Tuesday, October 31, 2006

コメント有難うございました (2006/10/31)[s]

コメンタリー、あつく感謝します。 お忙しい中をかたじけないと心よりお礼申し上げます。

先週テレビを買いました。 最初は20インチを心積もりしていたのですが、「目が悪いのなら、もっと大きなものでなくちゃ。 40インチ代のプラズマにしたら」とまわりからけしかけられたのですが、半盲が見るのでは、ラズマも猫に小判。 どうせはっきり見えないだろうからと、手で持ち上げてみて、一人で運べる程度の物にしました。 それが27インチだったのです。

これで貴兄に頂いたヨーロッパの名画の数々、サブタイトルも日本語で読めると、欣喜雀躍です。

妻が見る2分間番組は、CBSの「60ミニッツ」の最後に出てくる、アンディ・ルーニーという眉毛の長い老ジャーナリストのコメンタリーです。 私には、殆んどそのユーモアは判りませんが、世相をたくみに取り上げ、切捨て御免の2分間は、やはり名人芸なのでしょう。 

妻は、リタイアリーの小生の世話と教会の奉仕活動で、テレビを見るひまがないのです。 「目を使わないから、目だけはいいの」と変な自慢をします。

今日は、盲人協会に行って、白い杖をもらってきました。 これで盲人としての鑑札がおりました。 そのほかに、灰色の曇天に使う黄色いサングラスや、レンズが二重になっているテレビ用のテレスコピック眼鏡も入手しました。 果たして使いこなせるかどうか? 

今日は6箇所に使い走りをしてきたので、身体は疲れましたが、気分は上々です。  (06/10/31)

ドンマイ (2006/10/30)[o]

小さなミスとか もの忘れとか 小生は始終で、年をとったら当たり前と思っています。

昨日も 眼鏡の置忘れが余りひどいので、とうとう3個買って 各部屋に置くことで解決しました。

ドンマイです。

レイモン・エモスの答えのメールは来ましたか?

正解はもう少し時間をおいてから書きます。

硫黄島{Flags of Our Fathers}見てきました。 カナダでも上映されていることと思います。 一見の価値ありです。

戦闘シーンは 色調をモノトーンに近くしてあっても 凄い迫力で、圧倒されました。

戦争に英雄はいるのか、というテーマは かなり重く、描くのに苦労した跡が見えました。

全体の構成にやや難がありましたが、点数をつけたら85~90点でしょう。

イーストウッドが音楽まで担当しているのをみて、びっくり。

あの I’ll Walk Alone の けだるいメロデイーが 英雄たちの運命を象徴していて、印象に残りました。

12月9日に 第2部 「硫黄島からの手紙」が封切られますが、これも期待できそうです。

イーストウッドは 「荒野の用心棒」あたりは まったく目立たぬ俳優で、彼が大監督になることを 誰が予想したでしょうか。

先日、日本に来たときのインタビューを見ましたが、彼が硫黄島を通じて 戦争や日米関係をどう描くか この映画に 答えが隠されているようで、それだけに真剣に見ます。

映画は 日本では 60歳以上のシニア-でも1,000円、 一般なら1,800円で かなり高いと思いますが、昔から 理髪代と同じ といわれていましたから、床屋が3,800円くらいする(一部の安い床屋は1,000~1,500円)のをみると 安いのかもしれません。

やはり、テレビで見るより、映画館で看るのはいいものです。

このあとは、また時間を見て送りますが、結構、バタバタしているのでご期待に添えるかどうか。

(06/10/30)

Friday, October 27, 2006

カナダにも排日の時期がありました (2006/10/27)[s]

ジェーン・ワイアットさんのことなど、わざわざ書き直していただき、有難うございました。 今日これから配信しようと思います。

「パパは何でも知っている」という番組は、私でも、父親役のロバート・ヤングの顔を覚えているくらいですから、たいしたシリーズだったのでしょう。 しかし1950年代というと、テレビは駅前の広場で見る時代。 私の身辺にはテレビがなく、遂に番組そのものを見ることなく、匂いだけかいで年を経てしまいました。

先日のお便りで、原爆がヨーロッパに落とされなかったことに触れてありましたが、カナダには、広島に原爆が落ちて、ヨーロッパに落とされなかったことを喜んだ男がいます。 マッケンジー・キングという自由党の政治家で、カナダで最も長く首相の座にあった人物です。 この男、生涯独身で、国事の問題をはかる時も、死んだ母親を霊媒で呼び出し、その声を聴いていて相談していたことで有名です。 広島に原爆が落とされたことを知って、その日の日記に、「日本人の上に落ちてホッとした」と書いていますが、後日日記が公開されて皆の知るところとなりました。 

このキング、戦前から日本人が嫌いで、労働次官の頃、バンクーバーの日本人街で起きた騒擾事件をみて、日本人排斥の決意をかためました。 戦争が勃発すると、日本人全員をバンクーバーの家畜小屋に押入れ、後に奥地のバラックの収容所に送り込んだのです。 そして資産を没収同様二束三文で処分し、戦争が終わってからも、1949年まで日本人が西海岸に帰ることを許しませんでした。

そういうわけで、自由党は、日本人を差別したことで汚点を残したのですが、1990年ごろ、保守党政権がその非を認め、幾ばくかの補償をしました。

戦前からのカナダの日系人は、アメリカの日系人に比べて苦労が長かったわけですが、私のように、戦後30年経って、情勢が変化してから移住してきた者は、先人の切りひらいた苦難の道をスムースに歩んで、この国に入国することが許されたわけで、先のジェネレーションに借りがあります。

今週末夏時間から標準時間に戻ります。 時計の針を進めるのだったか、遅らすのだったか、いつも迷うのですが、日曜の明け方は、1時間だけ長くやすめます。 (06/10/27)

Thursday, October 26, 2006

J.Wyatt書き直し (2006/10/26)[o]

今日、井上氏のメールにジェーン・ワイアットさんの話が出ていたので、一部、書き直します。

田中さん、井上さんのメールを読みましたが、ジェーン・ワイアットさんをご存知の方は、かなりの映画・テレビ好きの方かシニア-の方でしょうね。

私が彼女を初めて見たのは、戦後直ぐのエリア・カザンの「影なき殺人」だったと思います。
その後の彼女は余り記憶にありませんし、「パパは何でも-」でエミー賞を3回も取ったことはなんとなく覚えていますが、井上さん同様に彼女がそんなに有名人であったことは全く知りませんでした。日本では知名度はいまいちだったと思います。

