Friday, November 30, 2007

旅行のことなど (2007/11/30)[s]

今度は中国ですか。 貴兄の軽快なフットワークには驚かされます。 まるで千葉から横浜の中華街にでも遊びに行くような感じ。 グローバルな時代を生きる地球人の姿ですね。

携帯トイレとは知りませんでした。 こちらではお目にかかったことがありません。 バンクーバーに住む弟が、バスでバンフに向かう時、オムツをして行ったと聞いて、私もドラッグストアで買ってきました。 まだ濡らしたことはありませんが、前立腺肥大の場合なんか良さそうです。 私も毎日使っていますが、まだご厄介になったことはありません。 それでもオムツをパンツと併用すれば、パンツを洗濯する手間が少なくて済むようです。

来年はスイスとニューヨークですか。 いいですね。 

私はバンクーバーで独り留守番をします。 うろ覚えながら「秋の日のビオロンの音のひたぶるにうら悲し」と聞いたことのあるようなないような文句が耳の奥でささやく心境です。

目はよくなったわけではありません。 このごろはテレビを見た後、パソコンの字が見えなくなりました。 私がメールを書く時は、一旦「Word]に大きな字で打ち、それをコピーして送っています。 貴兄からのメールは、大きな字で助かります。 普通の字で送られてくるメールは、やはり「Word]に移して、字を大きく太くしています。

中国の印象、楽しみに待っています。

Wednesday, November 28, 2007

船旅 (2007/11/28)[o]

貴兄のメールを見ると、眼の調子が少しは良いかな、と、ほっとします。本当に調子が良くなければメールは打てないと思うからです。

昨日、先月した健康診断の結果を近くのかかりつけの医者に持って行きました。
視力は毎年0.1ずつ低下、身長は短くなる、コレステロールや中性脂肪など数値の上がってはいけないものは、みんな軒並み危険値をオーバー。

それでも医者はさらりと言ってくれました。 「歳を取ってんだから仕方ないよね」 この一言で私も 「薬飲まずに、運動して頑張りますから」 と、これで終わりました。

健康診断をしてくれる女医さんは鬚が生えたいかにも独身の50代くらいの人ですが、体重が1キロ増えたら「太りすぎ!」とのたもうお方で、歳のせいと片付けられたら、きっとすごい剣幕で怒るでしょう。

まぁーここまで生きているのですから、あと10年は大丈夫と、わが身を慰めています。

中国は来週から行きますが、携帯トイレを準備しました。 前回、大連・旅順などを回った時は高速道路が使えず、一般道路ですごく時間がかかったことがあり、そのときの教訓を生かして準備した訳です。

中国も揚子江を下る船旅などがあり、かなり評判は良いようです。

貴兄の22日間の船旅もかなり安くてよさそうですね。 横浜・神戸などをはずして鹿児島・大連とくれば行くしかないのでは。

私は来年の計画では、9月スイス、10月ニューヨークになっています。

最後のへそくりの株を売って資金調達を図るつもりで計画だけが先行しています。船旅も一度したいのですが、船酔いと高額でしり込みします。

確かに貴兄の言うように荷物は積みっぱなしで、三食付き・娯楽つきですが、背広も少ししか持っていない私では、正装{盛装?}の夕食はみんなとは食べられません。 タキシード・燕尾服など着たこともありません。 部屋で食べるのは許されているのでしょうか?

貴兄にビデオを送るつもりで準備していたのですが、先日、大失敗をして、送るべき内容を消去してしまい、今、別のものを取り直すべく考えています。

1945年のマニラの市街戦の話を消したしまったのです。NHKスペシャルで日本の海軍が何を考えたのかマニラを死守することを決め、実行し、市民が巻き添えになって10万人くらい死んだ話です。 海軍は陸軍に比べもちろんたくさん兵隊がいたわけでもないのに、無謀な市街戦をやったのです。

