Saturday, May 13, 2006

山本嘉次郎監督の思い出(06-05-13)[s]

コンピューターの調子はいかがですか。 

ハワイ・マレー沖海戦をみていると、少年時代の意気込みが思い浮かんできます。

あの映画が出来てから30年程経った頃、ロンドンのこじんまりしたホテルのロビーで山本嘉次郎先生を見かけました。 グループで来ておられたようで、連れのビール会社の重役さん達はイギリス人の知り合いと一緒に一晩出かけようととしていました。 その時、山本夫人らしき女性が、「今夜は私の親しい人達と会うの。 それが今度の旅の一番の楽しみ」と上機嫌でした。 巨匠はどこへも案内してくれる人が居ないのか、「どこかパブにでも行ってみるか」とやや手持ち無沙汰の感じ。 日本だったら放って置かれることのない大先生ですが、ロンドンの夜は、誰も構ってくれる様子が見えません。 それがまた巨匠にとっては、ぶらり旅のいいところなのかもしれないと、大正デモクラシーの面影を残す山本先生のゆとりのある端正な顔を思い出します。

しかし、ハワイ・マレー沖海戦をみていると、あの晩より30年若かった山本監督が、どんな表情と声でメガホンをつかんだのか、想像がつきません。 航空母艦に衝突する練習機のシーンは、子供心にも印象が強かったのか、覚えていました。 どうやって撮影されたのか、円谷チームの巧みなモンタージュでしょうか。 しかし全編を通じてビンビンと張り詰めた空気。 あれは昭和二桁初期の独得な息吹でしたね。 実戦に参加したことのない映画監督が、映画史上何等お手本らしきものの無い前人未踏の分野で、よくベンハーに匹敵するような迫真の映画を製作したものだと驚きます。 それにしても、あの1970年あたりの夜、ちょっと物憂げ、でも忙中閑ありと言った感じの山本先生が、ソファにすわっておられた姿は印象に残っています。 

戦後60年経ってからスクリーンに現われた原節子に、平成の観客がどよめいたというお話、いい逸話ですね。 人の命は朽ちるとも、永遠の処女の美しさは、ミロのビーナスのように、何時までも生き続けるのかと悟らされました。

ハワイマレー沖海戦、またいつか腰をすえて繰り返し見る心算です。

(06-05-13)

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