靴 3万8000足(ただし靴底なし)
女性用 5525足
眼鏡 1万2921個
かばん 3162個
ブラシ 4万9865個
その他、ナイフ、スプーン、はさみ、鏡、洗濯石鹸、布団絨毯など物凄い数です。
焼けたものを加えたら、想像を絶する数になると思われます。
これが「カナダ」に一時保管されていたもので、もちろんここから発送されていったものは別で、資料でも1944年の年末の37日間に 116本の貨物列車が 動員された記録が残っています。
全部でどれだけあったか、全く想像できません。
カナダが1940年代でも、裕福だと思われていたことに、カナダの人々は 複雑な気持ちを持っておられるのではないでしょうか。
なお、アウシュヴィッツのことを知るには、素晴らしい本があります。
中谷 剛 著 「アウシュヴィッツ博物館案内」
凱風社 2005年5月出版
昨年、アウシュヴィッツを訪れた日本人は 約7千人、韓国の3分の1、世界では20番目に近い数字です。
地元ポーランドを除くと、アメリカ、ドイツ、イタリヤの順です。
どうしてもアウシュヴィッツまで行かれない方は この本の一読を薦めます。
ポーランドの歴史から、ユダヤ民(中谷氏はユダヤ人という人種は無いのでこう呼んでいます)の歴史、収容者の証言、教科書問題など 幅広く書かれていますので、大変、勉強になります。
最近の銃乱射を初め、いろいろな事件を見ていると、このアウシュヴィッツを作り、ホロ-コーストを実行した人間の残虐性は 60年以上経っても ちっとも変っていない気がします。
残念ですが、人間は この程度の動物なのでしょうか?
まだ、熱が引かなかったのですが、彼のスケジュールが混んでいるようなので、無理して出かけ、結局3時間話し込みました。
話題が豊富でしかもアウシュヴィッツの話もしたので、井上氏も床屋の予約を忘れて話し込んでしまった次第。
ところで、アウシュヴィッツとカナダは何の関係も無いように思えるでしょうが、実は、大きな関係があることを昨日、井上氏にも話しました。
ここまでは序文、「このごろ」ではカットしてください。
アウシュヴィッツとカナダは 一見何にも関係が無いように思われるでしょうが、凄いことに アウシュヴィッツの中に 信じられないでしょうが、「カナダ」と呼ばれていたところがあったのです。
アウシュヴィッツに送りこまれた人達の 財産、金品を SS(ナチス親衛隊)が全部、取り上げたことは 前に書きましたが、その没収財産の 一時保管倉庫が 「カナダ」と呼ばれていたのです。
なぜ、この倉庫が 「カナダ」と呼ばれていたかというと、裕福な国、ということだったそうです。
SSも「カナダ」と呼ぶようになったということなので、最初は 収容者がそう呼ぶようになった と思われます。
1945年1月20日と 26日に 大量殺人の証拠隠滅のため、SSは この倉庫(アウシュヴィッツ第1とビルケナウの2ヶ所にあった)に放火しましたが、全部はとても燃やしきれませんでした。
残された物は、ソ連の調査団の報告だと以下のとうりです。
男性用衣服 24万6820着
女性用 83万6225着
子供用 11万5063着
男性用靴 3万8000足(ただし靴底なし)
女性用 5525足
眼鏡 1万2921個
かばん 3162個
ブラシ 4万9865個
その他、ナイフ、スプーン、はさみ、鏡、洗濯石鹸、布団絨毯など物凄い数です。
焼けたものを加えたら、想像を絶する数になると思われます。
これが「カナダ」に一時保管されていたもので、もちろんここから発送されていったものは別で、資料でも1944年の年末の37日間に 116本の貨物列車が 動員された記録が残っています。
全部でどれだけあったか、全く想像できません。
カナダが1940年代でも、裕福だと思われていたことに、カナダの人々は 複雑な気持ちを持っておられるのではないでしょうか。
なお、アウシュヴィッツのことを知るには、素晴らしい本があります。
中谷 剛 著 「アウシュヴィッツ博物館案内」
凱風社 2005年5月出版
昨年、アウシュヴィッツを訪れた日本人は 約7千人、韓国の3分の1、世界では20番目に近い数字です。
地元ポーランドを除くと、アメリカ、ドイツ、イタリヤの順です。
どうしてもアウシュヴィッツまで行かれない方は この本の一読を薦めます。
ポーランドの歴史から、ユダヤ民(中谷氏はユダヤ人という人種は無いのでこう呼んでいます)の歴史、収容者の証言、教科書問題など 幅広く書かれていますので、大変、勉強になります。
最近の銃乱射を初め、いろいろな事件を見ていると、このアウシュヴィッツを作り、ホロ-コーストを実行した人間の残虐性は 60年以上経っても ちっとも変っていない気がします。
残念ですが、人間は この程度の動物なのでしょうか?

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