Sunday, April 23, 2006

ビデオのこと その2(05-04-22)[o]

この映画の話は、貴兄が見る上での参考になればと思って書き始めたのですが、このごろに載せるのであれば、もう少し上手く書かねばーでも、無理だと思います。

「踊る大紐育」をミュージカルの1位に上げたので、貴兄も驚かれたのではないですか?
ウエストサイドなど名作といわれる作品が多いのに、何故かと聞かれると小生の答えは一つ。
この作品にミュージカルの面白さの原型が全て
詰まっているからです。

アステア・ロジャースの頃から、アメリカのミュージカルはその規模といい、楽しさといい、他国の音楽映画を圧倒してきました。
これは未だに続いています。
対抗出来たのは、「シェルブールの雨傘」だけだと思います。

そしてその基礎を確固たる物にしたのが、ジーン・ケリーだと小生は思っています。
彼はMGMにいて最初恵まれず、1944にコロンビア映画に貸し出され「カバー・ガール」に出たのですが、そこでいろいろアイデアを出したのが認められ、MGMが慌てて呼び戻して1945年に「錨を上げて」を撮ったのがスターへの始まりといわれています。

この「踊る大紐育」の前後にも「踊る海賊、いつも
上天気、巴里のアメリカ人、雨に歌えば」など数々の映画がありますが、唄って踊れて芝居が出来る才能は凄いものです。
そして、「踊る大紐育」にはダンス、歌、バレー、
ジャズ、など音楽的要素の全てが含まれており、
他の作品はみんな亜流です。

小生この映画を1週間に13回見たと手紙に書きましたが、実はこの映画の前に12回見た映画があります。
それもミュージカルで「姉妹と水兵」という作品で
ジューン・アリスンとグロリヤ・デ・ヘブンが姉妹でハリー・ジェイムスがあのトランペットを思う存分吹いていました。
1944年製作の映画ですから見たのは中学生のころです。

それまで「イースター・パレード」なども見ましたがいまいちで、この「姉妹と水兵」でミュージカルの面白さがわかりかけてきて、ジーン・ケリーの
凄さに圧倒されたわけです。
高校3年で1週間に映画館に5~6回入って13回見たのですから、映画研究部の連中にもあきれられました。

「踊る大紐育」の曲の中では「メイン・ストリート」
が好きですが、映画の曲のおかげで英語をずいぶん教わりました。
YOU CAN COUNT ON MEなんていう言葉もこの映画からです。
フランク・シナトラとジーン・ケリーがタイトルで同列なのにもびっくり、シナトラはもっと上とばかり
思っていましたから。
アン・ミラ-の脚の長さににも驚きましたが、ケリーは彼女のほか、シド・チャリシーという同じように脚の長い女優を良く使っています。

放送作家になって暫くして、頼まれもしないのに「8つのハートの物語」というテレビ・ミュージカルをこっそり書いて、NHKのプロデューサーのところに持っていきました。男女各4人の恋物語です。
1966年か67年の話です。

そのときのプロデユーサーの答えは今でも覚えています。
「阿部ちゃん、男4人で唄って踊れて、芝居が出来る役者なんかいないよ、唄えるのがダーク・ダックスかデユーク・エイセスくらいだろう。無理無理。
女は日劇ダンシングチームからでも松竹歌劇団でも持ってくれば何とかなるけど、男がナー。
面白い台本だけど、作れないよなー。」

それ以後、何回かそのプロデユーサーとジーン・
ケリーを日本に呼べないかと話したことがありますが、一笑に付されました。
ギャラが見当もつかず、当時話題の「コンバット」という戦争テレビドラマの脚本料が1本1万ドル、
360万円と聞いて、我々作家のギャラがこんなに違うのに、(当時、小生のギャラがラジオで30分
で1万円?/勿論安い方でしたが)タレントのギャラなど想像を超えていました。

この映画の原案を書いたジュローム・ロビンスが
日本に来たとき、「ニューヨーク・ニューヨーク」
というタイトルのミュージカルでこの映画の一部が流れましたから、これは彼の「ニューヨーク・
ニューヨーク」

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