妻も戻りルーティンも戻りました(05-5-30)
独り住まいも終わり、ワイフが帰ってきて、体操や散歩をボツボツやらされています。 3週間の私のホリデーもおしまいです。 また来年の5月まで、ブロッコリーとカリフラワー、野菜サラダにヨーグルトかと思ったら、来年は、義母の希望で、里帰りもお休み。 義母は91才。 今でも毎週火曜日はダブルスながらテニスをやっているのですが、そんな人でも、年に3週間二人の娘が戻ってきて、さほど大きくもない家にいると、疲れるらしいのです。 その娘も70なんですから、出かける方としても、1年おきになれば、助かると、本音をもらしています。
小森宗太郎という人のことは、日本列島の端にいても、新響や日響の尾高尚忠とかローゼンシュトックというマエストロ達の名前と共に、畏れ多くも承っていました。 海軍軍楽隊出身の小森宗太郎とい日響の理事がいて、その禿げ頭がティンパニーの席にいないと、オーケストラが締まらないんだと、東京帰りの音楽通に聞いたものです。 リズム感を養うために、ロシアでダンスも習ったのですか。 それともあれは伝説かな? それにしても、貴兄も椿事に出くわしたものですね。 小森さんの子息は慶應の医学部だったのに、やはり音楽の道に進んだと聞いて、いずれはそのうち日本の音楽系譜を飾ることになるのではと思います。
まあ、私の音楽の素養は、音楽之友あたりで読みかじった付け焼刃。 それに比べ、貴兄はN響の会員だったのですから、仕込が違います。 村田先生も、答案の行間を読みとって、AとCの差をつけたのでしょう。
ディアナ・ダービンがカナダの人だったとは知りませんでした。 1970頃、BBCラジオを聴いていたら、イングランドの田舎の婦人が、村でディアナ・ダービンに出会った話をしていました。 あの映画から30年以上経っていた筈ですが、一目みて判ったのですから、美貌と眼の輝きは変わらなかったのだろうと想像します。 私は椿姫のオペラを観たことがないのですが、乾杯の歌を聞くと、ディアナ・ダービンの顔が浮かんできます。 アパートでフルーティストの弾くピアノで、彼女が歌う曲。 あれも、あの映画以外で聴いたことがないのですが、忘れられない魅力的な曲です。
「えり子とともに」というドラマで、お姉さまが音楽を担当しておられたのですか。 有名な連続ドラマでしたが、そのストーリーを覚えていないというのは、その頃自分は何をしていたのやらと、菅原電機の名とともに、記憶がタバコの煙のように消えていったことを少し寂しく思います。
ご姉妹とも長い間お会いになる機会がないと伺って、我が身を振り返ってみると、私もたった一人の弟がここから車で20分ぐらいの所に住んでいるのに、半年以上会っていません。 電話では時々話すのですが、絵を描いたり、ブログを書いたりして、忙しくしているようです。 思いついて明後日訪ねてみることにしました。
貴兄のノートを借りた奥井さんがトップの成績で出たのですか。 それは全くの初耳でした。 恒川君が、ボート部で忙しく、級友のノートを借りて、いい成績をとっていたのは知っていましたが。 奥井さんは、修道院に入られたのではなかったでしょうか。 私には遠い世界の人のように思えました。
小森宗太郎という人のことは、日本列島の端にいても、新響や日響の尾高尚忠とかローゼンシュトックというマエストロ達の名前と共に、畏れ多くも承っていました。 海軍軍楽隊出身の小森宗太郎とい日響の理事がいて、その禿げ頭がティンパニーの席にいないと、オーケストラが締まらないんだと、東京帰りの音楽通に聞いたものです。 リズム感を養うために、ロシアでダンスも習ったのですか。 それともあれは伝説かな? それにしても、貴兄も椿事に出くわしたものですね。 小森さんの子息は慶應の医学部だったのに、やはり音楽の道に進んだと聞いて、いずれはそのうち日本の音楽系譜を飾ることになるのではと思います。
まあ、私の音楽の素養は、音楽之友あたりで読みかじった付け焼刃。 それに比べ、貴兄はN響の会員だったのですから、仕込が違います。 村田先生も、答案の行間を読みとって、AとCの差をつけたのでしょう。
ディアナ・ダービンがカナダの人だったとは知りませんでした。 1970頃、BBCラジオを聴いていたら、イングランドの田舎の婦人が、村でディアナ・ダービンに出会った話をしていました。 あの映画から30年以上経っていた筈ですが、一目みて判ったのですから、美貌と眼の輝きは変わらなかったのだろうと想像します。 私は椿姫のオペラを観たことがないのですが、乾杯の歌を聞くと、ディアナ・ダービンの顔が浮かんできます。 アパートでフルーティストの弾くピアノで、彼女が歌う曲。 あれも、あの映画以外で聴いたことがないのですが、忘れられない魅力的な曲です。
「えり子とともに」というドラマで、お姉さまが音楽を担当しておられたのですか。 有名な連続ドラマでしたが、そのストーリーを覚えていないというのは、その頃自分は何をしていたのやらと、菅原電機の名とともに、記憶がタバコの煙のように消えていったことを少し寂しく思います。
ご姉妹とも長い間お会いになる機会がないと伺って、我が身を振り返ってみると、私もたった一人の弟がここから車で20分ぐらいの所に住んでいるのに、半年以上会っていません。 電話では時々話すのですが、絵を描いたり、ブログを書いたりして、忙しくしているようです。 思いついて明後日訪ねてみることにしました。
貴兄のノートを借りた奥井さんがトップの成績で出たのですか。 それは全くの初耳でした。 恒川君が、ボート部で忙しく、級友のノートを借りて、いい成績をとっていたのは知っていましたが。 奥井さんは、修道院に入られたのではなかったでしょうか。 私には遠い世界の人のように思えました。

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