Tuesday, July 31, 2007

書中お見舞い有難うございました (2007/07/30)[o]

やっと夏休みが取れそうで、貴兄の眼もホッとしていることでしょう。

私の白内障は、進行を遅らせるカリーユニという目薬のお陰で、まだ何とか持ちこたえています。
これで視力が落ちたら、即、手術でしょう。

3カ月に一回見てもらっていますが、夏の紫外線は目に良くないようでいつもサングラスをかけています。

体調は暑くなってきたお陰であまりよくはありませんが、これも年の所為と諦めています。

看病疲れで一人旅に出たいのですが、家内は首を縦に振らない状態でこのまま暑い夏を過ごしそうです。
蒲団の出し入れだけでも疲れる年になったと痛感します。

先日の選挙で自民党が小気味よく大敗してくれたので、少しは貧乏庶民にも分け前が出てくるかも。

毎月の年金は健康保険料、介護保険料、ガソリンを初め生活用品の値上がりで、昨年より赤字が大幅に増えました。
保険料だけで月に2万位高くなり、家賃3万9千円という安い団地暮らしなのにたまりません。
自民党がかっての細川政権にとって代わられる時代は、意外に早く来るかも。

安倍晋三は人柄は悪くないかもしれませんが、統率、指導力、判断力に欠け、首相として失格です。

もう、先行き短い我々のことを少しは考えてくれる人が出てきてもらわないと。

ただ、未だに薩長の亡霊がうろうろして凄く不愉快です。
明治維新ではあるまいし、派閥をこんな形で残してほしくはありません。

哲郎さんが同居されているようで、貴兄もお爺さんとして忙しいのでは……。

秋には一度娘に会いに行こうかなと思っていますが、どうなるか。

貴兄の眼がこの夏休みに少しでも良くなるよう、願っています。
良い医者がいたら必ず、診断を受けて下さい。

ではまた。 (07/07/30)

Saturday, July 28, 2007

暑さのお見舞い申し上げます (2007/07/28)[s]

インターネットで日本の新聞の見出しをみると、日本も暑いようですね。 こちらは、稚内か樺太なみの緯度といっても、公園では、上半身裸の男性がいます。 女性のトップレスは、もし居たとしても、私の視力では、問題外です。

私の方は相変わらず。 目がますます見えなくなったとぼやいているのですが、4ヶ月ごとに目をチェックしてくれる二人の眼科医は、「前回と変わらず、悪くなっていない」と言うので、私の方が嘘をついているのかな?

しかし理解力は落ちています。 30年前、40年前に録音したBBCの番組をカセットで聴いてみても、30年前には半分判ったつもりでいたのに、今は2%ぐらいしか聞き取れないので、愕然としています。 

どうかお元気で。 (07/07/28)

Friday, July 13, 2007

いつも愚痴ばかり (2007/07/13)[o]

哲郎さんは残念でしたね。ずっと、気になっていました。一度しかお目にかからないのに印象が強く、あの言動を見ていると俳優向きだと私は見たのですが、アメリカよりカナダの方が向いているかもしれません。
一度映画は見たく思っていましたが、いつか機会を得たいと思っています。
私も、子供の人生は親が口出ししないとの信念で、一回も、どうの、こうのと言ったことはありません。
自分で人生を作らねば後で後悔します。
私は親父の言うままに化学の会社に入り、結局、辞めて放送作家になるのに7年ロスしました。これは、ずっとマイナスで作用しました。
子供には、アドヴァイスはするが、自分の意志で動けと言ってあります。私が責任を取れる問題ではないのですから当然だと思っています。
哲郎さんもいつか自分で花を咲かせるときを作られるでしょう。心配でしょうが、親はそれをじっと見ているしかありません。
国会議員の嫁になってしまった娘も、大変な忙しさのようで2年間名古屋から東京にも来れません。でも、それが娘の人生ですから、私もいまだに合いにも行かず、手紙だけを出し続けています。
孫の顔は当分、お預けのようです。

