想像で膨らむ怒り (07/01/27)[s]
イノさんへ
「記憶の書換え」という言葉は初めて聞きました。 面白いですね。
ワシントンの上院公聴会の席で、クリントン、ブッシュの両大統領に仕えた安全保障問題担当の元次席補佐官が、ホワイトハウスの側近の言葉について、「クリエーティブ・メモリー」だと評していました。 恐らくそれら側近の発言が真実から遠いことをついた表現だったのでしょう。 それにしても、「独創的な記憶」とは味のある表現だと思いました。
ひと月ほど前、南アルバータのレスブリッジ市に最近移住された山田さんからコメントをいただきました。 そして私の小文に「?」をつけて、疑念を投げかけておられました。 また、「日系教会などに聞いてみては如何ですか」というアドバイスも下さいました。 強制収用された日系人の孫や曾孫の人達によると戦時中は随分苦労されたとということでした。
実は私も30年以上前にカナダに移住してきたのですが、日系人の教会にうかがい、長老の一世や二世の方々からお話をうかがいました。 たしかに農業の経験のない方々はアルバータで初めて砂糖大根を栽培し、苦労されたことでしょう。 しかしそうした俄か農民の中から、500エーカー1000エーカーの農場主となり、やがてミリオネアとしてリタイアされた成功者のお話をうかがいました。
特にレスブリッジを中心に南アルバータで、日系人の伝道と福祉に尽くされた中山吾一牧師は、私もバンクーバーで親しくさせていただき、戦中戦後の日系社会についてお話をうかがいました。 お嬢さんのジョイ・コガワさんにもお会いしましたが、コガワさんの書いた日系人の物語が「おばさん」という小説となり、読者の紅涙をしぼらせる名作として高く評価されています。 しかしコガワさんも、戦時中は幼女だったわけで、追憶に創造性を加え、詩のような英語で読者を魅了したのでしょう。
しかし、山田さんがお会いになられた孫や曾孫の人達は、当時まだ生まれていなかったわけで、その人達が親や祖父母の苦労に義憤を感じ、頭の中で悲劇を創りあげ、ふくらませていった情熱を、山田さんも感じとられたのではないかと想像します。
昭和天皇がロンドンを旅行された時、お手植えの若木が切り倒され、「我々は忘れない」と書いた紙片が残されていましたが、この蛮行を行った英国の若者も、戦争を体験しなかった世代です。 オランダで天皇の車を囲んで乱暴をした若い群衆も然りでしょう。
私もイギリスやカナダで、日本軍の捕虜だった人達に会ったことがありますが、ひと言の恨みがましい言葉や表情は見せませんでした。 ただケンブリッジ地方には日本軍の捕虜になった人達が多いらしく、戦後暫くは日本人を泊めないホテルもあったとか聞きました。 日本軍の捕虜になったある作家は、BBCの放送で、戦場で対決した日本兵のことを「ジェントルマン」と呼んでいたのには驚きました。
終戦直後の混乱の中で私が旅した折、収容所から解放された痩躯長身の捕虜達が満員の列車に乗ってきました。 そしてチョコレートやチュウインガムを車内の日本人乗客に分け与えていましたが、忘れられない光景です。
北アイルランドでスコットランド系プロテスタントとアイルランド系カトリック教徒の抗争が続いていますが、17世紀からの紛争が21世紀になっても尾をひいています。 これも祖先の受けた敗北と屈辱を子孫が頭の中で膨らませ、、血なまぐさい怨恨となって根付いているのでしょう。
イノさんが指摘しておられた中国の若者による反日行動も、置き換えられた記憶のせいでしょうね。 東京大空襲や原爆にあった人達も今の心境は風化して平静なのかもしれませんが、将来孫曾孫の代になったら突如再燃するような可能性はないでしょうか。 私にとっても FORGIVE AND FORGET は至難の宿題なのです。 (07/01/27)
「記憶の書換え」という言葉は初めて聞きました。 面白いですね。
ワシントンの上院公聴会の席で、クリントン、ブッシュの両大統領に仕えた安全保障問題担当の元次席補佐官が、ホワイトハウスの側近の言葉について、「クリエーティブ・メモリー」だと評していました。 恐らくそれら側近の発言が真実から遠いことをついた表現だったのでしょう。 それにしても、「独創的な記憶」とは味のある表現だと思いました。
ひと月ほど前、南アルバータのレスブリッジ市に最近移住された山田さんからコメントをいただきました。 そして私の小文に「?」をつけて、疑念を投げかけておられました。 また、「日系教会などに聞いてみては如何ですか」というアドバイスも下さいました。 強制収用された日系人の孫や曾孫の人達によると戦時中は随分苦労されたとということでした。
実は私も30年以上前にカナダに移住してきたのですが、日系人の教会にうかがい、長老の一世や二世の方々からお話をうかがいました。 たしかに農業の経験のない方々はアルバータで初めて砂糖大根を栽培し、苦労されたことでしょう。 しかしそうした俄か農民の中から、500エーカー1000エーカーの農場主となり、やがてミリオネアとしてリタイアされた成功者のお話をうかがいました。
特にレスブリッジを中心に南アルバータで、日系人の伝道と福祉に尽くされた中山吾一牧師は、私もバンクーバーで親しくさせていただき、戦中戦後の日系社会についてお話をうかがいました。 お嬢さんのジョイ・コガワさんにもお会いしましたが、コガワさんの書いた日系人の物語が「おばさん」という小説となり、読者の紅涙をしぼらせる名作として高く評価されています。 しかしコガワさんも、戦時中は幼女だったわけで、追憶に創造性を加え、詩のような英語で読者を魅了したのでしょう。
しかし、山田さんがお会いになられた孫や曾孫の人達は、当時まだ生まれていなかったわけで、その人達が親や祖父母の苦労に義憤を感じ、頭の中で悲劇を創りあげ、ふくらませていった情熱を、山田さんも感じとられたのではないかと想像します。
昭和天皇がロンドンを旅行された時、お手植えの若木が切り倒され、「我々は忘れない」と書いた紙片が残されていましたが、この蛮行を行った英国の若者も、戦争を体験しなかった世代です。 オランダで天皇の車を囲んで乱暴をした若い群衆も然りでしょう。
私もイギリスやカナダで、日本軍の捕虜だった人達に会ったことがありますが、ひと言の恨みがましい言葉や表情は見せませんでした。 ただケンブリッジ地方には日本軍の捕虜になった人達が多いらしく、戦後暫くは日本人を泊めないホテルもあったとか聞きました。 日本軍の捕虜になったある作家は、BBCの放送で、戦場で対決した日本兵のことを「ジェントルマン」と呼んでいたのには驚きました。
終戦直後の混乱の中で私が旅した折、収容所から解放された痩躯長身の捕虜達が満員の列車に乗ってきました。 そしてチョコレートやチュウインガムを車内の日本人乗客に分け与えていましたが、忘れられない光景です。
北アイルランドでスコットランド系プロテスタントとアイルランド系カトリック教徒の抗争が続いていますが、17世紀からの紛争が21世紀になっても尾をひいています。 これも祖先の受けた敗北と屈辱を子孫が頭の中で膨らませ、、血なまぐさい怨恨となって根付いているのでしょう。
イノさんが指摘しておられた中国の若者による反日行動も、置き換えられた記憶のせいでしょうね。 東京大空襲や原爆にあった人達も今の心境は風化して平静なのかもしれませんが、将来孫曾孫の代になったら突如再燃するような可能性はないでしょうか。 私にとっても FORGIVE AND FORGET は至難の宿題なのです。 (07/01/27)

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