Re: 大変ですね(05-5-7)
お見舞いいただいて恐縮です。 黙って食卓にすわれば食事が出ている。 洗濯物を籠に入れておけば、タンスの引き出しに畳んでしまってある。 そんな人的オートメーションから3週間スイッチオフして、多少の不自由を感じるのも、人生のサンセットを迎える者にはいいディシプリンかもしれません。
それに、私は一人でいるのが大好き。 日本にいた頃、会社の仲間とスキーの旅に行って、スキーの出来ない私だけが、一人宿屋のコタツに残っていたのですが、後日取引先の人が、「その時、アナタは実に幸せそうな顔をしていたと、Oさんが言ってましたよ」と言うので、「ハテ、どんな顔をしていたことやら」と頭をかきました。
息子も、昔、「暮らしに心配がなければ、一人でいるのが最も幸せ」と言っていましたが、私の母親や祖母のことを思い出しても、割合孤独に強い家系なのかもしれないと思います。
家内は、その逆の寂しがりやで、「一人で食事するより、嫌な人でも一緒に食べた方がいい」と言いますから、その方が人間として当たり前の感覚なのでしょう。
私は、こちらで、日本人と出会うと、つい舌の方が勝手にまわりだし、心にも無いことをベラベラ喋って、後で悔やむ始末。 ですから、「ノースピーク・イングリッシュ。 ノースピーク・ジャパニーズ」と無学のアジア難民を装うようにしています。 家内は特に人怖じする方ではないので、カナダ人とも日本人とも自然に話をしていますから、我が家のコミュニケーション・ディレクターといったところです。 牧師の母親としては適任だと思います。
「未完成交響楽」とは懐かしいですね。 私も戦前子供の頃みて、戦後直ぐ鹿児島の焼け跡のバラック映画館でもう一度みたのが最後です。 「泉の畔」の少女達の歌声が今でも蘇ってくるのですが、そんな場面があったでしょうか。
「オーケストラの少女」の英語の題名が判らなくて、ビデオ店で、ストコフスキーとディアナ・ダービンの名前から逆引きしてもらい、「100人の男達と一人の少女」と判明。 アマゾンから取り寄せ、楽しんでいます。
「カナダこのごろ」は、確かに今の私にとって「生きがい」の役割を果たしているかもしれません。 部数は減る一方です。 今年初め780だったのが、昨日は711に減っていました。 「カナダ」と銘打ちながら、カナダに関係のない、昭和一桁の右寄りの表現が多いので、「赤毛のアン」的情緒を期待する人達が愛想をつかしたのではないかと考えています。
ただ子供達は日本語が読めないので、傍目八目の批判もアイディアも彼等からは期待できません。 しかしこれは親の責任です。
子供達が小さかった頃、一時、日本語学校に通わせたこともありましたが、日本語学校は宿題が大変。 ということは親が宿題をやらされるわけです。 そして、PTA,運動会、学芸会。 教師も親も、常に目は日本に向けられています。 先生によっては、「自宅では英語使用禁止」を強調する人もいました。 そしてある日先生に、「重松さんには会計をやってもらおうかしら」と言われたので、「もうこれまで」と、子供達を退学させました。
こちらの学校に日本人の子供が転入学すると、校長先生は、「出来ないのは英語だけですから」と、親を安心させるそうです。 一方、日本の学校では、「国語が出来ないから」と横滑りの転入学を渋るそうですね。
私は日本に帰るつもりがなかったので、子供達がバイリンガルになるチャンスを奪ったわけですが、息子2人は、牧師とラジオと、それぞれ英語で通じる仕事に就いています。 娘も、一人はABC/ディズニーを経て現在シリコンバレーで映画製作。 後の2人はカリフォルニアとモントリオールでそれぞれ学校教師と、英語でなんとか食っているので、無責任父親としてはヤレヤレです。
これは負け惜しみの弁になりますが、二世三世でカナダで卓越した業績をあげている日系カナダ人は、ほとんど日本語が出来ません。 日英両語に堪能な神童達は、宮沢賢治の言葉を借りると、二十歳超えればただの人。 ガイドになったり、お土産店に勤めたり。 日本では英語のできる人は「英語屋」として軽く見られ勝ちですが、カナダ西海岸でもなまじ日本語ができる人は「器用貧乏」になるのかな? 多分私の誤解だと思いますが。