96歳まで、長寿で良い人生を送られたようで、嬉しい限りです。

日本の女優でも、80歳を過ぎて原節子・高峰秀子・森光子といった方がご存命ですが、森さんはまだ舞台ででんぐり返しをするほど元気です。

こうした主演俳優に比べ、脇役はその存在感がまた違ってきますが、先日亡くなった多々良純さんなどは、あくの強い存在でした。
ファンもかなり偏ったと思います。

私は眠れないときに、よく昔のフランス映画のビデオを見ますが、レイモン・エモス、レイモンコルディの二人を見ると、何故かほっとします。

エモスは痩せた小悪党の感じがなんともいえず、コルデイは小太りでパリ祭の運転手、自由を我等にの没落する経営者が印象に残ります。
フランス映画好きには忘れられない名脇役です。

ところで、このレイモン・エモスがアメリカ映画に出ていたのを、ご存知ですか?

ゲイリー・クーパー主演の映画に出ていたのですが、これをご存知の方は少ないと思います。
クイズのつもりで答えは書きませんが、もし正解者がでたら一杯おごってもいいです。もっとも、日本のしかも東京近辺の方でないと困りますが-。

正解のメールをお待ちします。    (06/10/26)

ジェーンワイアトさん (2006/10/26)[o]

相変わらず井上氏の投稿は少なく、大変ですね。あれだけのエッセイを毎日書くことは普通考えられません。

小生は、時間があるときにしか書けませんが、悪しからず。

田中さんのジェーン・ワイアットさんの記事を拝見し、彼女を知っている映画ファンというかテレビ好きも少ないことと思い、ペンを取りました。

私が彼女を始めてみたのは、戦後のエリア・カザンの「影なき殺人」だったと思います。
その後の彼女は余り記憶にありませんし、「パパは何でも知っている」でエミー賞を3回も取ったことはなんとなく覚えていますが、まさか、彼女がそんな有名人であったことは全く知りませんでした。
いい人生を送られたようで、嬉しい限りです。

恐らく、今の映画ファンに聞いても彼女の名前すら知らない人が大半でしょう。
映画というのは不思議なもので、主演俳優より脇役の方が印象に残ってよく覚えていたりするものです。

私は眠れないときによく昔のフランス映画のビデオを見ますが、レイモン・エモス、レイモン・コルデイの二人を見ると何故かほっとします。

ルネ・クレールがこの二人をよく使っていましたが、この二人はフランス映画好きには忘れられない存在です。
ところで、レイモン・エモスがアメリカ映画に出ていたのを、ご存知ですか?

ゲイリー・クーパー主演の映画に出ていたのですが、これをご存知の方は少ないと思います。
クイズのつもりで、答えは書きませんが、もしこの映画をご存知の方がおられたら、一杯おごってもいいです。もっとも、日本でないと困りますがー

答えのメールをお待ちします。
                          」

たまには、読者からのメールを期待するつもりでクイズ形式にしましたが、いかがでしょうか?

家内が今月は晴天のせいか調子よく、助かっています。 (06/10/26)

Tuesday, October 24, 2006

貴重な投稿有難うございました (2005/10/240[s]

力のこもったエッセーを次々にお送りいただき、深く感謝しています。

「正義はあるのか」  この問いはこれからも永遠に続けられることでしょうね。

50年前に岩波文庫で読んだだけのおぼろげな記憶ですから、あまりあてにはなりませんが、福沢諭吉が、「ロシア人だけはわからなかった」と言っていたように思います。 何でも見てやろう精神の旺盛な青年福沢ですから、何事にもたじろがなかったはずなのに、ロシアを訪れた際、正体不明のロシア人から、「ロシアに残らないか」と言われ、さすがの福沢青年も気味が悪くて断ったと記憶しています。 その頃からロシア人というのは、何を考えているのか正体も本心も掴めない存在だったのですね。

坂倉氏のお父さんも、シベリアで抑留され、無事帰ってきたからよかったものの、お父さんや留守家族の苦労を自分の妻子には繰り返させまいとアロハさん自分で自分に誓ったようです。

私は近頃ラフマニノフを時々CDで聴くのですが、荒涼としたロシアで育ったラフマニノフが、どうしてあのような甘美でロマンチックな音楽を創造できたのか不思議でなりません。 そのラフマニノフもソビエトロシアには住めなかったのでしょう。 アメリカに亡命したわけですが、あのフランケンシュタインの従兄弟みたいな硬い表情の天才は、音楽の世界のミケランジェロのようなみずみずしい感性と活力を秘めていたわけですね。

チャイコフスキーにしても、不幸な生涯で、悲劇的最期でしたが、シンフォニーの題も「悲愴」。 それなのに、秋山和慶さんによると、北米のコンサートで最も人気のある作曲家なんだそうですね。

私は、ドストエフスキーはおろか、トルストイも殆んど読んでいません。 それにしも米川正夫さんの翻訳で精神の糧をうけた日本人は測り知れないものでしょう。 私も「戦争と平和」の翻訳を一度だけ通読して、専攻は史学科に決めたのでした。 今にして思えば、私自身も、ロシア文学と米川正夫氏の働きに影響を受けた一人だったのですね。

どうかお元気で。    (06/10/24)

Monday, October 23, 2006

どれだけお役に立てるか (2006/10/23)[o]

やはり投稿が減りましたか。残念ですね。
井上氏のエッセイが大きな影響力をもっていたことがよく判りますね。あれだけ大量の原稿は普通は書けません。
小生、少ししか書けませんが、枯れ木でもなんとかなる範囲で、時間があれば送ります。

貴兄の眼鏡が余り効果が無かったことに、ちょっと残念な想いです。
それにしても13インチのテレビではやはり小さいですよ。井上氏とももう少し大きくしないと、眼に良くないと話したことがあります。
お金はかかりますが、換えてよい結果が出たら、それで良しです。
奥様がほとんどテレビをご覧にならないようですが、ビデオのこともあり
了解していただけるでしょう。

お金はあの世へ持っていけるわけでなし、小生も来年からは預金食いつぶしでも旅はしたいと思っています。
最近は、老齢者の医療費の負担率が1割から2~3割に上がり、確定申告で65歳以上に適用される老齢者控除も廃止。
年寄りに冷たい国になりました。病人を抱えて小生は本当に困ります。