これを当時の映像を含めて作られたものを撮ったのですが、その上に他の物を重ね撮りしてしまったお粗末。 既に、他の物を入れてあるので6時間テープで送るつもりです。 他に何が入れてあるかは、見てからのお楽しみ。

では、眼を大切に。風邪を引かぬよう。
こちらはインフルエンザ流行中です。

中国への旅 (2007/11/28)[s]

先日いただいたメールに、「中国への旅5日間で`39,800円」とありましたが、たしかに安いですね。 日本にいて何もしなくても、一日一万円ぐらいはかかるでしょうから。

昨日届いた旅行雑誌の頁ををめくっていたら、バンクーバーからアラスカ経由、鹿児島と大連、北京へ行くクルーズの広告が出ていました。 

来年9月、22日間のクルーズで、2300カナダドルから。 ということは一日百ドルあまり。 これも安いと思うのですが、腰を上げるにはちょっと無理な感じ先立ちます。

ただ驚いたのは、鹿児島が寄港地になっていること。 横浜も神戸にも寄らないことです。 

大連は私の母の生まれた所。 それに私は東洋史の専攻で、5人の先生と4人の学生の末席を汚し、冷や汗を流しました。 今でも単位が足りなくて卒業できない悪夢をみます。 中国語も慶応外語でちょっと齧ったことがありましたが、徒労でした。 

北京と大連、それに生まれ故郷の鹿児島となると、ちょっと気持ちも揺らぐのですが、所詮無理でしょう。

それに比べ、貴兄の果敢な行動力、前向きの精神力にはいつもながら敬服します。

Friday, November 23, 2007

温泉とは羨ましい (2007/11/23)[s]

雪見を楽しみながら温泉に入り、山海の珍味を味わうとは最高じゃありませんか。

私は、ソファに寝転ぶときは、家内に 「温泉に行ってくる」と宣言します。 ソファでテレビを見るのを「カウチポテト」と言うそうですが、私の場合は残念ながらポテトチップス抜きです。

今度は中国ですか。 驚きます。

旅に出掛けること自体驚きですが、「行きたい」という意欲が起きて、即それを実行に移すという精神と行動力がもっとすばらしく、驚きです。

しかし、貴兄からそういう便りをもらうことが、今の私にとっては何よりの楽しみです。

私は相変わらず啼かず飛ばず。 若い頃の旅の思い出を反芻しています。

寒さは苦手 (2007/11/23)[o]

急に温泉に入りたくなって、塩原に出かけたらなんと11月なのに雪に降られ一日、宿に閉じ込められて部屋で本を読み、温泉に三回もつかりました。新潟県ならわかりますが、天気予報では栃木県は晴れマークだったのでびっくり。宿の人も1か月早いと言っていました。

地球は確実に異常な現象を発していますが、アメリカはハワイに行ってもゴミの分別一つ行われておらず、中国とともに地球をおかしくしているのだから、たまりません。

小生、こうして温泉につかっておいしいものを食べると忽ち体重が1キロくらい増えて、また、スポーツクラブで運動。 1キロ減らすのに1週間はかかります。こういうむなしいことはやめたいのですが、この年になってなぜか食べ物に興味がわき、旅とおいしい食べ物がセットになり、ますます空しい努力を続けることになります。

家内の容態はほとんど回復し、食事も何もみんな家内に任せられるようになって気が緩んだのか、小生は情緒不安定、精神安定剤を朝晩飲んでいますが改善の兆候はなく、少しずつわがままの範囲を広げつつあります。

僅かな蓄えを取り崩して、来月は中国に出かけます。上海・抗州・蘇州あたりを回ってきます。
これも情緒不安定のなせる技で、急に、勝手に小生が申し込んだからです。
5日間で39,800円は安いと思った時には申し込んでいました。

もう先は短いのですし、やりたいことはやろうと勝手に自分で決めた結果です。

また、支離滅裂なメールを書きます。 

Thursday, November 22, 2007

ブラック フライデー (2007/11/22)[s]

