Saturday, March 25, 2006

幼馴染への私信のコピーで申し訳ありません(06-03-25)[s]

O様

そうですか。 貴兄も、腹が立つことがありますか。 そういうことを伺うと、ホッとします。 私だけじゃなかったのかと。 私のケースはもっとひどくて、自ら求めて、前頭葉を調べてもらったり、臨床心理学者、神経科医、精神科医のセッションをかなりの期間受けたのですが、治りません。 かと言って、精神病という所まではいかない様。 だから運転もやめました。 60ぐらいの時です。

今日は怠けて、小生の小学校時代の友人に宛てたメールのコピーをお送りさせてください。 この友人とのメールは、貴兄とのメールの交信の喜びに喚起されて、つい最近始まったものです。 鹿児島時代の友達ですが、60年以上ブランクがありました。 私がEメールをやると共通の友人から聞いて、彼が興味を示してくれたので、やりとりが始まりました。 やはり慶應ですが、同じキャンパスにいながら、三田ではついぞ会う機会がありませんでした。 そんな次第ですが、お許しください。


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北半球は今どこでも桜の盛りでしょうか。 バンクーバーも数万本の桜が爆発したような勢いで、ピンクのトンネルがいたるところで東西南北に広がっています。 花は2月から咲き始めますが、道によって色々異なった種類の街路樹が植えてあるので、長い期間楽しめます。 住宅街のみならず、ビジネスセンターでも見事な花が見られ、チェリーフェスティバルがあるところをみると、都市のプランナーが、昔苗木を計画的に植えてくれたのでしょう。

貴兄の大学在学中は、先生との触れあいがなかったとのことですが、経済や法科のエリートコースでは、そんなこともあったのですね。 私は、燻んで冴えない東洋史でしたから、同級生は男子ばかり4人。 先生は5人。 おかげで「4番で卒業した」といえます。 

1年の時に、池田弥三郎という国文学の泰斗に「忠臣蔵」を教わりました。 先生は銀座の「天金」の息子とか。 泰明小学校から市立一中、そして慶應へ進んだチャキチャキの江戸っ子。 新聞やテレビの寵児になる前だったので、受講者は私一人。 格調高い台詞で歌舞伎の真髄を演じてくれましたが、私一人には勿体ない名講義でした。 

もう一人、池田潔という英語の先生がいました。 その著書「自由と規律」は、イギリスのパブリックスクールの学風をみずみずしい筆致で描いた名著ですが、教室ではあまり機嫌が良くなく、かつ単調な授業で、意外でした。 

池田先生はケンブリッジの出身ですが、私も1962年一夏をケンブリッジで過ごす機会がありました。 そして、チューター制度について聞きました、 学生は一対一でチューターの指導を受けるわけですが、チューターは学生に、あえて反対の立場をとらせて、議論を進めていくのだそうです。 ソクラテスもプラトンも対話方式だったそうですね。 そういう対話による知的訓練を受けて、批判精神と表現力を養うイギリスの学生は幸せです。 

それでもイギリスの国力は1970年以降衰退する一方ですね。 そして今は中国とインドが急成長している。 そんな現象を判りやすい言葉でどなかたかに教えていただきたいものです。

日本の大学のゼミが、教師の独りよがりだったというのは残念ですね。 うちの次女はコーネル大学から東大の大学院に留学したのですが、ゼミは上野千鶴子先生の独演場で、学生は誰も発言しないことに驚いていました。 娘は今スタンフォードの研究生ですが、キャンパスでは独立したオフィスを貰っており、それが塾監局の学部長室より広くて調度も立派なので、私はアメリカの大学の寛大なことに驚くばかりでした。

コロンビアのビジネススクールでは、MBAを取る前に、英語のプロフィッシェンシーテストを、アメリカ人でも受けなければならないのですが、経営者にとってコミュニケーションがいかに大事かということを示すものと解しました。 慶應や一橋で、将来経営者になる学生に、国語のテストを行うことなど、考えられるでしょうか。

家内は、1955年に留学し、最初はイリノイの小さなクリスチャンカレッジに学び、後にカリフォルニア大学バークレー校からBAを貰いましたが、親切だったイリノイのカレッジに比べ、カリフォルニアでは、先生との関係もインパーソナル。 先生も、POP(Publish or perish)のプレッシャーの中で、学生のことなど構ってくれなかったと記憶しています。 

経済学部で教わったことが実社会ではあまり役に立たなかったということですが、文学部の勉強などなおさらです。 工学部の前身、藤原工大を創る時、藤原銀次郎翁は「直ぐ役に立つ人間が欲しい」と要望されたところ、創立の学長が「直ぐ役に立つ人間は直ぐ役に立たなくなる」といましめて、藤原翁も納得したとか、聞いたような気がします。

フォードの社長からクライスラーに転じたリーアイアコッカは、自伝の中で、東部の大学の工学部を出てプリンストンの大学院に進んだが、実社会で一番役に立ったのは心理学。 そして社会に出てからはデールカーネギーのコースだったと述べています。 

WBCの快挙に国を挙げての喜びがあふれたようですね。 私は残念ながら、TVでも観るチャンスがありませんでした。 荒川静香さんの演技もついに観ずじまい。 残念だったのは、数年前、高橋尚子選手のマラソンも見逃してしまったことです。 

うちのテレビは、一昔前の中国製13インチ。 音もモノラルで、その上、私の弱い視力が災いして、ボーッと霞んでしまいます。 そんな次第で、隠遁者はスポーツのイベントにも縁がなく、ますます時代から取り残されています。

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