まぁー前置きはこのくらいにして、肝腎の中身ですが、どうも小生、エッセイを書きなれていないので、適当にかきますから、直すなり、二回に分けるなり善処してください。

前回、硫黄島の事を書きましたが、あの島の防衛戦については、私が以前訪れたぺリリュー島の戦いが、栗林中将にとってかなり参考になったようです。
すなわち、地下に洞窟陣地を作り、ゲリラ的にあちこちの穴から飛び出して敵をかく乱する、そうすれば長期間対抗でき、それが日本本土の防衛にプラスになるーいわゆる時間稼ぎ戦法だったのです。

それともう一つの違いは、栗林中将は上陸してくる敵を水際で撃退する作戦を止め、一旦上陸させてから攻撃する作戦に切り替えたのです。
これは本土の陸軍軍令部あたりは大反対したようですが、要は黙って敵を上陸させてしまうのです。

水際撃退作戦はこちらの砲の位置を知られ、事前に爆撃と艦砲射撃で全滅させられるとの考えから、じっと我慢して、大半が上陸してから一気に集中攻撃を開始することにしたのですが、擂鉢山の一部の砲が待ちきれずに打ってしまい、直ぐに攻撃されてそこが全滅したため、その後の作戦に狂いが生じたといわれています。

この作戦は沖縄でも用いられていますが、アメリカ軍は容易に上陸できることをかなり不審に思ったそうです。

こうして、水際で余計な損害を出さずに兵器を温存し、地下にもぐって戦い、硫黄島はぺリリュー島と同様に一ヶ月以上の長期戦が出来たのです。

この他に、硫黄島ではベルリンオリンピックの馬術で優勝した西中佐が
戦車隊の隊長として戦死しています。
アメリカ軍は西中佐がいるのを知っていて、盛んに「降伏しろ、バロン西を殺すに忍びない」と呼びかけたそうですが、西は姿をあらわさなかったそうです。
栗林も西も、遺体は確認されていません。

こうしたドラマは戦時中には数限りなくあったでしょうが、こうして本来生きられた人たちが、戦争という名のもとで死んでいくことに、私は耐え切れません。
私の身内では幸いにも亡くなったものはシベリアに抑留された叔父一名だけでしたが、それでも、叔母が引揚船が着くたびに、舞鶴へ行っていたことを思い出します。

映画「硫黄島」を見たら感想を書きます。
                                           」
今日は時間が無く、雑文でごめんなさい。
また、少しでも書きます。 (06/10/23)

Sunday, October 22, 2006

とりあえずひと言おれいを (2006/10/22)[S]

やはりそうなんです。 投稿も、貴兄からのものを除いて、パッタリ止み、夕凪の状態です。

私自身がもっと書くべきなんですが、午後になると目が疲れ、夜はコンピューターの画面に目を凝らしても、ぼんやりしていることは、前と同じです。

眼鏡も新調したのですが、殆んど効果がありません。 DVRを買ったのですが、その画面のインストラクションが読めないのです。 家内に横に坐ってもらって、声を出して読んでもらっているのですが、こうも視力が違うものかと、いささか落胆のムードです。 今使っているテレビは13インチですが、小さいから見えないのかと思ったら、テレビを覗いた若い人が、「画像が鮮明だ」と驚いていたのには、私が驚いてしまいました。 もっと大きなテレビを明日にでも買いに行こうかと考えているところですが、家内はテレビといえば1週間に2分しか見ないので、盲の私だけが無駄遣いを重ねています。

とりあえず、今日はひと言だけ、メールを頂いたことに感謝して。

(06/10/22)

やはり投稿少? (2006/10/22)[o]

送った2本がすぐに使われたので、やはり投稿が少ないのかと心配しています。
小生の文才ではとても井上氏のようには書けません。同じレベルは期待しないで下さい。

それでも、時間があるので1本だけ書くことにします。


貴兄が「ワールド・トレード・センター」を見たと前回のメールにありましたが、小生、どうも9.11を再度見たいとも思えず、今上映中ですが見送ります。
貴兄も感じられているように、僅か2発の爆弾で20万人を殺した広島・長崎に比べると、9.11など大人と赤ん坊くらいの違いです。
それを大騒ぎするなら、何故、アメリカの政治家は日本に来て、広島・長崎の原爆資料館を見に行かないのか、不思議です。

先日のライス国務長官くらいは行ってくれるかと思ったらなんと24時間も日本には居らず、即出国。

それにしても、何故、原爆を実験的に落とすのに大都市を狙ったのか?
イエロー・モンキーならどこでもいいや、という感覚にしか日本人には思えません。ドイツなら落とさなかったというのが、通常の一般論です。

日本は真珠湾を攻撃したときも、フィリッピンのクラーク基地・有名なコロンボの爆撃にしても、爆弾は軍事基地だけで民間の家々には一発も落としていません。

都市の無差別爆撃は、1944年英国空軍のドイツ・ドレスデン爆撃が最初といわれていますが、戦後のドレスデンでの慰霊祭には英国のヴィクトリア女王が訪れ、謝罪しています。

アメリカは謝罪どころか、エノラ・ゲイを飾っても広島の原爆のことには全く触れていないというのだから、あきれます。在郷軍人会の反対とのことですが、いったい何を考えているのか!

もっとも、アメリカ人全員がこれと同じ感覚だとは思えませんし、思いたくもありません。

その意味を含めて、クリント・イーストウッドの「硫黄島」2部作が今月と12月に封切られるので、今はこの映画に関心大です。先日始まった東京の国際映画祭のプレミア・ショーはこの作品でした。

第1部の原作、ジェームズ・ブラッドリーの「父親たちの星条旗」を是非読みたいと、図書館に行ったら、今月の発売で、まだ入っていませんでした。
映画が先行して、原作の翻訳が後になったようです。

第2部の日本側から見た硫黄島は「家族からの手紙」は司令官栗林忠道中将の家族との手紙のやり取りからヒントを得たようですが、上坂冬子の「硫黄島いまだ玉砕せず」をはじめ、何冊かの本でこの栗林中将と妻子との間の手紙を読みました。
ここで内容を書くと映画の興味が薄れるので書きませんが、あの地下要塞を短期間に作り上げ、5日で占領すると豪語していたアメリカ海兵隊を一ヶ月以上釘づけにした猛将栗林中将の家庭に対する愛情の深さに驚いたものでした。栗林中将は、戦前、アメリカにも駐在したことがあり、そのときの家族との手紙も素晴らしい内容です。