貴兄の病いは奥様も心配されているようで、それなら、きっと良くなります。私の如くだれも知らず心配もしてくれない病気は、私が医者に駆け込まない限り、直しようもありません。ただ、家内の看病でそんな長期にわたる時間を作れるはずもなく、ほっておいています。
家内はあれから寝たまま、私の家事で食事は何とか食べてもらっていますが、以前の元気はなく、また全部やり直しかと思います。今日も医者に行こうといったら拒否され、起きません。
鬱は看病人もダメにするというのは本当です。
テレビで高嶋忠夫の10年間の鬱の、看病・全快までをやっていましたが、奥さんの寿美花代から息子まで家族全員で看病したのでしょうし、おそらくお手伝いさんもいたでしょう。
私の如く一人でやっているものは、いつまで体力が持つかです。
せっかく良くなっていたのにダメにしたのは私の責任ですから、自分でやり直します。
貴兄は奥様がそれだけ心配されているのですから、偶には任せてみたら…。
その方が気楽に文句も言えて、良いかも。

いつも愚痴ばかりの私のメールに付き合って頂き恐縮です。
お互い、メールでうさん晴らしをするのも、健康にいいかも。 (07/07/13)

こちらの近況 (2007/07/13)[s]

昨晩次男一家がモントリオールから大きな荷物を持ってバンクーバーに帰ってきました。 

CBCを辞めたのが1年半前。 ロスアンゼルスに移ったものの一向芽が出ず、今月モントリオールの映画祭に自作を出品。 

試写会は400人収容の劇場で行われたのですが、07年07月07日の土曜日と、目出度い数字をつらねた日にかかわらず、成功というか失敗というか、ミックスのリザルトに終わりました。 

入場希望者が800人も並んで、入れなかった人達が怒り出す始末。 アンコールショーを主催者が行うことで一応おさまったそうですが、小口の投資家はあってもディストリビューターのコンタクトは無し。

 出費ばかりで収入は無く、無一文でバンクーバーに舞い戻ってきた次第です。

バンクーバーの映画祭は9月。 それに出品できるかどうかは、こちらの主催者の思惑次第。 

それまでどうするのか親の私にもわかりませんが、足を水中でバタバタさせて、前進も沈没も出来ない立ち泳ぎになるのではないかと思います。 

私のケースは相変わらず。 実は私の甥が心の病いで入退院を繰り返しているのですが、その細君や両親の心痛をみると、私の亡霊など物の数ではありません。

しかし、3人の臨床心理学者、2人の神経科医、1人の精神科医に診てもらっても効果がなかった私は、なかば諦めているのですが、今度は家内が見かねて、自分でサイコロジストとアポイントメントをとって、私のケースを相談することにしています。 肝心の私を抜きにして、前向きの解決が期待できるのか、甚だ疑問に思っています。

貴兄からのお便りを頂くと、私も独りではないと、心がやすまる思いがします。

これからも、どうかその意味で、助けてください。 (07/07/13)

Thursday, July 12, 2007

いろいろ (2007/07/11)[o]

杉さんと会ったのは、2ヵ月ぶりくらいに都心に出てテンションが上がっていた時で若く見えたみたいです。我ながら感心した、最近見たことのない笑顔です。

会ったのは東京会館の地下の和食料理屋です。貴兄にいろいろな思いがある場所のようですが、出光と昼飯を食うのは大体ここにしています。会館は出光の隣のビルで、2分で彼がきますから。

井上氏ら三人ともここで会いました。井上氏は話の中身が濃かったと書いていますが、私はほとんど覚えていません。聞ける状態でなく、頷くポーズをとるのが精いっぱい。

やっと、2時間以上の話を終え帰宅したら、家内が問題を起こしてくれていてまた、その解決に夕方遅くまでかかりました。疲れ切りました。

良いことは一瞬にして過ぎ去り、私のイライラも再発、やばいと思っていましたが、疲れもあるのか昨日、とうとう6年振りに家内に大声を出してしまいました。

これで、また鬱がひどくなれば困るのは私なのですが、我慢して静かに何回説明しても家内が理解しようとしないので問題が起き、とうとう、私も切れてしまいました。

怒ったら「こんなことが起きると思わなかったから…」と、平然と言われ、私の6年間の苦労は何だったのかと思いました。6年間じっと我慢したのですが……。

こんな状態ではまともにメールなど打てないのですが、写真が届いて若く見えますと言われると、内情はこうですと言わなければならないと、パソコンに向かった次第。

今日はもう家内は起きてこず、また、ながーい看病が始りそうです。 (07/07/11受信)

