Wednesday, June 08, 2005

人間不信(05-06-08)

安城家の話から、貴兄の凄い経験談をお聞きし、貴族とか華族とかの名称は如何にあてにならないかわかりました。
日本の華族は、安城家のように家を売るだけで悲観して自殺を図る<これが森雅之です>のですが、没落して自殺をしていたら、われわれ貧乏人は命がいくつあっても足りません。

それにしても、貴兄の遭遇したお偉い女性達の生き様はすさまじいものですね。貴兄が医者に通うようになったのも良く分ります。
小生がサラリーマンを辞めた経緯は、カナダでお話したと思いますが、小生も暫く神経科の医者に通いました。
無実の罪を全部かぶせられただけで、参ってしまったのですが、考えてみると相手は平気なわけで、人間の価値など何ではかれるのか分りません。

貴兄の遭遇した人たちも今、平然と暮らしているのでしょう。
これが人間の本質だとすると、むなしいですね。

ところで、天皇ご夫妻が今月、サイパンへ行かれるのをご存知ですか?
大東亜戦争の戦地に行かれるのは、沖縄に次いで二番目だと思いますが、昭和天皇が行かれたら、もっと良かったと思います。

小生も戦中派というか空襲で火の中を逃げ回り、焼死体の中を学校へ歩いていきましたが、戦地へ足を運ぶのは勇気がいりました。つらくて行けなかったのです。
沖縄へ行ったのも平和の礎が出来てからで、あの日米の戦士、民間人の亡くなった方の名前を見ていくだけで、半日もかかりました。ひめゆり部隊の洞穴も、海軍の司令部跡の洞窟も、涙無しには見られないものでした。

サイパン、グアムへ行ったのはやっと10年位前からですが、観光地化されていて、とても戦場には思えない風景が立ち並びます。僅かに残された戦車や軍の建物跡が往時を偲ばせるくらいです。
ただ、サイパンのスイサイドクリフは、そのままで、小生もここで頭を下げましたが、そのときVサインをして写真を撮っていたオバちゃんがいて、そのときはさすがに小生も堪忍袋の尾が切れ「ここがVサインをするところですか!」と怒鳴ってしまいました

そこまで行くときに、バスの中で当時の原住民の方が戦争の様子を語り、日本語で日本の歌まで歌ってくれたのに、そのオバサン連中は何も話を聞いていなかったというのです。

こんな日本人を助けるために、日本軍が戦い、命を捨てたとは絶対、思いたくありません。戦った米軍も同じでしょう。
天皇陛下のためでもない、祖国、自分の親、兄弟姉妹そして妻子を助けるために、兵隊も民間人も戦い、命を捨てたのです。
知覧、鹿屋、江田島、霞が浦などに残されているたくさんの遺書を読めばそれははっきりと分ります。
特に、特攻隊のごとく必死の攻撃に出た方は、その思いで出撃しなければ、死ぬに死ねなかったと思います。

天皇ご夫妻があの岬の慰霊碑の前で、どんな祈りを捧げられるのか、気になります。

小生、未だにハワイへ行っていないのですが、あのアリゾナ記念館で頭を下げねばならない悔しさを、外務省のお役人は分っているのでしょうか。
開戦文書を渡すのが遅れたのは害[ALOHAさんの優れた命名]務省の怠慢だったことは良く知られており、害務省も認めていますが、当時の責任者の参事官はのちに外務次官からなんと駐米大使になっています。その下の書記官は、やはり外務次官になり、スイス大使になっています。

つまり、二人とも全く責任を問われていないのです。

開戦文書といっても、「開戦」の文字はなく交渉打ち切りの内容、しかもその文章を英文タイプに打てたのはこの書記官だけ、というお粗末さ。そして、文書作成の遅れによる手交の遅延。山本五十六があれだけ気にした事柄を、害務省は平然と踏みにじり、問題にもしなかったのです。

それに引き換え、6千人ものユダヤ人のビザを発行し命を救ったリトアニア領事代理の杉原千畝氏は、国命に背いたためか、戦後害務省を辞めさせられているのです。

戦後の害務省による遺骨収集作業もなぜか、小規模にしか行われず、先日のパラオの沈没船の遺骨も見つからないとして、作業打ち切りになりました。

ODAに出す金があるのなら、もっと現在の日本を築く基礎を作ってくれた戦没者に、供養をかねてお金を投じて欲しいものです。

今年は敗戦60年、次回にでも、小生が旧戦地を訪問した話をメールしましょう。

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