Saturday, May 07, 2005

安心しました(05-5-7)

一人住まいを満喫?されているようで、すこし安心しました。学生時代は、そういうことは判りませんでした。いつも笑顔で友人と話していた貴兄しか記憶にありません。

ところで、昨日NHKで終戦60年企画の「望郷」というドキュメンタリードラマを見たのですが、感情の高ぶりを抑えきれない素晴らしさでした。
1945年、軍医の渡辺大尉はシベリアの収容所でアールヒップというルーマニア兵と知り合います。ルーマニアは当初、日独伊三国同盟に参加しており、そのため彼はドイツ兵として戦い、ソ連の捕虜になったのです。そして、彼と渡辺大尉の間にドイツ語の会話を通じて、友情が芽生えていきます。
1946年アールヒップはさらに奥地の収容所に移されることになり、婚約者からわたされ、隠し持っていた婚約指輪を渡辺に託します。渡辺は着ていた下着までを差し出します。
そして1948年渡辺は帰国。ところが、1992年になってアールヒップから手紙が届くのです。
そして、56年ぶりに2002年、二人はブカレストの病院で再会を果たすのです。
脳梗塞と腎臓病で寝たまま、口も殆ど利けないアールヒップが渡辺の顔を見て、穏やかな笑顔を見せ、渡辺は慟哭するばかり。

この再会シーンはホームビデオで撮影されたものでしたが、このシーン一つで、戦争の悲劇、酷寒のシベリア、過酷な収容所生活、全てを髣髴させるものでした。
収容所のシーンは北海道にロケしたようですが、よく出来ていました。

真実のもつ迫力は、作られたドラマより何倍もの迫力があることを証明してくれました。
この渡辺大尉は現在、90歳で東京に住まわれているとのこと。

シベリア抑留では、いろいろな秘,悲話があり、映画「ひまわり」の日本版ともいえる、1945年朝鮮でスパイ容疑で捕まり、10年の刑期でシベリアの収容所に送られた日本兵がソ連女性と結婚し、シベリアに住んでいてたまたま日本に手紙を出したら、妻子が生きていたという話。
これは、映画と異なり、クラウデイアという37年間共に暮らした女性が夫を日本に返したのです。
これは、1997年当時マスコミが大きく取り上げたので、かなり話題になりました。

また、シベリアの収容所で非常に文学的才能を発揮した山本靖男という日本兵の死を悼み、同僚の兵士数人で彼の遺書を丸暗記し、{帰国時の荷物検査で書いたものはみな取り上げられる}帰国後、奥さんにその遺書を伝えた話、など数多くの悲話を耳にしています。

でも、戦争の悲劇を本当に伝えられる人は死んだ方ですから、全ては永久に語られることはないでしょう。たとえば、ニューギニアは日本軍は16万のうち、15万人が戦死か餓死、帰国できたのは1万人で損耗率93%。そのためか、ニューギニアの戦争を書いたドキュメントは極めて少なく、そのひどさは意外に知られていません。連合軍も、米4千人、オーストラリア軍8千人が亡くなったと言われています。因みに、日本軍の司令官安達二十三中将は、戦後、ラバウルで部下を多数死なせた責任をとると言って、自決しています。

亡くなった方より、生きて帰った方の人数が多いほうが、話が沢山あま伝わるのは当然かもしれませんが、寂しい悲しいことです。
カナダでも、戦争の悲劇の本は数多く出ているのでしょうか。
小生、前に戦争のことを1冊書きたくて取材を始めたのですが、家内の病気で断念しました。

「望郷」のビデオはとってありますが、カナダで日本のVHSタイプで見れますか?
見れるのなら奥様の実家にでも、お送りしましょうか。もしかすると、奥様もご覧になっておられるかもしれませんが。
もし、入用なら遠慮なくお申し越し下さい。では、また。

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