Wednesday, January 31, 2007

無実の罪 (2007/01/25)[s]

イノさんへ

先日いただいたイノさんのエッセーには、刑期を終えた人達の中に、あらためて冤罪を主張する人が多いということが記載されていました。 そして、そういったケースの殆んどは「記憶の書き換え」によるものではないかというご指摘を拝読しました。 たしかにそういうことも多々あるでしょう。 

カナダであったケースですが、里親に育てられた兄妹が、里親に性的乱暴をされたと言い出し、育ての親を地獄に陥れたことがありました。 少年少女の言葉をソーシャルワーカーや警察は疑いもなく信じたのですね。 しかし成人してから、その兄妹は前言をひるがえし、あれはつくりごとであったことを告白しました。

カナダのメディアが伝えるところによると、無実の人を、警察や検察が、ジャンバルジャンを追い詰めたジャベールのように、使命感をもって、証拠不十分のまま、有罪におとしいれることが珍しくありません。 そうした犠牲者が、DNAその他の新しい証拠で無実であることが証明されても、頑なに自分の誤ちを認めようとしない元警官の例がよく伝えられます。 

ごく最近のことですが、1959年に、当時14才だった男性が、殺人罪に問われて、絞首刑の判決を受けました。 幸い執行されなかったからよかったものの、今になって無実が証明され、審理再開の運びとなったことが報じられています。 しかし検察は50年前の事件の再審に抵抗しているということもあわせて伝えられています。 
 
カナダの司法制度は世界の中ではいい方でしょう。 それでもパーフェクトとは言えません。被疑者の多くが先住民や有色人種であるということからしても、警察も最初から偏見を持って事件の捜査に当っているのではないかと問題視されています。 

被疑者の多くは、教育程度も知能程度も低く、普段から疑惑を持たれていることがわざわいして、警官も検事も十分な証拠のないまま「記憶の書換え」を迫り、獄中に囮の警官を録音装置つきで忍ばせ、犯罪を自白させることが今でも行われています。 また被疑者に有利な証拠があっても弁護側にはそれを知らせないなど、司直の公正さに不備があることも暴露されることがあります。 

アメリカでも、死刑を執行された黒人が、後日DNAの立証で、実は冤罪であったれ例に事欠かないようです。 特にテキサスでは、他州に比べて死刑が圧倒的に多いことが注目されています。 一方、ミシシッピーでは43年前にクークラックスクランによる黒人少年の惨殺が行われたことが明るみに出て犯人が逮捕されました。 これも40年前にはいったん逮捕されながらも、無罪釈放となったケースです。 昔の南部では、白人が黒人を殺しても白人の陪審員はそれを罪とみなさなかったわけです。 

数年前、ミシガン州知事が退任の置き土産として、死刑囚を全員無期懲役に減刑したことがありました。 死刑囚のケースを丹念に調べたところ、司直の手に公正を欠く判断が多かったことが判ったからだということでした。 ミシガンでも、警察や検察の先入観による「記憶の書き換え」が行われていたのかもしれません。  

カナダに住んでいても、LIFE IS UNFAIR と思うことがあります。 ロンドンのオールドベイリーの裁判所には公正を司る女神の像が天秤と剣をもち目隠しをして立っています。 カナダの司法界にも同じ女神の叡智と正義が行きわたることを願うものです。     (07/01/25)

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