Wednesday, March 08, 2006

数字と機械は苦手(06-03-08)[s]

数学の入試を逃げる人は年収が百万円少ないのですか。 貴兄の仰る通り、本当に「くだらない」ことです。 それでも研究発表の点数稼ぎになって、万年教授のテニュアでも貰えるのですかね。 

私達の時分は、早稲田なら、大抵の学部で、数学の入試はなかったと思いますが、その先生の理論がまかり通れば、早稲田の人は揃って年収が低いということになりますね。 そんなおかしなことは無いでしょう。 西武の堤さんも早稲田だし、中央や地方財界の金持ちにも早稲田が多いでしょう。

数学がないのならと、私も第一政経を冷やかしてみたのですが、受かっていました。 受験の日は雪が降っていて、キャンパスで通りがかりの人から、「入試の係りか」と訊かれましたが、受験生にしては私の面が年寄りくさく、緊張感にも欠け、小父さんに見えたのでしょう。 

早稲田には受かっても、鹿児島大学は無理だからと、最初から見送りました。 鹿大でも京セラの稲盛和夫さんのように偉大な人物も生まれるのですね。 慶應の大学院を出て、鹿児島短大に赴いた江戸っ子の青年教師が、「ここの短大の女の子の方が慶應より質がいいよ」と語っていましたが、真実そう思っている風でした。 あの頃の大学院というと、学卒で第一志望の就職ができなかった人達の避難所みたいな感がありましたからね。

あの頃、鹿児島の友達が、玉川学園に入って、そこから編入で、慶應の法科の二年に入ってきました。 全人教育の玉川学園なら、学科試験もなく面接だけだし、あそこを経由するのも良い方法だと思います。その発表が4月1日だったので、友人は、「エープリルフールで皆が信用しないから」と、両親にはわざわざ1日遅れの2日に電報を打ったと言っていました。 彼も今は土地の高額所得番付けに名を連ねています。

我々と同じ年頃の慶應の教授で、村田昭治(?)という有名な先生がいますね。 彼も文学部だったそうですが、三田文学に出稿したところ、「見込み無い」と諭され、経済に転部したそうです。 今は日本でもマーケティングの権威として名を轟かせていますが、卒業生からも慕われていて、OBの為のセミナーには鹿児島からも文学部出身の卒業生がホテルオークラに投宿して、出席しているようです。 たいした人柄の先生なんでしょう。

これと似た話ですが、アレステア・クックがケンブリッジの演劇クラブの会長だった時に、ジェームス・メーソンという学生が入ってきたのですが、アレステア・クックもできるだけ彼を傷つけないように気をつかって、「君は化学に専念した方がいいよ」とアドバイスしたそうです。

井上さんも、逗子開成の高校時代、演劇に熱を上げていたそうですが、下級生の川地民夫に、同じような忠告をしたことがあるそうです。

ところで、村田先生ですが、学生からの葉書にも、必ず返事をする。 その噂が広がって、年賀状など数千枚になるそうです。 ところが、「先生の字は読みづらい」と言う学生もいるらしい。 すると「字を読むんじゃない。行間を読んでくれ」と答えるのだそうです。 だから卒業後何十年経ってからでも、OBが集まるのですね。

息子のお嫁さんのお父さんは、ハウス食品という会社の社長会長相談役をつとめて最近リタイアしましたが、この人も毎朝午前4時に起きて手紙を書くそうです。 ワープロはおろかVTRの操作もできない人のようですが、肉筆の便りが、ハウス発展の秘密兵器だったのではないかと思うのです。

0 Comments:

Post a Comment

<< Home