Friday, November 09, 2007

早速のご返事有難う (2007/11/08)[o]

クイック・リスポンスでメールをいただき、恐縮。 あのメールは貴兄に書けば自分の記録にもなると、少し余計なことを書き連ねました。 今日も、その続きです。

ハワイといえばいろいろな本を読んでいますが、一つは1941年にスパイとしてハワイの大使館に送り込まれた吉川という海兵卒の海軍大尉の話です。

彼は真珠湾の米艦隊の動向を調べ、大使館から毎日のように軍艦の種類、隻数、停泊位置などを報告し、それは12月7日の寸前まで続きました。

従って、南雲艦隊は空母が真珠湾にいないことは知っていたわけです。

あの「ハワイ・マレー沖海戦」の映画でもいないことを知っていたようなセリフがあったと思いましたが、あれは偵察機の報告になっていたはずです。 実際に艦に搭載されていた水上偵察機は飛んでいます。

この吉川大尉の苦心の報告も、彼自身が大使館員として入国したこともアメリカは暗号解読で全部知っていた、のが事実です。

なんとも情けない話で、吉川に尾行がつき、電話は全部盗聴されていたというのですから、情けないを通り越して哀れになります。

暗号解読は1940年にドイツ駐在のの大島大使から、ドイツの情報として日本の外交暗号が解読されているとの話が入っているのに、日本では全く無視したのです。

日本の暗号は全く解読不可能と言われるものだったので、安心しきっていたようですが、戦後、この暗号を作った当人が米軍に「どうして、あの暗号を解読できたのだ?」と聞いたところ、黙って人指し指の先を曲げたそうです。 

他の本で読んだ記憶があるのですが、この暗号機を作っていた世田谷の建物で、人が侵入した形跡があるのに気がついたが、被害がないと思われたのでそのままになった、との話を読みました。

アメリカのスパイは戦前からかなり多く日本に来ていましたから、その一人にやられたのでしょう。

どうも日本人はこうした情報合戦が苦手なのか、山本五十六の乗機が撃墜されても、暗号は変わらず、遂に戦争終了まで全部話が筒抜けだったのですから、勝てるわけがありません。

それとはハワイのもう一つの話。

ハワイの一番端に、ニイハオ島という島がありますが、そこは12月7日に攻撃した日本の航空機が被害を受けた時の不時着場になっていました。

ここに降りれば、潜水艦が迎えに行くことになっていたのです。

そして、現実に西開地というパイロットのゼロ戦が不時着し、日系二世の人が彼を助けるのですが、なんと潜水艦は「日本軍人は不時着より自爆するのが普通」と考え、迎えに行かなかったのです。

西開地飛曹は結局、島民に囲まれ、ゼロ戦に火を放って二世とともに自決したのです。

この話は、この二世の奥さんが戦後、収容所から解放されてきてから話を明らかにしたので、かなり知られています。

彼女は、夫が戦争に協力したと看做され、彼女も犯罪人扱いだったそうです。

ニイハオ島は個人の持ちものとかで、7日当日もラジオもなくて日本の攻撃も知らず、現在も観光で訪れることもできない島です。

貴兄にはつまらない話だったかもしれませんが、書き連ね、ごめんなさい。

小生も情緒不安定の状況が続き、イライラは当たり前、物はなくす、歌を歌おうとしたら声も出ず、音程もおかしい、眠れば過去の亡霊に悩まされているので、こうして文章が浮かんだ時は無理しても全部書いてしまうことにしました。

付きあわせて申し訳なし、また、スポーツクラブで体をいじめて、少しでも安眠できるようにします。 
それにビーフで1キロ太ってしまったし、今日も出かけます。

今度は、別の話にしましょう。 

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