信じられないのですが、サイパンを取られ制空権・制海権はほとんど無かったはずなのに、何回も手紙が硫黄島に送られ、返事がきているのです。
サイパンの後、最後の砦になった硫黄島に日本軍も薬や弾薬を送るため、必死に飛行機を飛ばしたのでしょうか。

全島、地下から硫黄が噴き出し、食料より水が無くて大変な島。今も東京都は居住許可を出していません。
滞在しているのは、自衛隊だけです。
                                       
戦後、60年を過ぎても戦争は我々の脳裏から離れません。
クリント・イーストウッドがどんな観点から戦争を捉えたのか、封切りが楽しみです。
                            」                」
今日はまた、映画と戦争の話になってしまいました。
少しは明るい話を書きたいと思いつつ、最近の暗い世相のせいか暗い話になりました。

だんだん寒くなり、寒さに弱い小生は暖かなところへ少しでも逃げるべく、安くて暖かな地への旅を探しています。

昨日ラジオを聞いていて、哲郎さんのことを思い出しました。
タレントの仕事はいかがでしょうか?哲郎さんは拝見したところ、向いておられるようなのできっと良い仕事が見つかっておられると思いますが。

では、また。 (06/10/22)

Saturday, October 21, 2006

沢山友人が増えます (2006/10/21)[o]

山田さんにメールを送り、いろいろな話を聞くことが出来ました。
カナダこのごろのお陰で新しい人と知り合え、感謝しています。

2通メールを送った後、また忙しくなり丁度良いときに送れたとほっとしています。
少しはお役に立てたでしょうか?

また時間があるときに拙い原稿を送ります。我ながら本を書いていたときの気分に戻れず、文章が浮かんでこないので、貴兄のメルマガを汚しているようで申し訳ないのですがー。

(06/10/19)

正義はあるのか (2006/10/19)[o]

また、拙文を送ります。

「日ソ共同宣言」から50年、モスクワでもいろいろな行事がおこなわれたようですが、北方4島が帰ってくる見通しは全くありません。

それどころか、ルシコフ・モスクワ市長は「日本人の大多数はロシアを嫌っている」とそんな国に領土など渡せるかという発言。
「日本が歩み寄ることは可能」とまで言うのですから、盗人たけだけしい、を通り越しています。

幕末、プチャーチンが来て日露和親条約を結んだときでも、樺太の領地問題でロシア人が行ったこともないのに樺太はロシアのもの、と主張していました。
そして、日清戦争の後も例の遼東半島に対する三国干渉で、ドイツ、フランスとともに日本に干渉。
要は、不凍港が欲しくて領土拡大を図ったのは、長年のロシアの政策だったわけです。そんなことは全部見抜かれているのに。
日露戦争もその遼東半島のおかげで始まりました。

あの大東亜戦争末期、勝手に日ソ不可侵条約を破棄して満州、樺太に攻め込み、8月15日の後も「戦争終結の条約は結んでいない」と千島列島を占領、兵隊、民間人の数十万人を連れ去り、ロシアで重労働に従事させ、その1割を死亡させたーー。

こんな非道なことを平気でやれるロシアを、日本だけでなく世界の国々が何も言わない、のもおかしな話です。

日本政府だけでなく、アメリカも何もいえないのはヤルタ会談でルーズベルトとスターリンの間に、「ドイツが片付いたらロシアは日本を攻める」との密約があったせいと言われていますが、世界中がこのロシアという国がどうしようもない国だと思っているのでしょう。

よく、ロシア人は一人一人はみんな好い人なのだが、「国」となると悪くなるといいます。本当にそうなのか私は疑問符をつけますが、皆さんはどうお考えですか?

崩壊したとはいえ共産主義体制、ほとんどが極寒の地という地理的な問題、寒さのためウオッカを飲みすぎ男は50歳台の寿命、こうした要因が
ロシアの人間形成に大きく影響していると思われますが-。

あの4島が返れば、漁場もかなり広くなり、日本にとっては大きなメリットなのですが、どうも相手が悪過ぎます。
今の害務省では交渉は全く出来ないでしょう。
世の中、やはり、悪いやつほどよく眠る、なのでしょうか。

戦後60年、日本がロシアに占領されなくてよかったという思いしかありません。
                                             」
今日は少し堅い話を書きましたが、載せるものがない日にでも使ってください。

(06/10/19)
 

企業イメージ (2006/10/19)[o]

拙文を過分に口を褒められてはもう少しくらい書かないわけにはいかず、また少し雑文を書きます。「 」内を掲載用に考えてください。そうしないと、貴兄宛てに私信的なことを書けなくなるのでー。

企業の悪口を書くのは余り好きではありませんし、したくありません。しかも相手が日本企業だと筆も鈍りますが、今回のPC用電池についてのSONYの対応は日本中、がっかり、びっくりしたのではないでしょうか。

最初の不良電池発見の段階で、どうして正確、精密な検査をしなかったのか、しかも、回収措置の遅れは、正にSONYの名を、そして日本製品の信頼性をゆるがせました。

税引き後利益が500億減る予想が新聞に出ていますが、そんな程度で済めば安いものです。
小生は、以前、ベータのテープのときにも苦汁をなめさせられていますので、今回の発表でSONY製品の購入を手控えようかと思い始めました。

それくらい、不良製品が出たときの企業のあり方は大切だと思います。

三菱自動車がリコール隠しを続けて、今も売上げは元に戻らず、周囲にも三菱の車は買わない、という人がたくさんいます。

これら一連の不祥事を見ていると、本質的には教育の問題にまでいくのではないかと思います。
悪いことを悪いと認めず、自分さえよければいいというような考えは、以前の教育にはありませんでした。古い話で恐縮ですが、仁、義、礼、智、信が主体でしたが、その効果はあったと思います。

団塊の世代くらいからいつか自分だけ、の考えが前に出てきて、現在はその考えが全てになっていますが、この教育が学校だけでなく、家庭でも行なわれ、遂に日本人の美徳が大きく損なわれる事態に立ち至ったように感じます。
日本人が優秀なのは学力の高さでなく、道徳の高さにあると小生は思っていました。