Tuesday, July 10, 2007

引き潮の放送業界 (2007/07/10)

「カナダでも新聞の購読者数が減っているが、不振なのはプリントメディアに限らないようだ。 ラジオもテレビもリスナーや視聴者は減少の傾向に直面している」

「2006年をとってみても、カナダ人は、平均して週18.6時間聴いていたという統計が出ているが、これは7年前にくらべて2時間減ったことになる。 特に若い人達の間でAMやFMのラジオ離れが著しい。 今でもラジオに耳を傾けるグループはというと、65才以上の女性ということになっている。 彼らは週23時間聴いているが、ラジオのプロデューサー達も、こうしたレポートを受けて、このグループに照準をあわせ、番組をつくるようにしている」

「たしかに従来のFMやAMを聴く若者は少なくなってきたが、 彼らはそれに代わる音楽やシグナルをサテライトから直接受信したり、ディジタル・ミュージック・プレイヤーとかコンピューターのオンラインにスイッチして、様々な媒体を使って依然音楽を聴いている。 ティーンエージャーでこうした新しい受信機を使っている人は、週平均7.6時間聴いているそうだ。」

「カナダのテレビジョンは、従来親しまれてきた地上波の普及率が今でも一番高いが、業界の営業収入も60億カナダドルと依然トップだ。 しかし成長はとまって横ばい状態にある。 代わって登場してきているのが特殊性を打ち出したスペシャルティチャネル。 この分野の成長は11パーセントと二桁の成長ぶり。 それに、視聴した番組に応じて料金を払うペイパービューも8パーセントの伸びをみせている」

「視聴者の数は増えないといっても、放送電波はどこへでも飛んでいくからね。 プリントメディアの様に手にとって見たり手許に残るということはないけれども、『送りっ放し』にしては多くの人に届けられる。 昔カナダから日本に向けて週一回30分だけの日本語放送をやっていたことがあったが、サテライトを使って日本短波放送に中継してもらっていた。 短波だから聴く人もごく限られた熱心なマニアだけだったと思うが、ビデオリサーチの調べによると53万人が聴いているということだった。 アフリカからも受信報告を貰って驚いたこともある。 セミプロが一人で作った番組にしては有難いことだった。 もっとも放送開始後5年経ってから、日本の放送局のOBを招き、西安中継のデーリー放送に切り替えたらリスナーの数が激減したから、電波の効用も一概には言えないようだ」

(07/07/10)

写真とお便り拝受 (2007/07/10)[s]

お手紙と写真、拝受しました。 ありがとうございました。

お二人の表情が実によく、そして若々しい笑顔なので、本当に驚きました。 杉さんも、目が輝き、形のいい唇が、ヘアスタイルにマッチして、美しいですね。

T会館とは東京會舘のことですか。 昔、寺田寅彦が、銀座アルプスと称して、デパート探検を勧めていた文章の中で、夏の夜の東京會舘の屋上の食事に触れていました。 

あれは大正時代の情景でしょうか、それとも昭和の初期だったでしょうか。 

私も、それから数十年遅れて、昭和20年代の末頃、お上りさんよろしく、一度涼風を楽しみに出掛けたことがありました。 

あれから50年。 今でもT会館は健在なのですね。

あの頃は、私も亡霊に縁がなく、無責任で気楽なな三等社員でした。 それでも寺田寅彦の教えにちょっぴりあやかれたのは、今思うとラッキーな時代でした。

今は、シルビアホテルあたりがせいぜいです。

どうかお大事に。

杉さんとの写真 (2007/07/09)[o]

杉葉子さんとの写真を送ります。 2週間も前から送るつもりが今日にいたり本当に申し訳なし。\\

相変わらず何もやれず、未整理事項が山積しています。 頭は完全におかしい?!のか、自分でもよくわかりませんが・・・・・・・・

気分転換で、良くなる方法を模索中です。 

乱筆、乱文にて、 2007.7.1

Thursday, July 05, 2007

お手紙拝受 (2007/07/04)[o]

