Saturday, April 22, 2006

ビデオのこと(06-04-21)[o]

メールを打つ元気も無く、家事と仕事だけこなしているうちに、2週間くらい経ってしまったようで 申し訳なし。

ビデオを送るときも連絡も出来ず、重ね重ねお詫びします。

ルネ・クレール(1898~1981)は 「巴里の屋根の下」を見たあたりから その演出の巧さ・音の使い方の巧みさに引き寄せられ、小生の好きな外国映画監督の NO1になりました。

中学高校と 映画館に入るのを見つかったら退校処分をものともせず、映画館に通い詰めましたが このクレールもその対象でした。

ジャック・フェーデ 「女だけの都」、ジュリアン・デュヴィヴィエ 「望郷・我等の仲間」 ジャン・ルノアール 「大いなる幻影」と ルネ・クレールが、1930年代からのフランス映画黄金時代の4大巨匠といわれた人たちですが、デュヴィヴィエが 日本では一番人気があったようで、親父も彼のファンでした。

望郷がなんといっても最高人気で、ジャン・ギャバンとミレーュ・バランの共演が素晴らしく、最後に 波止場で、ギャバンが 「ギャビー!」と叫ぶと 汽笛の音にかき消され、ギャバンが隠し持ったナイフで腹を刺すラストシーンは 本当に良く出来ていました。

クレールは 演出の巧さが光るだけでなく、「自由を我等に」のように チャップリンの「モダン・タイムス」のずっと前に流れ 作業・大量生産方式への風刺を見せたり、「最後の億万長者」で 政治を冷笑したり、かなりの才人だと小生は思っています。

なお、チャップリンのモダン・タイムス が、自由を我等に の盗作といわれたときに、クレールは そのことを荒立てず、チャップリンの才能を褒めた という話があり、個人主義のフランス人には珍しい存在かな、と思ったことがあります。

巴里の下町の石畳、階段、アパート、煙突に 彼の巴里への愛情を強く感じます。

パリジエンヌとはこういう人かと思わせたアナベラが、丁度10年前に亡くなった時、小生の生まれる前に出来た「巴里の屋根の下」や「巴里祭」などの名画が 本当に消えていく感じがしました。

彼女は この「巴里祭」で人気スターとなり、ハリウッドにも行き、タイロンパワーと一時結婚していましたが、その後恵まれず、1954年に引退したのですが、まさかずっと生きているとは思いませんでした。(1910~1996)

アナベラと共に 悪女役で出ているポーラ・イレリは クレール監督に見出されて 屋根の下 と 巴里祭 の2本に出ていますが、その後は良く判らず、もう亡くなっていると思います。

それにしても、7月14日の原題を 「巴里祭」と名づけた巧さに驚きます。

確か 後の有名な映画評論家がつけたと聞きましたが、名前が思い出せません。 淀長ではなかったと思います。 大田黒あたり?

この映画のせいか、世界観光が自由化されたとき、日本の観光客が巴里を訪れると この下町に案内してくれ、という話がよくあったそうです。

残念ながら この映画は セットで作られており、現実には無く、この前の 「巴里の屋根の下」 のセットの一部は 映画会社の事務所にまだ使われている と聞きました。

小生が 海外観光で 一番最初に行ったのは ヨーロッパで クレールやギャバンが歩いた街ということで 巴里を夢中で歩きました。

凱旋門の近くで テラスの喫茶店に立ち寄り、コーヒーとケーキをフランス語で注文し、通じた時の嬉しかったこと!
パリジャンになった気分でした。

高校で第2外国語でフランス語をとったのも、一度 クレールの住んだ街に行って、フランス語を 少しでもいいから使ってみたかったからです。

今日は、1本目の 「巴里祭」だけで書きすぎたので 止めます。

また、2,3本目の思い出など送ります。

何とか仕事と家事だけはこなしていますから、ご心配なく。

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