悪化の元は、日教組が悪いだけでなく、家庭が教育を放棄し、学校任せにしたことが大きな原因でしょう。

拝金主義といい、不良品隠しといい、だんだん人間が悪くなっていくのに何か慄然とします。
悪いやつほど良く眠ることは、未来永劫続くかと思うと情けなくなります。
                                             」

雑用でごそごそやりながら、2本書きました。
原稿の無いときにお使いください。

相変わらず、頭もパニックですが、これも宿命と考え日々なんとか過ごしています。
来年からコンサルの収入減となるため、余り旅も出来なくなるかも。

新しい老眼鏡は手に入りましたか?字が少しでも楽に読めるといいですね。ビデオも見られるといいのですが。 (06/10/19)

Wednesday, October 18, 2006

玉稿を待っています (2006/10/18)[s]

早速、味わいの深い筆致でメールをいただき有難うございました。 妻も拝読して、さすがプロの作家、筆の運びが興味をそそる表現になっていることに、いたく感銘しています。 これからもエッセーをお寄せいただけると期待して楽しみにしています。

井上さんからも次のようなメールが入りました。

= = = = = = = = = =

重松さんのメールを拝読し「山田嬢が倒れたから発信を当分控える」などと言って居られない事を知り何とかペースを落としても継続するよう考えたいと思います。 読者数1,000人と御聞きすると私の拙い文章をそんなに大勢の方が読んで下さって居る事に感謝申し上げたいと思います。

重松さんが10年前にやはりストロークに襲われたと御聞きし改めて健康管理の重要性を痛感しました。

井上 出

= = = = = = = = = =

読者千人というのは正確な数字ではありません。 メールマガジン「カナダこのごろ」の購読者は最近600人足らずに減っています。 2年前に比べて200人減った勘定。 しかし、大分前から友人知己より「最近Eメールニューズレターが届かないが・・・?」という問い合わせをしばしばもらっています。 勿論こちらで解除しているわけではないので、読者が個々に契約している取次ぎ ISPインターネットサービスプロバイダーに問題があって不具合が生じているのではないかと思います。 さもなければ、横の連絡などある筈のない読者が、まるで申し合わせたように、同じ日にまとまって10人20人と、ポカポカ減っていくとは考えられないからです。 

他のメールマガジン発行者にしても、同じ様な悩みを抱えていると、別なメルマガにも出ていました。

という次第で、「カナダこのごろ」の購読者が600人、「イノさんシゲさん」をヒットする人が毎日200人、それに加えて、「カナダこのごろ」のホームページ、「ABE」 abemotoharu.blogspot.com などのような各種ブログを開く人が200人・・・と加えていくと1000人という数字に近付くのです。

日本語のブログだけでも何十万、何百万とあるでしょう。 読者というパイはただ一つ。 それを切り分けているわけです。 

それに、テレビ、ビデオ、DVDと、我々の時間を奪うメディアがこれまた無数。 一日24時間しか使えない超多忙新人類に、たとえ1000人でも読んでもらえるのなら、大いに感謝すべきことと考えます。

Oさん、いやAさん、ツマロウとツマルマイと、ぜひ文章を寄せてください。 貴兄の表現がユニークで、発想がオリジナルなのですから、読者も待っているのです。

何卒よろしく。 (06/10/18)

休載残念 (2006/10/18)[o]

井上氏の秘書が倒れられたようで、休載になり、残念です。
病状が、少しでも軽いことを祈るばかり、ただ左だということなので、
女性は左脳の方が軽いと聞いたことがあるのでそれだけを信じています。

井上氏にはこの機会に、自分でメールを打つことをお薦めしたいと思います。先日お会いしたときも、たまたまその話をしたのですがー。
自分でやると、それを実行している人のことも良く判り、一石二鳥だと思います。

小生も勿論最初からメールを打てたわけではなく、見よう見まねでやっているうちに一通りのことは相手に伝えられるようになりました。
でも、未だにこのメールに絵文字や記号を入れる方法が判りません。
パソコンの本は厚くて読めず、教えてくれる授業料を出すのがけちで嫌なので、パソコンスクールは行かず、全部自己流です。

小生、頭を下げられない性格なのか、周囲の人に恵まれなかったのか、
なぜだか判りませんが、放送作家になったときも誰も師匠はなし、自分で書いた原稿を局を持ち歩いて、やっとNHKでひろってもらったのが、初めでした。
放送作家になって直ぐに、名和晴朗さんという「お笑い三人組」を書いておられた方に弟子にしてくださいとお願いに行ったら、「貴方はもう書いたものが放送されているのだから、プロです。弟子には出来ません」と断られ以来、自己流。

会社を作るときも、行政書士に頼むと多額のお金がかかるので、980円の本を買ったきて有限会社を自分で文書を作り、設立し、解散するときも市役所の法律相談室へ行って解散手続を教えてもらって、とうとう、全部、ただでやってしまいました。
教えてくれた行政書士が「これ以上教えると飯の食いッぱぐれになる」と
笑っていましたが、これだけで何十万か得したはずです。

本を書いたときも勿論一人、吉村昭さんの本が手本です。
今は、ルパンの会というのに入っていて、山本祐司氏に手ほどきを受けていますが、それも1冊目の本を出した後からです。山本先生も小生にはほとんど何も言いません。

車の車検を自分で取ったのはもう、二十数年前からの話で、車体検査がこんな簡単に行なわれていてのか、とびっくりしました。
検査時間は十分足らず、検査しているそのときに、ライトがきちんとツキ、
改造がされておらず、ブレーキが利き、排ガスが基準値内で、メータが誤差10%以内なら、OKです。
業者が車検を通すためといっていろいろ整備して金を取るのにあきれます。
車についている取扱説明書に部品の交換時期が書いてありますから、
車検の前にその部品だけ業者に頼むか自分で交換し、そのあと車検を受ければ一番安く上がります。ブレーキなど安全にかかわる大事な部品だけ、業者に任せるのがコツです。
最近の車はほとんどいじれるところが少なくなって、余り面白くありませんが、日本の高い車検費用を馬鹿らしく思っておられる方は、お試しください。

どんなことにせよ、人間がやっていることは人間ならやれる、と思って小生色々なことに手を出してきましたが、こんなやり方もあると思ってください。

今日は、井上氏の原稿がないと貴兄が困っているのではないか、枯れ木も山のにぎわい、と無理してつまらない話を長々と書きました。
もう少しツマル話を書きたかったのですが、ごめんなさい。
昨日、ALOHAさんと会い、2時間ほど中東のことを含め、いい話を聞かせてもらいました。彼の論説はユニークで面白いです。
今朝、ALOHAさんにも「このごろ」に、是非、投稿するようお願いしておきました。