『ブラック フライデー』

「今日のトピックはアメリカこのごろになって恐縮だが、11月23日は『ブラック フライデー』だそうだね。 ブラックというと何か縁起が悪いようだが、そうではない。 赤字続きの商売が黒字に転じる日だそうじゃないか」

「今日22 日は、アメリカでは、11月の第4木曜日で、感謝祭の祝日。 だから学校も企業も役所もお休み。 株式取引所もお休みなら、外国為替のやりとりも休業。 しかしその翌日の金曜日には、取引所もショッピングモールも一斉に再開、繁昌が期待されるところだ」

「何しろブラック フライデーは、年間を通じてアメリカでは最大のショッピング デーだから。 小売業界は、年間の売り上げの半分が、感謝祭とクリスマスの間に達成される。 アメリカの消費者の47%が、ブラック フライデーに買物をすると言っているらしい。 去年の金曜日の売り上げは100億ドルだったそうだ」

「今年はどうかな? 大手デパートでは午前4時に開店しててぐすねひいているそうだから。しかしクイック マネーを求める小売業者は、シーズン前に割引売出しをやっていたから、果たして盛り上がりがクライマックスにつながるかな。 お店の方でも気になるところだ」

「アメリカの経済は、70%が消費によって支えられているから、もしブラック フライデーの売り上げが低調に落ち込むようなことがあれば大変だ。 サブプライムの雲が暗い翳を投げかけているし、クレジットもタイトになってきている。 何と言っても住宅産業の崩壊が消費者の心理と財布を圧迫している。 そうなると、小売業を中心としたサービス産業の株価にも影響してくることになるからねえ」

「それよりもっと可哀そうなのが感謝祭のシーズンを迎える七面鳥だ。 アメリカでは感謝祭のホリデーの間に4,600万羽のターキーが飴色に焼かれて食卓の上で切り刻まれるのだそうだ。 アメリカでは大人も子供も含めて、一人あたり7.7キロのターキーを年間食べる。 これは30年前に比べて倍に増えているそうだ。 ターキーにとってはとんだ災難だが、それを育てる農家や業者にとっては、文字通り感謝の季節だ」

(2007/11/22)「

Tuesday, November 20, 2007

件名なし (2007/11/20)[s]

師走が駆け足で近づいてきますね。
 
親戚の青年から、タヒチの絵葉書が送ってきました。 新婚旅行で行っているそうです。

私達の世代には、香港旅行が夢でしたが、今はゴーギャンの魂を求めて、南太平洋に飛ぶ時代。 地球もコンパクトになりました。 彼らが70路を迎える頃、その頃の新婚はどこに向かうことでしょうか。

ジムでの鍛錬は寒くなっても続けていますか。 敬服します。 私は、持病の処方薬とビタミン剤をのむ程度。 お恥ずかしい限りですが、子供の頃から憧れていたものぐさ太郎を今も夢見ているだけ。 身体は静止していても、亡霊は相変わらず活発です。 

そんな病的な夫に代わって、家内がサイコセラピーに月一回通っています。 そこでカウンセラーから、目玉を動かす EMDR という新しい療法のことを聞いて来ました。 グーグルの日本語版にも出ているので、日本でも試みられているようですね。 しかし億劫なものぐさ太郎に折角の名案が通用するでしょうか。 懐疑ムードです。 

もうすぐクリスマス。 イルミネーションとクリスマスキャロルで、私も上を向いて歩くように心掛けましょう。

Tuesday, November 13, 2007

乱舞するルーニー (2007/11/13)[s]

『乱舞するルーニー』

「先週カナダドルは瞬間的ながら米ドルで$1.10を超える場面を見せたが、その後$1.03に急落したのには驚いた。 こんな激しい値動きを一日でみせたのは37年来のことだと聞いたが、これではカナダドルもフリーフォオールと言われても仕方がない」

「カナダの1ドル貨幣は『ルーン』という水鳥がデザインされているから、カナダドルも通称『ルーニー』と呼ばれている。 このルーニーが今は水面を乱してあばれているわけだ」

