日系人のことども (2006/12/14)[s]
イノさんへ
先日、「戦時中、日系人の私有財産は没収されなかったのか」というご質問をいただきましたが、厳密には「没収」とは言えなくても、事実上は没収に近い形で財産を失ったという話を聞いています。
1941年12月太平洋戦争が勃発して間もなく、バンクーバーにいた日系人2万人は、博覧会場にあった家畜共進会の厩舎に集められ、それから鉄道で奥地に送りこまれたのでした。 そこは人里離れた原野や廃鉱になったゴーストタウンでしたが、当時カナダ連邦警察は移動に反対したものの、反日的な政治家の意思によって強制移動が行われたものです。
そして私有財産の家や漁船は、持主には断り無く、政府によって二束三文で競売に付され、その名目的な僅かな売却代金を収容所にいる日系人に押し付け、事足れりとしたようです。 敵国民扱いの日系人の中には、第一次大戦にカナダ軍兵士として参戦した元将兵もいたのですが、抗議することも許されず泣き寝入りをせざるを得なかったのでしょう。
収容所に移された時、幼児だったかまだ生まれていなかった三世や四世は、戦後だいぶ経って、自分達の親が受けた仕打ちに憤慨し、補償請求の運動を起こしました。 こうした運動はカナダに限らず、世界各地の民主主義社会でも共通してみられることかもしれません。 第二次大戦中日本軍の捕虜となった英米オランダ軍の兵士達は、戦争が終わるとその大半が日本を許す気持になったようですが、その捕虜の家族や友達は日本人に対する憎悪を燃やし続けました。 戦後30年近く経ってから天皇がヨーロッパを旅されましたが、その時敵意に満ちた行動が各地でみられました。 北アイルランドの紛争も、源を辿れば数百年昔の故事に遡るのですが、スコットランド系のプロテスタントとアイルランド系のカトリックは昔日の争いを今も忘れずお互いに憎しみを煽っているのもそのたぐいでしょう。 実際に自分達が体験したことのない先祖の恨みを痛切に覚えて、子孫が長く憤怒するのはこれからも果てしなく続くことでしょう。
ですから、戦時中幼児だった作家のジョイコガワさんが、偏見と差別に苦しんだ両親の世代の物語を詩のような麗筆によって描くと、洛陽の紙価を高めることになりました。 その作品を読んだ他の多くのカナダ人も紅涙をしぼって日系人のために同情してくれたようです。
その効果もあったのでしょう。 戦後半世紀近く経って、時の進歩保守党政府が日系人に対して議会で正式に謝罪を行い補償に応じました。 あれは1990年に掛かる頃だったでしょうか。 カナダより一足先に、アメリカで日系人に対する補償が行われたために、カナダでも遅まきながら、そのパターンを追ったのでしょう。 もしアメリカの先例がなかったらどうなっていたかわかりません。 補償の額は、アメリカよりは少ないものでしたが、それでも日系人にとってはこれで一応のケジメがついて胸のつかえがおり、結構でした。
三世四世の中には、コガワさんのほかに活動家もいて、日本から戦後移住した新移民の中の有志も加え、自分達が直接苦しい目にあったわけではないが、親達の苦労を偲んで、政界と世論に訴えました。
しかし、私が直接会った一世二世のお年寄り達によると、別な受け止め方もありました。 その一世二世からは聞いた言葉は次のようなものです。
「戦前の日本人いうと、古着のオーバーを着て、それも袖や裾をつまんで直せばいいのに、ダブダブのままルンペンのような薄汚ない恰好で、あれじゃあ嫌われるのも当然ですよ」
「収容所いうても、ちゃんと生活は保証されとるんでしょ。 戦前は仕事がなくって失業しとった人達も、収容所では暮らしの心配もなし。 日本の皆さんは、戦争で苦労されとったでしょうに、私達はまるでホリデーでしたよ。 盆踊りや野球大会なんかもよく行われて、それは楽しいこともよけいありました」
「それが最近(1990年近くになって)三世四世の若い人達が立ち上がった。 わしらそんな気持はないんやけど、その人達の権幕がすごいのよ。 それでわしら何にも言えんかったんよ」
「そりゃあ、戦前のBCでは、日本人に対する偏見と差別がありましたよ。 今思い出しても、バンクーバーには帰りたくありませんね。 しかし戦時中こちら(ケベック)に来たら、そりゃあ人が親切。 実によくしてくれました。 今ケベックが独立するかもしれんという動きがあるが、あの戦時中のことを考えると、たとえ独立しても、ケベックを去って西部に帰る気にはなれませんよ」
これはCBCで放送された話ですが、まだ戦争が始まる前、日本から移住していたタグチさんという家族がありました。 タグチさんはクリスチャンで、戦時中の扱いにもひと言の不満をもらさず、絶えず感謝の思いで満たされていたそうです。 その子息であるヨシ・タグチ博士は、3才の時に移住してきて、今73才。 収容所で育ったのですが、今のモントリオールで高名な存在。 街を歩くと絶えず市民が挨拶するそうです。 毎日3件の前立腺の手術を行い、60人の患者を診察。その上でマッギル大学で医学部や医局員の指導を行い、かたわらキリスト教や禅について数多くの著作を英語とフランス語で上梓。 タグチ先生に診てもらう患者は「自分だけがタグチ先生の患者。 先生は自分の親友」と思い込んでいるのだそうです。 収容所からこんな素晴しい日系人も生まれたのですね。
カナダの日系作家はコガワさんのほかにもいますが、もうボツボツ戦時中の亡霊から卒業して、人類の普遍的な情感を感動的にうたいあげる、イギリスのイシグロカズオのように芸術的香り高い作品を著わす作家が生まれてもいい時機だと期待しているのですが。
(06/12/14)