それに、私は一人でいるのが大好き。 日本にいた頃、会社の仲間とスキーの旅に行って、スキーの出来ない私だけが、一人宿屋のコタツに残っていたのですが、後日取引先の人が、「その時、アナタは実に幸せそうな顔をしていたと、Oさんが言ってましたよ」と言うので、「ハテ、どんな顔をしていたことやら」と頭をかきました。
息子も、昔、「暮らしに心配がなければ、一人でいるのが最も幸せ」と言っていましたが、私の母親や祖母のことを思い出しても、割合孤独に強い家系なのかもしれないと思います。
家内は、その逆の寂しがりやで、「一人で食事するより、嫌な人でも一緒に食べた方がいい」と言いますから、その方が人間として当たり前の感覚なのでしょう。
私は、こちらで、日本人と出会うと、つい舌の方が勝手にまわりだし、心にも無いことをベラベラ喋って、後で悔やむ始末。 ですから、「ノースピーク・イングリッシュ。 ノースピーク・ジャパニーズ」と無学のアジア難民を装うようにしています。 家内は特に人怖じする方ではないので、カナダ人とも日本人とも自然に話をしていますから、我が家のコミュニケーション・ディレクターといったところです。 牧師の母親としては適任だと思います。
「未完成交響楽」とは懐かしいですね。 私も戦前子供の頃みて、戦後直ぐ鹿児島の焼け跡のバラック映画館でもう一度みたのが最後です。 「泉の畔」の少女達の歌声が今でも蘇ってくるのですが、そんな場面があったでしょうか。
「オーケストラの少女」の英語の題名が判らなくて、ビデオ店で、ストコフスキーとディアナ・ダービンの名前から逆引きしてもらい、「100人の男達と一人の少女」と判明。 アマゾンから取り寄せ、楽しんでいます。
「カナダこのごろ」は、確かに今の私にとって「生きがい」の役割を果たしているかもしれません。 部数は減る一方です。 今年初め780だったのが、昨日は711に減っていました。 「カナダ」と銘打ちながら、カナダに関係のない、昭和一桁の右寄りの表現が多いので、「赤毛のアン」的情緒を期待する人達が愛想をつかしたのではないかと考えています。
ただ子供達は日本語が読めないので、傍目八目の批判もアイディアも彼等からは期待できません。 しかしこれは親の責任です。
子供達が小さかった頃、一時、日本語学校に通わせたこともありましたが、日本語学校は宿題が大変。 ということは親が宿題をやらされるわけです。 そして、PTA,運動会、学芸会。 教師も親も、常に目は日本に向けられています。 先生によっては、「自宅では英語使用禁止」を強調する人もいました。 そしてある日先生に、「重松さんには会計をやってもらおうかしら」と言われたので、「もうこれまで」と、子供達を退学させました。
こちらの学校に日本人の子供が転入学すると、校長先生は、「出来ないのは英語だけですから」と、親を安心させるそうです。 一方、日本の学校では、「国語が出来ないから」と横滑りの転入学を渋るそうですね。
私は日本に帰るつもりがなかったので、子供達がバイリンガルになるチャンスを奪ったわけですが、息子2人は、牧師とラジオと、それぞれ英語で通じる仕事に就いています。 娘も、一人はABC/ディズニーを経て現在シリコンバレーで映画製作。 後の2人はカリフォルニアとモントリオールでそれぞれ学校教師と、英語でなんとか食っているので、無責任父親としてはヤレヤレです。
これは負け惜しみの弁になりますが、二世三世でカナダで卓越した業績をあげている日系カナダ人は、ほとんど日本語が出来ません。 日英両語に堪能な神童達は、宮沢賢治の言葉を借りると、二十歳超えればただの人。 ガイドになったり、お土産店に勤めたり。 日本では英語のできる人は「英語屋」として軽く見られ勝ちですが、カナダ西海岸でもなまじ日本語ができる人は「器用貧乏」になるのかな? 多分私の誤解だと思いますが。

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