「バンク オブ カナダのトップは『ルーニーが米ドルとパリティというのはどうも行き過ぎだ。 それを支えるファンダメンタルズはカナダドルが安かった頃と変わっていないのだから』とかねてから警告を発していたが、カナダの一部のシンクタンクも『85セント程度が妥当なところ』と渋い口ぶりだ」

「しかしカナダのバーゲンハンターにはカナダドルの高騰は朗報だった。 高い自国通貨にプライドを覚え、国境を越えてアメリカに行ってショッピングをする。 しかし国境は大混雑。 デトロイトやバッファローで買物をしてカナダに帰るショッパー達は、カナダ税関の丹念なチェックのために5時間も待たされたそうだ。 そんな思いをしたくない人はインターネットで注文するのだが、関税や物品サービス税、それに通関費用を払ってもまだ得だと計算していたのだが。 しかしアメリカの店では、カナダからの注文が殺到して、セールスを増員し、新しいトラックを買って大売出しに備えても、クリスマスまでに届けられるか自信がないと、悲鳴を上げている。 そこへもってきて急にカナダドルが怪しくなると、国境を跨いでのビジネスにも影響が出てくる」

「アメリカ人にしてみれば、米ドルの値打ちが下がっていることは認めがたい所だろう。 『国際通貨としてのバリューの衰退ではない。 ポジションの変化だ』と言うのだが、日本円やユーロに加えて中国やインド、ブラジルなどとの平価にも響いている。 従来オールマイティだった米ドルも、経済環境の変化に、構えを斜めにずらしてきたようだ」

「それに中国が保有する外貨準備の一部を米ドルから他の通貨に振り向けることを示唆した中国政府筋の発言も、高い震度で米ドルの信頼度をゆるがせている」

「なぜここへ来てカナダドルが売られたのだろう」

「アメリカのサブプライムモーゲジの悪材料の整理が進み、原油の価格もこの所少し下方に押し気味だからではないか。 それに、日本円のような金利の低い通貨を借りてニュージーランドやオーストラリアの高い金利の通貨に投資することが考えられる。 もっとも日本円が強くなれば状勢は一夜にして変わることもあるが」

「昨日11月12日は、カナダの連休だったから、バンク オブ カナダのオフィシャルレートはなかったが、カナダドルの1ドルは米ドルの1ドル06セント。 米ドルはカナダドルの94セント。 カナダドルは日本円の¥118。 ¥100はカナダドルの85セントだった」

(2007/11/13)

Sunday, November 11, 2007

掲載有難うございます (2007/11/11)[o]

ハワイのこと、貴兄への私信のつもりが載せていただき恐縮、もう少しきちんと調べて書いた方が良かったかも、
というのは、人名などなぜかハワイに行ったら急に頭の中に浮かんできたので、正確かどうかわからなかったからです。

吉川大尉も少尉のような気がしますし、西開地という名前も変わった名前なので覚えていましたが、階級はよく覚えていません。

吉川が森村正という偽名を使い、一等書記官との触れ込みだったのに、アメリカがこんな若い一等書記官はいるはずがないと、最初から疑ってかかったという話は覚えています。

暗号解読は、以前井上氏が太平洋戦争はルーズベルトが起こしたと「カナダこのごろ」に書かれたように、彼が暗号解読から、日本に戦争を仕向けるように動いたことは、スティネットの「真珠湾の真実」という本を読めば明らかです。

ルーズベルトは大統領になるときに、国民を戦地に送らないと約束したため、イギリスから督促を受けても第二次世界大戦に参加できず、その突破口として、当時日本と戦争状態だった支那の蒋介石を援助しつつ、日本の矛先をアメリカに向けるようにし、真珠湾を攻撃されるのも分かっていて、キンメル米太平洋艦隊司令長官には知らせなかったのです。
キンメルは責任を問われて職を追われ、不遇のうちに亡くなり、家族が名誉回復を訴えてそれがアメリカの議会で承認されたのは、つい10年くらい前だと思います。