先日、「戦時中、日系人の私有財産は没収されなかったのか」というご質問をいただきましたが、厳密には「没収」とは言えなくても、事実上は没収に近い形で財産を失ったという話を聞いています。
1941年12月太平洋戦争が勃発して間もなく、バンクーバーにいた日系人2万人は、博覧会場にあった家畜共進会の厩舎に集められ、それから鉄道で奥地に送りこまれたのでした。 そこは人里離れた原野や廃鉱になったゴーストタウンでしたが、当時カナダ連邦警察は移動に反対したものの、反日的な政治家の意思によって強制移動が行われたものです。
そして私有財産の家や漁船は、持主には断り無く、政府によって二束三文で競売に付され、その名目的な僅かな売却代金を収容所にいる日系人に押し付け、事足れりとしたようです。 敵国民扱いの日系人の中には、第一次大戦にカナダ軍兵士として参戦した元将兵もいたのですが、抗議することも許されず泣き寝入りをせざるを得なかったのでしょう。
収容所に移された時、幼児だったかまだ生まれていなかった三世や四世は、戦後だいぶ経って、自分達の親が受けた仕打ちに憤慨し、補償請求の運動を起こしました。 こうした運動はカナダに限らず、世界各地の民主主義社会でも共通してみられることかもしれません。 第二次大戦中日本軍の捕虜となった英米オランダ軍の兵士達は、戦争が終わるとその大半が日本を許す気持になったようですが、その捕虜の家族や友達は日本人に対する憎悪を燃やし続けました。 戦後30年近く経ってから天皇がヨーロッパを旅されましたが、その時敵意に満ちた行動が各地でみられました。 北アイルランドの紛争も、源を辿れば数百年昔の故事に遡るのですが、スコットランド系のプロテスタントとアイルランド系のカトリックは昔日の争いを今も忘れずお互いに憎しみを煽っているのもそのたぐいでしょう。 実際に自分達が体験したことのない先祖の恨みを痛切に覚えて、子孫が長く憤怒するのはこれからも果てしなく続くことでしょう。
ですから、戦時中幼児だった作家のジョイコガワさんが、偏見と差別に苦しんだ両親の世代の物語を詩のような麗筆によって描くと、洛陽の紙価を高めることになりました。 その作品を読んだ他の多くのカナダ人も紅涙をしぼって日系人のために同情してくれたようです。
その効果もあったのでしょう。 戦後半世紀近く経って、時の進歩保守党政府が日系人に対して議会で正式に謝罪を行い補償に応じました。 あれは1990年に掛かる頃だったでしょうか。 カナダより一足先に、アメリカで日系人に対する補償が行われたために、カナダでも遅まきながら、そのパターンを追ったのでしょう。 もしアメリカの先例がなかったらどうなっていたかわかりません。 補償の額は、アメリカよりは少ないものでしたが、それでも日系人にとってはこれで一応のケジメがついて胸のつかえがおり、結構でした。
三世四世の中には、コガワさんのほかに活動家もいて、日本から戦後移住した新移民の中の有志も加え、自分達が直接苦しい目にあったわけではないが、親達の苦労を偲んで、政界と世論に訴えました。
しかし、私が直接会った一世二世のお年寄り達によると、別な受け止め方もありました。 その一世二世からは聞いた言葉は次のようなものです。
「戦前の日本人いうと、古着のオーバーを着て、それも袖や裾をつまんで直せばいいのに、ダブダブのままルンペンのような薄汚ない恰好で、あれじゃあ嫌われるのも当然ですよ」
「収容所いうても、ちゃんと生活は保証されとるんでしょ。 戦前は仕事がなくって失業しとった人達も、収容所では暮らしの心配もなし。 日本の皆さんは、戦争で苦労されとったでしょうに、私達はまるでホリデーでしたよ。 盆踊りや野球大会なんかもよく行われて、それは楽しいこともよけいありました」
「それが最近(1990年近くになって)三世四世の若い人達が立ち上がった。 わしらそんな気持はないんやけど、その人達の権幕がすごいのよ。 それでわしら何にも言えんかったんよ」
「そりゃあ、戦前のBCでは、日本人に対する偏見と差別がありましたよ。 今思い出しても、バンクーバーには帰りたくありませんね。 しかし戦時中こちら(ケベック)に来たら、そりゃあ人が親切。 実によくしてくれました。 今ケベックが独立するかもしれんという動きがあるが、あの戦時中のことを考えると、たとえ独立しても、ケベックを去って西部に帰る気にはなれませんよ」
これはCBCで放送された話ですが、まだ戦争が始まる前、日本から移住していたタグチさんという家族がありました。 タグチさんはクリスチャンで、戦時中の扱いにもひと言の不満をもらさず、絶えず感謝の思いで満たされていたそうです。 その子息であるヨシ・タグチ博士は、3才の時に移住してきて、今73才。 収容所で育ったのですが、今のモントリオールで高名な存在。 街を歩くと絶えず市民が挨拶するそうです。 毎日3件の前立腺の手術を行い、60人の患者を診察。その上でマッギル大学で医学部や医局員の指導を行い、かたわらキリスト教や禅について数多くの著作を英語とフランス語で上梓。 タグチ先生に診てもらう患者は「自分だけがタグチ先生の患者。 先生は自分の親友」と思い込んでいるのだそうです。 収容所からこんな素晴しい日系人も生まれたのですね。
カナダの日系作家はコガワさんのほかにもいますが、もうボツボツ戦時中の亡霊から卒業して、人類の普遍的な情感を感動的にうたいあげる、イギリスのイシグロカズオのように芸術的香り高い作品を著わす作家が生まれてもいい時機だと期待しているのですが。
(06/12/14)

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