連日の秋晴れで、さわやかないい気分です。仕事では最悪気分でしたが
今、精神状態が上昇気味なので、良くなったらもう少しいいものを送ります。

(06/10/18)

Saturday, October 14, 2006

お便り有難う (2006/10/14)[s]

メールありがとうございました。 中谷さんへのメールもいいメッセージなので、「読者ラウンジ」で紹介させていただきました。 お許しください。

お互いリタイアの身と言いながら、いろいろ忙しいものですね。 奥様のご健康が安定されたとうかがい、喜ばしいニュースです。

私が自動車の運転を止めたのは、視力の衰えもさることながら、自分の精神状態に不安を感じるようになったからです。 それから15年。 前にも申し述べたように、心理学者と長いコンサルティングのシリーズをやってもらったり、千葉の病院の精神科の科長の女医さんでバンクーバーに研修にきていた若い先生にも10週間話してもらったのですが、効果はありませんでした。 そして心理学者も精神科医も、私の状態を病気だとは認めてくれません。

しかし、バンクーバーにも、心を病む日本人が多いとみえて、その人達の相手になる日本人のカウンセラーが何人もいるようです。 私も、そうしたカウンセラーに相談してみてはどうかと、他の日本人に言われたことがありましたが、その人も若いし、カウンセラーもこちらの大学で臨床心理学を学んだ日本人で、どうせ世代がかけ離れているでしょうから、そのアドバイスにはご辞退しました。

今の願望は、もう一度、活字を読めるようになること。 今強度の老眼鏡を注文しています。 このぐらい強いとバンクーバーには在庫がないらしく、モントリオールに注文するのだと、COSTCOのオプティシャンは言っていました。 本当かな? COSTCO は安いので定評があるのですが、それでも500ドルしました。 大創のバンクーバー店で買えば2ドルなんですが。 250倍も値段が違います。 私も買いましたが、医者の処方でこしらえた眼鏡と比べてちょっと質が落ちるようで、無駄かもしれませんが、活字を読みたい一心で奮発しました。

私が10年前に、モントリオールで、近視用の水中眼鏡を眼鏡店で注文したら、「パリから取り寄せならなければならない」と言います。 そして実際に受け取った現物はメードインジャパンでした。 眼鏡一つでも、手にいれるためには、ブローバルな手配がおこなわれるような時世なのですね。

ではまた。  (06/10/14)

ブログの感想有難うございました (2006/10/14)[o]

中谷 剛 様

ポーランドは「黄金の秋」だそうで、やはり紅葉がきれいなことと思います。もっとも、木の種類が大分違うように見え、針葉樹が多かった記憶があります。

ところで、ブログをお読みいただき、有難うございました。
一見の対象にアウシュヴィッツとリオのカーニヴァルを並べたので、皆さん一様に、異様な感じを受けられるようですが、本当にそうなのです。

アウシュヴィッツをテレビや雑誌で見て読んでも、あの重い事実をはっきり認識するのが難しいように、リオも行ってみなければ判りません。

テレビであのサンバの音楽と踊りでこんなものかと思ってみんな行くのですが、あのサンバの強烈な音、ヴォリュームそして1チームが3千から4千人もいるサンバチームの踊りは見る者を圧倒します。一晩に三万や四万人が全体であのチームに参加しているのです。

あの皆が踊っている大きな山車を後ろから黙々と押しているだけで、踊りに参加できない人も何百人いや何千かも、もいるのです。
そのため、1年間稼いだお金を惜しみなくそのチームに注ぎ込み、1チーム僅か1時間足らずのパレードに参加するのです。

ここには全く想像を絶する人間の遊び、快楽と言うと語弊がありますが、生きていることの楽しみ方の典型が見られるのです。

そうした意味で、この二つをあげてみたのです。

もし、機会があれば、中谷さんもリオのカーニヴァルへ行かれる事をお薦めします。唖然とするほどの凄さです。

全く違う人間の顔が、そこに見えるはずです。

あのブログは実は私が作ったのではなく、学校時代の友人がカナダに移住していて「カナダこのごろ」というメルマガを
作っているのですが、私もときどきそこへ投稿しているのです。
その関係でアウシュヴィッツの事を書いたら、是非多くの人に読ませたいからとわざわざブログを作ってくれたのです。

重松という男で、イギリス、カナダのBBC,NBCで日本語放送を担当していた男です。
私と同様、もう引退して今はこの「カナダこのごろ」に専念しています。

もし、時間があったら、覗いてみてください。
www.members.shaw.ca/canadakonogoro
無料メルマガ配信に登録すれば、無料で配信してくれます。
そのアドレスはページの最後に載っています。

このブログを含め、今まであちこちに書いてきたことをまとめて次の本にするつもりですが、家庭の事情もあって中々書けません。ポーランドへ連れて行った家内は実は病人なのです。
娘は一緒には行っていません。誰か他の人の見間違えでしょう。

寒い中大変なお仕事ですが、一人でも多くの方にあの博物館の意義を理解していただくため、ご活躍を期待しています。
            
                阿部 基治拝 (06/10/14)

Wednesday, October 11, 2006

気を使わずに (2006/10/10)[o]

サーモンをお送りいただいたとのこと、どうか気を使わないで下さい。

ビデオを送ったので 気にされたのではないかと思いますが、元は 今までとってあった物をダヴィングしているだけですから、ただです。

それより、貴兄を訪問した際、食事代から飲み物代まで、全部ご馳走になっていて それを何時、どうやって返すか困っているので、どうか、小生には何にも気を使わないで下さい。 お願いします。

サーモンは 前回も 長持ちすると 随分長く置いて食べた記憶があります。 到着したら、有難くいただきます。
お互い年金生活者ですから 出来る範囲で無理は止めましょう。

家内の友人で農家を兼業している方がいて、ときどきお米など送っていただくのですが、こちらも 最初はお礼していましたが、最近は、家内と 貧乏は知られているからまぁいいか、とほとんど礼状だけになりました。