「リメンバーパールハーバー」はルーズベルトの一世一代の大芝居、それにアメリカ全国民は乗せられたわけです。

彼は人種差別もかなりひどく、在米日本人が戦前からさんざんいじめられたことは、貴兄もご存じでしょう。法律まで作って日本人を迫害しました。

ルーズベルトは急逝したため、なにも本人の自白証拠はありませんが、残った文書からは彼の悪行は明らかです。

最近、佐々木譲という作家の本を読みましたが、彼の第2次大戦3部作に「エトロフ発緊急電」というのがあります。

アメリカから送り込まれた日系二世のスパイが、1941年11月エトロフ島に停泊していた真珠湾攻撃艦隊の動静を暗号電報で知らせた話です。

これでも真珠湾攻撃はアメリカでは知っていたはずなのに、何の対策もとられていません。

佐々木氏のあとの2冊は「ベルリン飛行指令」「ストックホルムの密使」です。

前者は、ロンドン爆撃が戦闘機の援護がないためうまくいかないのを嘆いたヒットラーが、日本のゼロ戦の技術を利用しようとゼロ戦をベルリンに送らせた話です。

1940年の秋に2機のゼロ戦が東南アジア・イラク経由でベルリンまで飛ぶのですが、1機は途中で撃墜され、1機だけベルリンに着陸したのです。

結局、ドイツはゼロ戦は使わなかったのですが、ヒットラーの意向でこの三菱重工との技術提携に関する文書は全部破棄されたため、戦後かなり後までこのことは知られなかったようです。

ベルリンにいた日本のパイロットはその後、ドイツ空軍の教官となり、ベルリンの戦闘で戦闘機のパイロットとして出撃、行方不明になっています。

「ストックホルム」は在欧日本人外交官が、1945年、ソ連の日本開戦、アメリカの原爆開発の情報をつかみ、それを日本の外務省に打電するのですが、さっぱり反応がないため、ある日本人に依頼してこの情報を日本まで持ち運ぶことを依頼するのです。

8月の原爆の投下、ソ連の開戦に間に合うタイミングでこの密使はシベリヤ経由日本に到着するのですが、例によって、日本はこの情報を無視。

ソ連を仲介する終戦工作をソ連が中立条約を一方的に破棄して攻め込んでくるまで続けたというお粗末。

こうした本を読んでいると、一つの事実の裏に思いがけないことが潜んでいるので、びっくりします。

ゼロ戦がドイツに提供された話など、ゼロ戦の本を何冊も読んだ小生も全く知りませんでした。

今日は秋日和、また表に出てスポーツクラブで運動します。
歩くよりプールで30分
泳げば数倍のカロリーが消費できるので、最近はマシンとプールの併用で体重増防止に努めています。

晩酌のビールが止められないので、運動は欠かせません。

では、また。 

Saturday, November 10, 2007

ハワイ開戦の秘話、知らないことばかりでした (2007/11/10)[s]

お送りいただいた開戦当時の秘話、私には初めての話ばかりでした。

吉川大尉の情報蒐集活動については、似たような話を昔雑誌で読んだことがあります。

日本人か日系人か知りませんが、毎日オアフ島の高い所に登って、望遠鏡でアメリカ艦隊の動静を見守っていたとのこと。 その結果、艦隊が週末になると真珠湾に帰港するパターンがわかり、日本海軍の作戦のベースになったということでした。 それにしても、週末には艦隊が帰港するとはサラリーマンなみ。 月月火水木金金の日本海軍には理解できないことだったことでしょう。 諜報活動に長けたアメリカ政府が何故そのような行動を許したのか判りません。 しかもその後、太平洋艦隊の司令官に泥をかぶらせ懲罰同様の仕打ちにし、最近まで遺族が名誉回復のための訴えをしていたと思います。 、アメリカ政府のトップは頬かむりのまま歴史のページを閉じようとしたのでしょうか。

