Monday, January 02, 2006

明けましておめでとうございます(06-01-02)[o]

明けましておめでとうございます。新年という感じは余りありませんが、毎年、今年は良くなるかという期待感はあります。
貴兄の小学校の友人のように、或る日突然家内の病気が良くなったといった期待感です。

柳谷さんのメールで実家が棕櫚問屋だったと拝見し、小生の関心がもくもく頭を持ち上げました。
吉村昭の小説「戦艦武蔵」の最初に、この棕櫚の話が出てきます。
昭和12年の夏、九州から始まった棕櫚の買占めは四国から紀伊半島に達し、棕櫚が西日本から消えてしまうのです。
棕櫚の価格は勿論暴騰するのですが、現金決済のため買主不明。
そして、その棕櫚が戦艦武蔵を作る三菱重工長崎造船所に持ち込まれ 縄になわれ、武蔵の巨大な船体を隠すカーテン代わりに使われる~~
この小説の出だしが異様だったので、棕櫚のことを良く覚えていました。
当時、九州では棕櫚がかなり多く生産されていたと聞いています。
そして、棕櫚のお陰で武蔵は昭和17年に秘密裡に完成します。

武蔵は大和と同型艦で7万トンという世界最大の戦艦でしたが、昭和19年の秋に比島沖で米空軍の攻撃で撃沈されています。
今、日本では「男たちの大和」という映画が公開され、話題をよんでおり、尾道に作られたこの映画のオープンセットと呉に昨年出来た大和ミュジアム、そして江田島の旧海軍兵学校を見学するツアーが大人気だそうです。水上特攻で沈んだことが、大和の悲劇を強調してしまうのでしょうが、これに比べて、武蔵は意外に地味にしか取り扱われず、知られていません。航空機の時代の大型戦艦は、油を食う無駄な船として冷遇されていたわけです。不沈戦艦と言われながら2艦とも沈んでいますが、武蔵については「自分がキングストン弁を開かなかったら、武蔵は沈まなかった」と戦後も語り続けた海軍兵士がいたことが、本にも書かれています。
誤った情報で、自沈のための弁を開けと艦長が命令しただけだとの話を読んだことがあります。

昭和天皇もこの世界最大の戦艦を見られていますが、昭和18年に御覧になったのはこの「武蔵」でした。そしてそのときの二代目艦長は古村啓蔵大佐(のち少将)です。
実は、この古村少将の息子が小生の小学校から大学までの同期生だったのです。
武蔵が撃沈されたときは確か猪口艦長だったと思いますがこの古村艦長もついていない人で、「大和」の特攻のときは護衛の巡洋艦、駆逐艦をまとめる戦隊の司令長官で、乗艦を撃沈され海を漂い救出されていますが 確か以前にも乗艦を撃沈され、2回くらい海に投げ出されています。

この古村少将の奥さんが戦艦長門の初代艦長、飯田のみ太郎こと延太郎大佐の一人娘です。
そして、戦艦長門の最後の艦長が、日露戦争で旅順口閉塞作戦で広瀬中佐の部下だった杉野兵曹長の息子の杉野修一大佐です。
こういう風に海軍も娘を海軍の軍人に嫁がせたり、息子が海軍に入ったりして結構人財閥があるようです。
古村の息子は大学時代は、恰好良いすらっとした男でサッカーをやっていましたが常に2軍の面倒を見て地味な男でした。
彼がもしおふくろさんの事を教えてくれていたら、飯田のみ太郎のことなど書きたかったと思っています。今も年賀状くらいは交換していますが、彼は両親については全く口にしません。

杉野兵曹長が実は生きていたという話もあるのですが、これは長くなるので又の機会に譲ります。

棕櫚の話が、海軍四方山話になってしまいました。
正月の話としてはふさわしくないかも知れませんが、勘弁してください。

仕事が10日から始まるので、そろそろその準備にかからねばなりません。仕事をやめれば生活を切り詰めねばならず、つらいところです。
新住居の住み心地はいかが?一戸建てと違い、鍵一つで出かけられるところがアパート住まいの良いところだと思いますが。
今月中旬頃、ALOHAさんと井上氏に会えればと思っています。
貴兄も奥様も風邪など引かれぬよう注意してください。

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