井上氏、ALOHA氏とも裕福で 付き合うのも大変ですが、たまにしか会えないので、来週はALOHAさんとお会いする予定です。

お二人とも 小生の持ち合わせない長所をお持ちなので、大変勉強になります。

このところ家内も調子よく、助かっています。

秋晴れが続いているせいでしょう。

ヴァンクーヴァ-の気温が一桁まで下がっているのを新聞で見て、寒さに弱い小生はぶるぶる。

こちらの現在、15~25℃くらいの気温は 一年中続いて欲しい温度です。 からっとしていて、最高です。

昨日、ポーランドの中谷さんのメールにも「今は、黄金の秋」ですとありました。

体調の良いときに紅葉狩りにでも行ってみます。

ではまた。 (06/10/10)

Monday, October 09, 2006

サーモン送付のご案内 (06/10/09)[s]

それはそうと、この前のメールで言い忘れたのですが、鮭の燻製をお送りしました。 去年お持ち帰りいただいたものと同じです。 包装を開かなければ、冷蔵庫に入れなくても、2年ぐらいはもつというので、送料をケチって船便にしました。 年金生活ですっかりケチが身につきました。 どうかお許しください。 それに、去年と同じもので恐縮ですが、バンクーバーではカナダ製のお土産が無いのです。 楓の国旗までメードインチャイナです。 チョコレートなどもお土産売場にありますが、いずれもベルギー製とかスイス製など。 カナダ的なものは、サーモン以外に思いつきません。 忘れた頃に届けばいいのですが、ひと言ご案内まで。  (06/10/09)

Sunday, October 08, 2006

石岡さんの話 (2006/10/08)[o]

石岡さんのHANAの鞄の話、寡聞にして小生は全く知りませんでした。
新聞かテレビで報道されたのだと思いますが、2001年というと丁度家内の看病が始まった年で、テレビなどほとんど見ていませんから、それで抜けてしまったのかもしれません。

日本人もいろいろな面で活躍されている方がおられるのは、よく耳にしますが、石岡さんも若いのに良く頑張っておられると思います。

ただ、鞄が偽物だった話にはがっかりしました。どこの国にも悲劇を作りたがる人間はいるのですね。
でも、HANAの話が真実で救われました。
石岡さんも恐らく、全く気付いていなかったと思います。

彼女の善意が、裏切られずに良かったですね。
こうした日本人が増えることを本当に期待したいですね。
昨今の青少年の犯罪を見聞きすると、日本の将来に全く期待をもてなくなりますが、石岡さんといい、中谷さんといい、海外で頑張っている日本人を見ると拍手を送りたくなります。

そのうちに石岡さんのことも良く調べてみます。

実は、先月のお彼岸前より体調を崩し、連日微熱があって 医者にも行きましたが、喉が腫れていて 風邪とのことで もう、3週間近くその状態が続いています。今年は、月の3分の1はこんな状態です。

井上氏とあったり、仕事や買い物に出たりは勿論していますが、折を見ては寝ている有様で、何もろくなことはしたいません。

このまま老いて、寝付きたくはないし、医者も他にかかってセカンドオピニオンを聞いてみるつもり。

そんなことで、ろくなことは書けません。

今日のも私信ですから、載せないでください。
そのうちに少し身体を直して書きます。 (06/10/08)

Saturday, October 07, 2006

アンナのかばん (2006/10/07)[s]

ホロコースト教育資料センターの石岡史子さんのことは、日本でも広く知られていると思いますが、彼女の名前と活動は、カナダでは有名です。 というのは、私がたまたまラジオを聴いていて、「フミコイシオカ」の名前を耳にしました。 感動的なドキュメンタリーの番組でしたが、その後、テレビの番組となり、何度も放映されたので、石岡さんと「アンナの鞄」はすっかり有名になりました。 

ここにグーグルで検索した石岡さんのページを転載します。 ご了承ください。

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石岡史子(いしおかふみこ)さん ホロコースト教育資料センター
http://www.ne.jp/asahi/holocaust/tokyo/

2000年3月、石岡さんのもとに古びた茶色い皮のスーツケースが届いた。そのおもてには、白いペンキで持ち主の名前「ハンナ・ブレイディ(Hanna Brady)」と生年月日、そしてドイツ語で「孤児」の文字が大きく記されていた。

ホロコーストを通じて子供達に平和の大切さを理解してもらおうという活動を始めていた石岡さんは、開設して間もないホロコースト教育資料センターに何か実物を展示できないかと、1999年秋にアウシュビッツ博物館を訪れ子供の遺品の貸し出しを依頼していた。

その半年後、突然送られてきたスーツケースに、センターに定期的に集まる小学生から高校生のボランティアグループ「小さなつばさ」の子供たちの好奇心もふくらんだ。「ハンナのことをもっと知りたい」。子供たちの声に押されて、石岡さんは欧米各地の博物館に問い合わせ、ハンナが生れ育ったチェコにも足を運んだ。石岡さんの粘り強い努力にいくつかの幸運が重なって、わずか数ヵ月後にはハンナの兄ジョージがカナダのトロントで生存していることを突き止めた。2001年3月、ジョージは日本で57年ぶりに妹のスーツケースと再会を果たした。

この話をカナダの放送局がラジオ番組として放送、番組のプロデューサーが書いた「ハンナのかばん(Hana’s Suitcase)」は児童書部門でベストセラーになった。石岡さん自らが翻訳した日本語版も昨年7月に出版され、すでに2万7千部が子供達の目に触れた。フランス語版も昨年秋に出版され、今後も10カ国語以上に翻訳される予定という。昨年10月、初めてスーツケースを持ってトロントを訪問した際には、映画化の話まで飛び出した。しかし「あまりドラマチックに作られても困る。この話は大切に伝えていきたいので、実現するとしても何年も先になるのでは」と石岡さんは慎重な姿勢を崩さない。

石岡さんは1970年東京生れ。92年テンプル大学日本校を卒業後、英国リーズ大学院開発学部で人権や女性問題を学んだ。帰国後97年に仲間に誘われて、子供のためのアンネ・フランク展示館を開設しようというNGOに参加。98年10月、東京・新宿のマンションの1階に展示室を兼ねたホロコースト教育資料センターを開設するとともに代表に就任した。

運営費は100人ほどの会員からの会費とその他の寄付金だけ。不況下で寄付金集めもままならず、今年4月には資料の展示室を休館、現在は学校の文化祭や自治体の催し物に展示パネルを貸し出したり、石岡さん自身がハンナのかばんを持って訪問授業や講演会などで全国を飛び回って活動を続けている。