日本生命の元社長が「私の履歴書」に書いていたのですが、ニューヨークでハドソン川沿いのアパートに住んでいた頃、リバーサイドドライブのアパートに日本国海軍士官が訪れ、ハドソン川に停泊するアメリカ海軍の艦船の様子を探りたいと、アパートに陣取って観察していたとのこと。 ハワイの話で思い出しました。

もう一つ覚えているのは、開戦直前、日本の暗号が解読されることを恐れた日本政府が、ワシントンの日本大使館にいた鹿児島出身の人物に、日本から鹿児島弁で電話をかけさせたということです。 これには最初アメリカも手を焼き、鹿児島弁であることを覚るまで暫く時間がかかったそうです。 これは戦後その当事者(牧嗣人という名前だったでしょうか。 私の記憶はあてになりませんが)  日本の雑誌で明らかにしていました。 アメリカ側も収容所の日系人で鹿児島弁のわかる人物を探し出すのに手間がかかったことでしょう。

日米交渉時に、野村大使と来栖大使は、南部出身のハル国務長官のわかりにくい英語に悩まされたそうですが、それから半世紀以上経った今、私自身が判りにくい英語に悩んでいるのですから、お二人に大いに同情します。 来栖大使の奥さんは外人だったのでしょうか? 戦時中落下傘で降下した来栖ジュニアーをアメリカ兵と間違えて住民が竹槍で刺したということですが、これも私の記憶違いかもしれません。 もし本当だったら気の毒なことです。

今日は久しぶりに晴れています。 お天気がよいと、私の気持も晴れますね。

Friday, November 09, 2007

早速のご返事有難う (2007/11/08)[o]

クイック・リスポンスでメールをいただき、恐縮。 あのメールは貴兄に書けば自分の記録にもなると、少し余計なことを書き連ねました。 今日も、その続きです。

ハワイといえばいろいろな本を読んでいますが、一つは1941年にスパイとしてハワイの大使館に送り込まれた吉川という海兵卒の海軍大尉の話です。

彼は真珠湾の米艦隊の動向を調べ、大使館から毎日のように軍艦の種類、隻数、停泊位置などを報告し、それは12月7日の寸前まで続きました。

従って、南雲艦隊は空母が真珠湾にいないことは知っていたわけです。

あの「ハワイ・マレー沖海戦」の映画でもいないことを知っていたようなセリフがあったと思いましたが、あれは偵察機の報告になっていたはずです。 実際に艦に搭載されていた水上偵察機は飛んでいます。

この吉川大尉の苦心の報告も、彼自身が大使館員として入国したこともアメリカは暗号解読で全部知っていた、のが事実です。

なんとも情けない話で、吉川に尾行がつき、電話は全部盗聴されていたというのですから、情けないを通り越して哀れになります。

暗号解読は1940年にドイツ駐在のの大島大使から、ドイツの情報として日本の外交暗号が解読されているとの話が入っているのに、日本では全く無視したのです。

日本の暗号は全く解読不可能と言われるものだったので、安心しきっていたようですが、戦後、この暗号を作った当人が米軍に「どうして、あの暗号を解読できたのだ?」と聞いたところ、黙って人指し指の先を曲げたそうです。 

他の本で読んだ記憶があるのですが、この暗号機を作っていた世田谷の建物で、人が侵入した形跡があるのに気がついたが、被害がないと思われたのでそのままになった、との話を読みました。

アメリカのスパイは戦前からかなり多く日本に来ていましたから、その一人にやられたのでしょう。

どうも日本人はこうした情報合戦が苦手なのか、山本五十六の乗機が撃墜されても、暗号は変わらず、遂に戦争終了まで全部話が筒抜けだったのですから、勝てるわけがありません。

それとはハワイのもう一つの話。

ハワイの一番端に、ニイハオ島という島がありますが、そこは12月7日に攻撃した日本の航空機が被害を受けた時の不時着場になっていました。

ここに降りれば、潜水艦が迎えに行くことになっていたのです。

そして、現実に西開地というパイロットのゼロ戦が不時着し、日系二世の人が彼を助けるのですが、なんと潜水艦は「日本軍人は不時着より自爆するのが普通」と考え、迎えに行かなかったのです。