杉 葉子様

ご丁寧な御挨拶状を、本日、拝受しました。

切手に、Henry Fonda のものがさりげなく貼られていて、杉さんの気配りに感謝しております。

その後、杉さんの来校日などの情報が寄せられ、見えたのは映画の封切り前ではなく 昭和25年4月10日だったことが分りました。

もう、半世紀以上前のことで私の記憶も薄くなっていたのかもしれません。

更に驚いたのは、今井監督が数日後に来校されてやはり講演をされ、半年後には脚本の井手俊郎さんも学校に見えていました。

みんな、映画研究部の主催です。 当時の映研はすごい力を持っていたようです。 福家先生のお陰でしょうか……。

私は杉さんの見えたことしか記憶がなく、申し訳ないのですが他の二人の方には触れようもありません。

でも、半世紀ぶりにお会いできて、本当に良かったと思っています。

お身体にくれぐれもご留意の上、ご活躍のほど、祈念しております。

阿部基治拝

Wednesday, July 04, 2007

イノさんのメールを送付 (2007/07/04)[s]

杉葉子さんとの58年ぶりの再会と新宿高校映研の思い出はいいお話でした。

それを読んで、文章を寄せられた井上さんのメールをお送りします。 もう既に貴兄の許へ同じコピーが届いているかもしれませんが、その時はご勘弁の程を。

井上さんの健筆には圧倒されていますが、あれで良きコンパニオンに出会ったという話がまだないので、不思議に思っています。 「悪妻は病妻にまさり、病妻は無妻にまさる」と聞きますが、女性の独り住まいと違って、男性の独身主義は、何か一つ筋が通っていますからね。

= = = = = = = = = = = = = = =
平成19年7月4日

阿部さんと杉葉子さんとの再会 阿部さんは御友人I氏と御二人で杉さんに会われ旧交を暖められたとの事。 

新宿高校映画研究部の部長をして居られた福家と言う先生が上海時代に杉葉子さんを教えて居られた関係で新宿高校で講演をされ何と58年振りに再会されたと言うのですが阿部さんのレポートの節々に再会の喜こびと青春時代の想い出が生き生きと描写されて居り楽しく読ませて頂きました。

聖路加病院の日野原先生によれば感動し心をワクワクさせる事がANTI-AGINGに大変効果があるとの事なので阿部さんは恐らく4~5才位若返られた事と思われます。

7月6日にALOHAさんを交えて阿部さんにお会いするのでその折杉さんと撮った記念写真他見せて頂く事になって居り今から楽しみです。

杉さんは御自身を夢子と呼んで居られた様ですが常に夢を描きその夢を実現すべく前進すると言う生き方は私も見習いたいと思います。

井上  出     (07/07/04受信)
 

お手紙拝受(杉さんへ) (2007/07/04)[o]

杉 葉子様

ご丁寧な御挨拶状を、本日、拝受しました。

切手に、Henry Fonda のものがさりげなく貼られていて、杉さんの気配りに感謝しております。

その後、杉さんの来校日などの情報が寄せられ、見えたのは映画の封切り前ではなく昭和25年4月10日だったことが分りました。

もう、半世紀以上前のことで私の記憶も薄くなっていたのかもしれません。

更に驚いたのは、今井監督が数日後に来校されてやはり講演をされ、半年後には脚本の井手俊郎さんも学校に見えていました。

みんな、映画研究部の主催です。当時の映研はすごい力を持っていたようです。
福家先生のお陰でしょうか……。

私は杉さんの見えたことしか記憶がなく、申し訳ないのですが他の二人の方には触れようもありません。

でも、半世紀ぶりにお会いできて、本当に良かったと思っています。

お身体にくれぐれもご留意の上、ご活躍のほど、祈念しております。

 阿部基治拝

Sunday, July 01, 2007

ご返事遅れてすみません (2007/07/01)[s]

ご返事が遅くなってすみません。

ご丁寧に2通もお便りをいただき、ありがとうございました。

先ほど配信しておきましたが、お手許には届いたでしょうか。

ああいうトピックだと、読者も喜ぶことと思います。 青春の宝石みたいな話ですからね。 光っています。

それにしても、いい高校に学ばれましたね。 私は故郷の中学高校で同じ校舎に7年通ったのですが、1年は疎開して休学していたので、無駄な足踏みをしてしまいました。 戦災で焼けた街には、バラックの映画館が幾つかあって、よく通いました。 私にとって都会や外国への憧れを開眼する数少ないチャンスでした。 あの頃は貧しかったけれども、亡霊など悩まされること無く、今考えれば、田舎ではあっても幸せな一時期でした。

