Sunday, June 05, 2005

ごきげんよう(05-6-5)

先日、「安城家の舞踏会」という映画のことを書いておられましたが、あれは昭和22年の作品ですか。 とすると、私も、焼け跡の映画館でみたわけで、それにしては、一つか二つ、場面を覚えています。 あれには森雅之という俳優が出ていたでしょうか。 名前もうろ覚えで怪しいのですが、それこそ華族の出の毛並みのよい・・・。 でも、ご指摘の 「ごきげんよう」 という挨拶については覚えていません。 
モントリオールで3年間日本語放送をやっていた時、現地で加わった東京出身の女性がいました。 50前後だったでしょうか。 都会的な人でしたが、その人が、放送の始めと終わりでいつも 「ごきげんよう」 と言うので、平民上がりの同僚オバタリアンが 「それはおかしいんじゃない」と一言チクリ。 「ごきげんよう」の女性は、育ちをそれとなく示していたのかもしれませんね。 1990年前後でしたが。 その人は東京女学館でしたが、あそこはお姫様学校だったのですか? 
もう一人、学習院大卒という女性もいましたが、あれは大学だけ学習院だったのかな? モントリオールで、詐欺師の妾になっていましたが、日本語課のイギリス人が、その妖婦の素性も知らず夢中になって、無理して自分の秘書にしたのはよいが、よくマフィアの餌食にならなかったものだと思います。 尤も、この詐欺師、国外に逃亡したものの、観念してカナダに戻ったところを御用。 その妾も、働かざるを得なかったのでしょう。 盗みを働くドケチなイギリス人の寵愛を得て、何とかの威を借る牝狐に変容していました。
さらにもう一人、女子学習院から薬大に進んだ人がいましたが、この人だけがマトモでした。 我々日本語課の BITCHes や SONs OF A BITCH に愛想を尽かして、さっさと辞め、「セイセイしました」 と晴れ晴れとした顔をしていました。 この人が上流階級の出であったかどうかは知りません。
しかし、上記の妖婦など、まだよい方で、その上を行く、石川五右衛門の妾みたいな毒婦もいました。 牛がクシャミをしたような容貌で、盗みは働く、嘘はつく。 入社試験にも落第したのに、上にいたNHKOBの脇をどうくすぐったのか、東京女学館を押し退けて、自分が居座り。  あれほどタチの悪いイギリス人の男と唐人お吉のお化けは、生まれてこのかたほかに見たことがありません。 私もそういう、地獄とは言わないが、煉獄よりも悪い所に、3年いて、性質も人相もますます悪くなりました。 ですから精神科医の世話にならなければならなかったのです。
私は鹿児島ですが、昔下層武士の住んでいた辺りには、よく「男爵何某生誕之地」なんて小さな墓石程の碑が幾つも建っていたものです。 西郷隆盛や大久保利光の生誕の碑は、もっと立派で大きく、小公園になっていました。 森雅之さんも、ひょっとしたら、三代ぐらい前は、そういった武家の家柄だったのかもしれません。 有島兄弟も、元はといえば、鹿児島だったのでは?  そういえば、F組に有島さんという人がいましたが、あの人もその一門だったのでしょうか。 
そういう次第で、薩摩や長州から、新華族がどっと輩出したのですが、我が家は、四国の田舎の小藩の家来。 殿様がやっと男爵だったのですから、戸籍が士族に連なるのが精一杯。 いわば零細企業に仕える三等サラリーマンといったところです。 官軍にも縁が無かったのが運の尽き。
それに比べて、薩摩から江戸に出てきた芋侍共は、出世頭は明治政府の顕官となり、エスカレーターに乗り遅れた足軽連中は、「オイコラ」と威張る巡邏卒に。 そして中間管理職は、「府民の情操のためにセイゲン、ジョウバンシンの類を奨励すべし」と布令を流したのでしょう。 私なんか、今でも、清元、常磐津については全くのツンボですが。
イギリスでも、庶民の上流階級に憧れる気持ちは強く、上流の人が紅茶のカップを手にする時、小指をちょっと上げると知れば、それが忽ちミドルクラスからワーキングクラスまで右へならえ。 すると上流は、また別な指を使うといった話を、ケンブリッジ大の夏季講習で聞きました。 
ただ、イギリスの若い貴族は、見ただけでは判りません。 侯爵でもヒッピー同然の恰好をしていますから。 しかし、カフェテリア(イギリスではキャンティーン)に並んで、「エクスキューズミー」と声を発すれば、その人の階級が知れると、BBCの番組で言っていました。 私には皆目わかりませんが。 

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