中東情勢が緊迫化するとセンターの活動を批判する意見も寄せられる。カナダで講演した時は、旧日本軍の戦争犯罪を指摘されたこともある。しかし、政治や宗教を超えた平和教育にこだわりたいとの信念がその活動を支えている。「個人のレベルで、人種や宗教の異なる人たちがどうやって平和を作り出せるか。他人の傷みを理解できる社会作りに教育という立場から貢献したい」。2年後には高校の英語の教科書にハンナのかばんの話が取り上げられることになりそうだという。

「小さなつばさ」の子供たちと「ハンナのかばん」を読んだカナダの子供たちとの交流も始まった。現在石岡さんは、日本の子供たちが書いた手紙を携えてカナダを訪問している。

コンタクト情報:
ロコースト教育資料センター Tel: (03)5363-4808
E-mail:holocaust@Tokyo.email.ne.jp

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以下は私の言葉です。

私も何度かこの番組をみて、「日本にも偉い女性がいるものだな」と感激しました。 石岡さんは、チェコをリサーチのために訪れ、ハンナの消息の手掛かりを探しているうちに、飛行機の出発の時間が迫ってきました。 その時、ハンナの兄さんがトロントに生存していることがわかり、胸が高鳴ります。 しかしその兄さんがどんな反応を示すかわかりません。 そこで手紙を書きました。 そのレターを受け取った兄さんは驚愕。 そして2人は出会うことになり、以来その鞄を携えて、アメリカやカナダの学校を訪れ、子供達にハンナの事を話します。そうして感動の輪がひろがっていきました。

後に、その古びた鞄が、年代よりも新しいことに気付いた兄さんの娘が、鞄が本物か疑問を抱いたこともありました。 それを最初に送った博物館が、実は本物ではなかったことを認めて謝罪する一幕もありました。 しかし、ハンナの短い生涯は事実でした。 ハンナの幼い頃の写真と石岡さんのイメージは今や重なって、平和を訴える強い働きをなしています。

石岡さんの努力と貢献を讃えて、カナダの大学は名誉博士号を贈り、石岡さんはドクターイシオカとなりました。そういう人道的な貢献を若い石岡さんが実現してくれたことに、私も日本人の一人として誇りを感じます。    (06/10/07)

Friday, October 06, 2006

アウシュヴィッツの記事を読んで (2006/10/06)[s]

「アウシュヴィッツとカナダ」のエッセイ、有難うございました。 たしかに凄いですね。 無念のうちに亡くなっていった人達のことを考えると、ぼんやり生きて亡霊をぼやいている私など、実はきわめてラッキーなアニマルの一匹なのだと思います。 ユダヤの烙印を押されて恐怖のうちに最後の時を迎えた人達の苦衷を思えば、何事にも不満を抱くなんて、リディキュラスです。 そうは一応反省するのですが、凡人の浅ましさ、些細なことに心が動揺し、ひとりクヨクヨして、情けない醜態を演じている有様です。

しかし、それにしても、貴兄からいただくメッセージは、心を慰めるものがあり、まさに貴重な魂の糧となり、恵みとなります。

  (06/10/06)

Thursday, October 05, 2006

アウシュヴィッツとカナダ (2006/10/04)[o]

昨日、井上氏とお会いしました。
まだ、熱が引かなかったのですが、彼のスケジュールが混んでいるようなので、無理して出かけ、結局3時間話し込みました。

話題が豊富でしかもアウシュヴィッツの話もしたので、井上氏も床屋の予約を忘れて話し込んでしまった次第。

ところで、アウシュヴィッツとカナダは何の関係も無いように思えるでしょうが、実は、大きな関係があることを昨日、井上氏にも話しました。

ここまでは序文、「このごろ」ではカットしてください。

アウシュヴィッツとカナダは 一見何にも関係が無いように思われるでしょうが、凄いことに アウシュヴィッツの中に 信じられないでしょうが、「カナダ」と呼ばれていたところがあったのです。

アウシュヴィッツに送りこまれた人達の 財産、金品を SS(ナチス親衛隊)が全部、取り上げたことは 前に書きましたが、その没収財産の 一時保管倉庫が 「カナダ」と呼ばれていたのです。

なぜ、この倉庫が 「カナダ」と呼ばれていたかというと、裕福な国、ということだったそうです。

SSも「カナダ」と呼ぶようになったということなので、最初は 収容者がそう呼ぶようになった と思われます。

1945年1月20日と 26日に 大量殺人の証拠隠滅のため、SSは この倉庫(アウシュヴィッツ第1とビルケナウの2ヶ所にあった)に放火しましたが、全部はとても燃やしきれませんでした。

残された物は、ソ連の調査団の報告だと以下のとうりです。

 男性用衣服    24万6820着
 女性用       83万6225着
 子供用       11万5063着
 男性用靴   3万8000足(ただし靴底なし)
 女性用       5525足
 眼鏡          1万2921個
 かばん           3162個
 ブラシ         4万9865個
その他、ナイフ、スプーン、はさみ、鏡、洗濯石鹸、布団絨毯など物凄い数です。

焼けたものを加えたら、想像を絶する数になると思われます。

これが「カナダ」に一時保管されていたもので、もちろんここから発送されていったものは別で、資料でも1944年の年末の37日間に 116本の貨物列車が 動員された記録が残っています。
全部でどれだけあったか、全く想像できません。

カナダが1940年代でも、裕福だと思われていたことに、カナダの人々は 複雑な気持ちを持っておられるのではないでしょうか。

なお、アウシュヴィッツのことを知るには、素晴らしい本があります。

中谷 剛 著 「アウシュヴィッツ博物館案内」
         凱風社  2005年5月出版

昨年、アウシュヴィッツを訪れた日本人は 約7千人、韓国の3分の1、世界では20番目に近い数字です。
地元ポーランドを除くと、アメリカ、ドイツ、イタリヤの順です。

どうしてもアウシュヴィッツまで行かれない方は この本の一読を薦めます。

ポーランドの歴史から、ユダヤ民(中谷氏はユダヤ人という人種は無いのでこう呼んでいます)の歴史、収容者の証言、教科書問題など 幅広く書かれていますので、大変、勉強になります。

最近の銃乱射を初め、いろいろな事件を見ていると、このアウシュヴィッツを作り、ホロ-コーストを実行した人間の残虐性は 60年以上経っても ちっとも変っていない気がします。

残念ですが、人間は この程度の動物なのでしょうか?