西開地飛曹は結局、島民に囲まれ、ゼロ戦に火を放って二世とともに自決したのです。

この話は、この二世の奥さんが戦後、収容所から解放されてきてから話を明らかにしたので、かなり知られています。

彼女は、夫が戦争に協力したと看做され、彼女も犯罪人扱いだったそうです。

ニイハオ島は個人の持ちものとかで、7日当日もラジオもなくて日本の攻撃も知らず、現在も観光で訪れることもできない島です。

貴兄にはつまらない話だったかもしれませんが、書き連ね、ごめんなさい。

小生も情緒不安定の状況が続き、イライラは当たり前、物はなくす、歌を歌おうとしたら声も出ず、音程もおかしい、眠れば過去の亡霊に悩まされているので、こうして文章が浮かんだ時は無理しても全部書いてしまうことにしました。

付きあわせて申し訳なし、また、スポーツクラブで体をいじめて、少しでも安眠できるようにします。 
それにビーフで1キロ太ってしまったし、今日も出かけます。

今度は、別の話にしましょう。 

Thursday, November 08, 2007

早速のお便り感謝 (2007/11/07)[s]

帰ってこられたばかりでお疲れのところを、早速ハワイの印象を頂戴し、まことにありがとうございました。

貴兄のように、歴史を踏まえた上での印象は、他人には及びがたい深い感慨をもたらすことでしょう。

私はハワイに行ったことがありませんが、貴兄のお便りをもう一度読み直して、その上で戦争という愚行と悲劇の暗黒の力を自分なりに振り返ってみたいと思います。

とりあえず、拝誦のご連絡とお礼まで。

ハワイの印象 (2007/11/07)[o]

昨日ハワイから戻りました。

往きの6.5時間は、機中泊で夕朝と2回も食事が出るのでほとんど眠れず、せっかくのビジネスクラスのシートも無駄でした。

朝、7時過ぎにあのヒッカム飛行場につながるワイキキ国際空港に向け、高度が下がるときは、やはり「トラ、トラ、トラ」を思い出しました。

結論から言えば、もう、パールハーバーで頭を下げてきたので、ハワイは二度は行かないでしょう。

ワイキキビーチはホームレスがいっぱい、泳ぐ気などまったく起きず、しかも流行なのか刺青を手、足、背中、胴などほとんど全身にわたりしているものが多く、ペイントかもしれませんが、入れ墨は犯罪人の印と思っている小生には嫌悪感だけ。  空港からホテルに行くまでの間に嫌になりました。

パール・ハーバーの海は静かで、アリゾナ記念館をフォード島に望んで、あの66年前の攻撃で命を落とした米そして日の人々に頭を下げ、やっと肩の荷が下りました。

小生がアリゾナ資料館の前で頭を下げていたら、ガイドの日系二世らしい年寄りが「何でだ?」と聞くので66年間気になって今までハワイに来れなかったと言うと、「日本人は律義な人が多い」と笑って言っていました。  そして、「アメリカ人はもう忘れているよ、なにしろ、戦争好きだから……」と。

「それよりも日本人がハワイへ来なくなったら、ここは潰れちゃうよ、ほとんど全部、日本人の落とすお金で生活がなりたっているのだから…」
肩の荷は下りても、複雑な心境でした。

あの、在米大使館の井口参事官・奥村書記官の仕事のサボりから事件は起きました。

野村駐米大使は真珠湾攻撃を何も知らぬまま、1時間も指定時刻を遅れて交渉打ち切り(開戦)の文書を持って行ったのです。

アメリカの大使館で一本指でも英文タイプを打てたのは奥村一人だったというのですから、あきれた外交官です。  タイプの勉強すらせず、高給を取る。まさに役人の鑑ですね。