亡霊は、スポットのコマーシャルのように、脈絡もなく、突然意識の内側に闖入してくるのですが、いずれも詰まらない無価値なもので、そんなフラッシュバックに心を乱される自分が情けなく、余計腹が立ちます。 「FORGIVE AND FORGET」と人に言って聞かせるのは簡単ですが、脳の片隅でFORGETさせてくれないので、自分でも困惑します。
 
家内は、私が精神科医のカウンセリングを受けた時もずっと立ち会っていたのですが、私にしてみれば、「ああ、先生と私の無駄な時間だった」となげくものの、傍らで見学していた家内は、「あの先生は頭がいい。 参考になった」と評価しているのですから、どうも受け止め方にギャップがあって埋まりません。 

そんな「欝」に近い気分の中で、「杉さんのこと」を読ませてもらうと、フレッシュな風が吹いてきたようで、爽やかな気持になります。

今日は「カナダデー」。 カナダが自治領として独立してから140年目。 今夜10時半から港で花火があるので、見に行きたいと思っています。 私は「人にシャイ」などと気取っているものの、花火にみとれる群衆の中にいると 「人恋し」と楽しい気分になるのですから、おかしなものです。

(07/07/01)

お詫び (2007/06/30)[o]

先ほど、ブログ用の青い山脈をやっと書きあげてほっとしたのか送信ボタンに触れたらしく、名前も書かないうちに送られていました。
このところ、体調も精神状態も良くありませんが、三者会談は今まで御馳走になったこともあり、昼食くらい御馳走しないとまずいかな、と思い決めたのです。
井上氏が当日の話を私がまとめて「このごろ」に送ったらと言ってきていますが、私はそれどころではないので、辞退するつもりにしています。貴兄は了解してくれると思い、裏話を書いた次第。
家事もなにも全部中途半端になっていますが、もう自分で諦めていますので、あまり気にならなくなりました。
貴兄の場合は、奥様が大変な苦労をされていることと思います。
たまには、感謝の一言を述べた方がいいのでは?
小生は日常のことは当たり前なのか何も言われません。
そういう病気なのだと思っています。
最近書いたショートショートが、ある本に載っているので、もし奥さんにでも読んでいただけるのなら、送ります。400字11枚の短編です。
本は全く進んでおらず、壊れたワープロの代わりをと放送作家仲間が教えてくれた中古品店に行ったら、なんと5万近くするのでびっくり。諦めました。
ワープロの需要はまだかなりあるのでしょう。渋谷・道玄坂に店を構えて何十台も売っていました。
こんなわけで、小生の原稿はほとんど見込みなしと思っていてください。ごめんなさい。
小生も、白内障が進んでいるのかダブって見えることが多くなりました。  貴兄も、どうか目をくれぐれも大事に。鍼は続けていますか。 (07/06/30)

青い山脈 (2007/06/30)[o]

東京は連日暑く、7・8月が思いやられます。

坂倉・井上氏との三者会談を7月6日に開くことで決定しました。中身は又メールします。

添付の原稿が読めないとのことで、打ち直すことにしました。
小生の知識ではメールに張り付けるのは無理なので、ブログに載せたいこともあり、再度打って送ります。
ご笑覧ください。

 まだテレビもなく、映画が黄金時代だった昭和24年(1949)の7月、石坂洋次郎原作の「青い山脈」という映画が封切られ、空前の大ヒットを収めました。
 そして、このとき杉葉子という新人女優が、小説の主人公「寺沢新子」の役で登場し、話題を集めました。

