Saturday, May 21, 2005

撮影の思い違い (2005-5-21)

よく調べられましたね。 あれは昭和20年代の前半。 それでは、原節子と三橋達也は別々の映画だったのを、私が混同したのでしょう。
原節子の映画だと私が思いこんだセットは、都会のビルの林立する様子が、手描きの映画館の看板みたいなタッチで描かれていました。 それも、白、黒、灰色のモノクローム。 当時は、「総天然色」なんてまだ邦画には無かったのでしょう。 鹿児島へ帰った後で、その映画をみたのですが、原節子が、女工だったか何か、苦しい境遇の役で、上役(若原雅夫とかいう俳優がいましたか? シャルル・ボワイエに似た・・・)の子を孕む。 画面では若原(?)が車の中でそっと原の手を握って微笑む。 それだけの場面でしたが、その後で赤ん坊が泣いているシーンがあったように思います。 60年近く昔のことですから、私の印象も当てになりませんが。
三橋達也は、その時休憩だったのでしょう。 セットにいた女性の後にまわって、イタズラっぽく、エプロンの紐をそっとはずしていました。 それだけしか覚えていません。
それよりも、淡い日差しのもと、多摩川の渡しを、ゆっくり向こう岸に向かった情景。 なにか笠智衆でも船べりに坐っていたような、そんな錯覚を感じる、うららかなひと時でした。 その頃のことを思うと、私もまだ十代半ば。 今ほど悪や汚れにまみれていなかったのですから、そんなことだけを思い出していれば、精神科医の厄介になることもないのですが。
私は、心理学を学ばなかったことを後悔しているのですが、心理学の通説によれば、 年をとると、過去の記憶も、不愉快なことは淘汰され、楽しい思い出だけが残ると聞きました。 本当でしょうか。 私の場合は不愉快な思いが圧倒的なので、心理学者や精神科医のところに通ってみたのですが、効果はありませんでした。 相変わらず、汚れた心の沼からメタンガスがブクブク噴き出しています。
不愉快な思い出は、こちらの感情や思考に関係なく、イメージが一瞬いきなり飛びこんでくるのです。 一方、楽しい思い出は、努めて探ってみなければなりません。 そうすれば、結構数多くの幸せだった時の思い出があるのですが、多摩川を舟で渡って東京の土を踏んだのも、その一つなのです。

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