情報産業の巨人誕生 (2007/05/20)
「07/05/13の『ビジネス短信』でも触れたが、カナダの情報産業の大手が英国の通信社と組んで、二つの経済情報サービスが一本化されるらしいね」
「ロイター家もディールには同意したらしいから、後は株主のOKを待つだけだ」
「カナダの大手企業がドンドン外資の手に渡っていく中で、トロントのトンプソン・コーポレーションがロンドンのロイターズ通信社と合併して、ブルムバーグを超える世界最大の経済情報のソースになるというのだから、トンプソンも気を吐いてくれたとカナダ人も多少は自信を取戻せるのではないかな」
「ロイターズは英国の通信社だが、リアルタイムのニュースではヨーロッパに強い。 一方トンプソンはカナダ企業だが、ニューヨークの取引所にも上場していて、北米の経済市場に通暁している。 欧米の二大情報産業のサービスを統合することによって、世界の最大手の銀行や証券業者に更に強大なデータ・経済情報が供給できるようになるだろう」
「トンプソンは172億USドル払って新会社『トンプソン・ロイターズ』の70%をコントロールするらしいが、そのCEOにはロイターズの人がなるらしい」
「それにしてもこの2社の出だしはささやかなものだったらしいね」
「ロイターズの創始者ポール・ロイターは1816年ドイツでユダヤ教のラビの息子として生まれたが、後にドイツからパリに移り、通信社(後のAFP)でジャーナリストとして働いた。 そして欧州の主要都市から馬車で運ばれてばれてくる新聞をダイジェストして顧客に届けていた。 やがて伝書鳩を飛ばして、各地の株価情報を集めたが、それがロイター通信の始まりだ。 1850年頃ロイターズはロンドンに移り、取引所にオフィスを設けて、ロイター自身も1857年に英国に帰化した。 米国市場の情報は、大西洋航路の船からアイルランド沖で缶に入れたニュースを投じてもらい、それをボートで受けて、直ちにロンドンに流したから、船が港に着く前に情報は届いていた。 それから電信の時代に移り、技術革新とともにロイターズの業績も発展。 ディジタルの到来を迎え、創業者が1899年に亡くなった後もロイターズの名声は衰えをみせない」
「ロイ・トンプソンは1894年トロントで理髪師の息子として生まれた。 長じてマニトバで農業を営んだこともあったが、オンタリオの田舎でラジオを売り始めた。 ところが当時はラジオを聴く人がいない。 そこでラジオ局を手に入れ、ローカルの人が聴くような放送を始めた。 そして1934年、200ドルで地方新聞を購入。 これがメディア・エンパイアの始まり。 次々と地方紙やラジオ局を買い、1950年代には英国に進出。 主要紙を買収し、1957年には商業テレビに手を拡げた。 ロイ・トンプソンが『テレビはお金をプリントするライセンスだ』と言ったのは有名。 新聞はカナダ、米国、英国で200紙にのぼり、1966年にはロンドン・タイムズまで傘下におさめた。 手掛けた事業は、美容院からアイスクリームのコーンまで多彩だが、本筋は出版、印刷、テレビ、旅行業、石油開発など。 1964年英国の男爵に叙せられたが、そのためにはカナダ国籍を放棄しなければならなかった。 1976年に亡くなったが、二代目のケン・トンプソンも、実業家として群を抜き、父親の遺した事業を数倍に増やし、世界でもトップクラスの資産家となった。 しかし人柄は地味で丁寧。 倹約家としても有名だったが、2006年に亡くなった。 その後トンプソン・コーポレーションのCEOにはトンプソン家以外の人が就任し、新聞事業から経済情報産業への変身をはかろうとしている」
(07/05/20)
「ロイター家もディールには同意したらしいから、後は株主のOKを待つだけだ」
「カナダの大手企業がドンドン外資の手に渡っていく中で、トロントのトンプソン・コーポレーションがロンドンのロイターズ通信社と合併して、ブルムバーグを超える世界最大の経済情報のソースになるというのだから、トンプソンも気を吐いてくれたとカナダ人も多少は自信を取戻せるのではないかな」
「ロイターズは英国の通信社だが、リアルタイムのニュースではヨーロッパに強い。 一方トンプソンはカナダ企業だが、ニューヨークの取引所にも上場していて、北米の経済市場に通暁している。 欧米の二大情報産業のサービスを統合することによって、世界の最大手の銀行や証券業者に更に強大なデータ・経済情報が供給できるようになるだろう」
「トンプソンは172億USドル払って新会社『トンプソン・ロイターズ』の70%をコントロールするらしいが、そのCEOにはロイターズの人がなるらしい」
「それにしてもこの2社の出だしはささやかなものだったらしいね」
「ロイターズの創始者ポール・ロイターは1816年ドイツでユダヤ教のラビの息子として生まれたが、後にドイツからパリに移り、通信社(後のAFP)でジャーナリストとして働いた。 そして欧州の主要都市から馬車で運ばれてばれてくる新聞をダイジェストして顧客に届けていた。 やがて伝書鳩を飛ばして、各地の株価情報を集めたが、それがロイター通信の始まりだ。 1850年頃ロイターズはロンドンに移り、取引所にオフィスを設けて、ロイター自身も1857年に英国に帰化した。 米国市場の情報は、大西洋航路の船からアイルランド沖で缶に入れたニュースを投じてもらい、それをボートで受けて、直ちにロンドンに流したから、船が港に着く前に情報は届いていた。 それから電信の時代に移り、技術革新とともにロイターズの業績も発展。 ディジタルの到来を迎え、創業者が1899年に亡くなった後もロイターズの名声は衰えをみせない」
「ロイ・トンプソンは1894年トロントで理髪師の息子として生まれた。 長じてマニトバで農業を営んだこともあったが、オンタリオの田舎でラジオを売り始めた。 ところが当時はラジオを聴く人がいない。 そこでラジオ局を手に入れ、ローカルの人が聴くような放送を始めた。 そして1934年、200ドルで地方新聞を購入。 これがメディア・エンパイアの始まり。 次々と地方紙やラジオ局を買い、1950年代には英国に進出。 主要紙を買収し、1957年には商業テレビに手を拡げた。 ロイ・トンプソンが『テレビはお金をプリントするライセンスだ』と言ったのは有名。 新聞はカナダ、米国、英国で200紙にのぼり、1966年にはロンドン・タイムズまで傘下におさめた。 手掛けた事業は、美容院からアイスクリームのコーンまで多彩だが、本筋は出版、印刷、テレビ、旅行業、石油開発など。 1964年英国の男爵に叙せられたが、そのためにはカナダ国籍を放棄しなければならなかった。 1976年に亡くなったが、二代目のケン・トンプソンも、実業家として群を抜き、父親の遺した事業を数倍に増やし、世界でもトップクラスの資産家となった。 しかし人柄は地味で丁寧。 倹約家としても有名だったが、2006年に亡くなった。 その後トンプソン・コーポレーションのCEOにはトンプソン家以外の人が就任し、新聞事業から経済情報産業への変身をはかろうとしている」
(07/05/20)

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