なぜか、戦後もこの文書手渡し遅れの調査は吉田茂外務大臣は潰しにかかり、外務省を去っていた井口・奥村を呼び寄せ、次官に据え、のちに井口はカナダ・アメリカ大使に昇進、奥村もスイス大使に昇進したのです。

外務省のメンツを第一に考えたとしか思えません。

天皇とマッカーサーが初めて会ったとき、天皇は外務省から言われてか「東條がやった」と説明したそうです。 そしてそのときの通訳がなんと奥村です。

自分のミスを東條の所為、と翻訳するときに、良心が痛まなかったのかと不思議になります。

このお陰で、どれだけ日本人が海外を含め肩身の狭い思いをしたことか。
9.11のときも「真珠湾の再来」と言われたのに、日本政府は何も言わず。

外務省が真相を発表したのは、なんと1994年のことです。 戦後、50年たってからです。 ALOHAさんのいう害務省です。

小生を含め、この一事を負担に考えている日本人は少なくないと思います。

小生は頭を下げてケリをつけましたが、律義な日本人はまだ多いと思います。

あと、ハワイで印象に残ったのはモアナルア・ガーデンの「この木なんの木気になる木」です。
日立のコマーシャルというよりも、小林亜星の曲で有名になりましたが、これをコマーシャルに使う発想をした人を褒めたいと思います。

良い木でした。

日本より暖かく住みよい街かもしれませんが、単なる観光地でリゾート地ではないというのが、小生の感想です。

66年間の重荷も下り、次はどこへ行くか計画中、意外と早くまた出かけるかもしれません。

なにしろ、身体の衰えを痛感し、動ける間に旅をしようとおもいだしたからです。 歳はやはり厳しい、それだけに焦ります。

家内は若い分だけ元気で、しかも体調がよく、小生のほうが今回は圧倒されました。

また、メールします。

Friday, November 02, 2007

翔んでるCanドル(2007/11/02)[s]

『翔んでるCanドル』

「カナダドルは11月にはいっていきなりUSドルの1ドル07セントを超える新高値にジャンプした。これは1957年8月27日に記録された今までの最高値をさらに超えるもの。 もっとも19世紀には$2.をかなり超えたこともあったらしいが、米ドルとカナダドルの交換が一般化され自由に出来るようになってからは1957のレートが一番高かったそうだ」

「今度の火付け役は、カナダの雇用がドラマチックに改善されたこと。 失業率も5.8%と、33年ぶりの低水準を更新。 それがカナダドルの飛翔につながったわけだが、実はエコノミスト達も頭を掻いている。 この分ではバンク オブ カナダが公定歩合をさらに低めに手直しすることはなかろうという推測がカナダドル高騰の原因といえる」

「それに原油価格も$96と$100の線に迫っている。 何しろカナダドルは原油通貨『ペトロカレンシー』と呼ばれているくらいだからね。 原油が上がればカナダドルも高くなるのが当然だろう」

「それに米国の連邦準備制度は金利を25ベーシスポイント下げたのも響いている。 勢い米ドルはダウン。 だから相対的にカナダドルも強くなるわけだ」

「しかしカナダドルも、日本円や中国元、それに香港ドルに対しては余り強くないのではないか」

「そうは言っても、カナダ経済のファンダメンタルズは依然好調だし、オンタリオの製造業の不振をカバーする他の州の経済活動は弾みがついている。 それにカナダは金属や鉱物の資源がを豊富だ。 これらの商品に対する世界の需要はますます高まるばかり。 これもカナダドルを強く支える好材料となっている」

「しかしカナダドルの対米ドル相場はどこまで上がるのだろう。 $1.10のラインも夢ではなくなったが」

「エキスパートの意見では、いずれ天井を打つ日がやってくるのは避けられない。しかし一般的な見方として、向こう一年間は米ドルの98セントぐらいの線で推移するとみるのが妥当。 その辺が平均的な思惑のようだ」 

(2007/11/02)