 当時、都立新宿高校1年生だった私は映画研究部に所属していて、たまたま部長をされていた福家という先生に 「今度封切られる青い山脈に出ている杉葉子さんは、凄い大型新人みたいですね」
 と話していたら「それじゃ、杉葉子を呼んでやろうか」と先生が言い出したのです。
 そんなこと無理ですよ、というと「ちょっと知ってるんだ」と言われ、話はいったんそこで終ったのですが、しばらくして 「おい、杉葉子が来るからね、学校で映画の話でもさせよう」と言いだされたのです。
よくよく話を聞いてみると、大東亜戦争中、上海におられた福家先生が勤めておられた女学校で、杉さんを教えられたのだそうです。
 そんな関係で杉さんが学校に見えて話をし、青い山脈の試写会をすることが決まったのは、映画が封切られる少し前、6月あるいは7月のことだったと思います。
 テレビのない時代の映画女優さんといったら、今のタレントなど足元にも及ばない凄い人気でした。
 その杉葉子さんが来るというのですから、大騒ぎになりました。

 そして当日、福家先生に 「お前、校門のところまで杉さんの出迎えに出ろ」と言われたのです。
 新宿高校は新宿御苑のとなりで、現JRの新宿駅南口の坂を下った交差点の先にあります。
 京王線がまだ路面電車で、新宿駅南口からの坂を下ってきて、その交差点の先に終着駅があった時代ですから、先生も学校がわかりにくいと思ったのでしょう。

 私が緊張して門の前で新宿駅の方を見ていると、あの南口からの斜面の右側の歩道を、カツカツと足音も軽やかに杉さんが下りてこられたのを覚えています。

 ただ、そのあと、杉さんに何を話し、どうやって応接室まで案内したのかは全く覚えていません。校舎の窓からみんなが首を出し、奇声を上げたりしていたのをかすかに覚えているくらいです。

 私の青春が輝いた一コマでした。

 と、こんな話を2年ほど前にヴァンクーバーの友人の「カナダこのごろ」というメルマガに投稿したところ、なんとそのメールを見た読者の一人がアメリカのロス・アンジェルスに住む杉葉子さんに見せてくれたのです。
 そして、驚いたことに杉さんから 「新宿高校に行ったのは覚えています、誰かが案内して下さったけど……」という返事が来たのです。
 それからしばらくして、杉さんのサイン入りの写真などが送られてきました。また、杉さんと直接、メールの交換も始まりました。

 私はあまりのことに、青春の血がいっぺんに戻ってきたような感激を覚えました。

 そして今年になって、杉さんが来日されるとのメールが来たので、厚かましくも是非、お目にかかりたいというお願いのメールを打ったのです。
 そして、あっさりと杉さんはその願いを受け入れてくれました。

 あの高校1年生から58年振りの今年6月、都内某所で私と高校同期の親友、I君、F君の三人で杉さんと会食をすることにしました。

 当日は私も朝から緊張して30分も早く決めた場所に行ったら、なんと杉さんはもう見えていました。 
 「遅刻したくないから早く出たのよ」と杉さんは軽く言われましたが、その言動から杉さんの人柄が推察できました。

 F君が所用で欠席となり、I君と二人で、杉さんが戦時中中国にいて引き揚げられた話、ロスのホテル・ニューオオタニに勤められ、そこで日本文化の紹介をされていた話、そして最近の文化庁の文化交流使として日本の文化をアメリカに紹介する話ーそれは地道な草の根的な仕事ですがーそしてもちろん映画の話に盛り上がり、気がついたら予定の2時間はとっくに過ぎていました。

 あの「青い山脈」の寺沢新子がそのまま年をとられたように、明るく、快活で、飾り気のない態度で話されるのに、私は58年前を思い出し、感無量でした。

 杉さんは自分でも夢子だと言われていましたが、目標と夢に向かって前進されている姿に、私は感動すら覚えました。

 当日の何か記念ということで三人で色紙に名前をサインし、日付けを入れたものを三枚書き、各々が1枚ずつ持つことにしました。私にとっては、何物にも替えがたい宝物です。

 杉さんにとっては1ファンとの会合だったでしょうが、私にとっては青春の一コマを再現させていただいた素晴らしい時間でした。

 両者にとって共通の恩師、福家先生が、天国からニコニコしながら「こんな会合をもてるなんて、おれも信じられなかったよ」とあの大きな声で話しかけられた思いがしました。

 パソコンとメールが生み出した、現代のおとぎ話でした。

(07/06/30)