Sunday, December 30, 2007

マイノリティの進出 (2007/12/30)[s]

「よくカナダ人が『カナダの様子も50年前にくらべると様変わりだ』と言うが、それは世界中どこに居たって同じことだろう」 

「私が移住してきたのは1974年だから、30年以上昔になるが、1960年代にカナダの移住政策が大きく変わったおかげで移住できたようなものだ。 それまではヨーロッパからの移民が優先的に考慮されていたから、結果的には白人社会が構成されていた。 それがピアソン内閣の時代になってヨーロッパ以外の地域からの移民にも門戸が開かれ、両手を拡げて受け入れるようになった。 それまでは、カナダに既に居住している人との血縁関係が移住の条件として重視されていたが、それが一転して、別に親戚がなくても資格やスキルがあれば受け入れるメリットシステムになった」

「だから今では150の国からやってきた移民達が、200の言語を使って生きているわけだ。 つまり多様民族による多様文化社会が実現したのだが、それが今でも絶えず国の表情を変えつつある」

「それにしても、最近はアラブ系と南アジア系の進出が著しいね。 30年前はアラブ系とユダヤ系はそれぞれ20万ずつで同じだったのだが、今はアラブ系の方が3倍多い。 南アジア系はというと、インド、パキスタン、スリランカが主になるが、特にパンジャブのシークの人達の政治力には驚かされる」

「あの人達はターバンを巻いて髭面だから目立つが、団結力がすごい。 オタワの議会でも訛りのある褐色の議員達がよく発言している。 どうして英語がパーフェクトとは言えないのに、議員に当選できるのだろう?」

「カナダ下院の議席数は308だが、そのうち41人が外国生まれだ。 これは13%に相当する。 ところがお隣のアメリカも移民の国だというのに、ワシントンの議会が上下院両方の議席を合わせても535で、その中に占める外国生まれは8人だけだ。 これだけみても、カナダの移住政策が、アメリカに比べて格段に効果をあげていることがわかる」 

「しかし南アジア系の議員が多いということは、立候補の段階から特異な原因があるのではないか。 カナダでは各政党が選挙区毎に候補者を決めるのは当然だが、その候補者は党員の投票で決まる。 では誰が党員かというと、数ドル出せば誰でもインスタントに党員になれる。 別にカナダ市民権が無くても構わない。 だから仲間を大勢集めて急造の党員に仕立てて、後は数で決めるのだから、同じ色の人が集まれば、その中から自分達の推す候補者を選べるわけだ。 そして選挙の際は、一般の有権者も、候補者個人の人気よりは支持する政党によって投票するから、立候補の段階で勝負が半分決まったようなもの。 だから特定のグループが集まればその候補者が当選する確率が高いといえよう」

「カナダは随分積極的に少数民族の顔を表に出そうとしているんだね。 公務員でも大学でもマイノリティの進出を推し進めようとしているが、そのうちカナダの外交もノンホワイトの大使が国際舞台で重要な働きをするようになるだろう」

(2007/12/30)

Friday, December 28, 2007

クリスマスも終わりました (2007/12/28)[s]

貴兄からのメールに対し、杉葉子さんは2時間後に応答してこられたのだったでしょうか。 それに比べ私のレスポンスは2日後になってしまいました。

杉さんは80に手が届くぐらいの年輪を積まれてこられたのですか。 それにしても貴兄からいただいた写真では、別な星からやってきたのではないかと思うくらい、年齢と次元を超えた美しさとしなやかさ。 そういう方と親しくされる貴兄が羨ましいです。

クリスマスの礼拝は16日から始まり、23日にも繰り返されました。 クリスマスの間は、大学生も若い家族も皆親許へ帰りますから、23日は少ないのではないかと思っていたのですが、代わりに普段教会のドアを開けることのない近所の人達がやって来たのか、会堂はいつもの通りいっぱいの会衆でした。

24日のクリスマスイブは、音楽とキャンドルライドの輝く礼拝が夕方と夜の2回行われました。 幼い子供達が勝手に跳び出してきて両手を拡げて即興のダンスをする光景が楽しさを盛り上げていました。

クリスマスデーの夜は、79歳の独身の友人のアパートに3家族が集まり、七面鳥を食べました。 暖炉は無かったのですが、テレビで絶えず火を燃やしているチャンネルがあって、興をそえていました。

26日はボクシングデーで公けの休日。 しかし年に一回最大最高の廉売大売出しの日とあって、商店やモールでは未明から店を開けます。 バーゲンハンター達の中には徹夜で並ぶ若い人達もいて、ドアが開かれるとドッと雪崩れ込みます。 狭いアパートでダウンサイズの暮らしをしている年金生活者には縁のないイベントです。

2008年も無事な年でありますように。 お二人のご健勝とご多幸をお祈り申し上げます。

Wednesday, December 26, 2007

押し迫りました (2007/12/26)[o]

賀状は日本の雰囲気を少しでも味わって頂こうと出したもので、本当はくじ付きの日本の年賀状がよいのかもしれません。

韓国をはじめ、杉葉子さん、ポーランドの中谷さんなど出す人も多いので、メリークリスマスと謹賀新年に分けて出しています。

中谷さんにはハワイで買ったオルゴール入りのクリスマスカードを送ったら、ポーランドではオルゴール入りは珍しいです、と喜ばれました。

今年は何といっても、貴兄とその素晴らしい友人のお陰で、杉さんに会えたのは最高の出来事でした。

青春を取り戻しました。

杉さんはあれからまた秋に日本に見えたようで、来年も、春には帰国予定と最近の手紙にありました。

1年に2回くらいは往復されているようで、その体力・若さに驚きます。

もう来年、10月で80ですよ! 負けていられません。

来年は新宿高校にでもお連れしようかと一人思っています。

小生は、今年はサイパン・ハワイ・中国と近間に出かけたのですが、もう、機中泊はきつくて、海外旅行は来年くらいで止めようと思っているのですが、杉さんは12時間近くを平気で往復しているのですから、凄いです。
何か、秘訣があるのかもしれません。今度、聞いてみます。

このところ、公団の室内の改修工事が多く、バタバタして大掃除をやったような、やれないような日々。

そろそろおせちを買いに出かけるかと思うと、嫌になります。
年の瀬は好きではありません。
年をとったと感じるからです。

家内の病気は完全には治っていないようで、来年もまた看病の年になりそう。
いつ解放されるのか判りません、亭主はつらいよです。

では、また。

賀状拝受 (2007/12/26)[s]

わざわざ郵送していただいた珍しい型抜きのカード拝受。 こちらからは何もしていないので恐縮です。

クリスマスも無事終わりました。 バンクーバーでは珍しい雪模様となりましたが、こちらの人は雪の中をドライブするのが苦手。 それでも事故はなかったようです。

教会も、クリスマスイブのキャンドルライトサービスは今年は奮発して2回。 両方とも満席でいい音楽とメッセージの集まりでした。

どうかお大事に。

Sunday, December 23, 2007

寒さのお見舞い感謝 (2007/12/23)[s]

貴兄からのメールでは、景気のよい話題は抑えてあって渋みのかかったものが多いように感じるのですが、受取る方としては何よりも楽しみです。 2~3行でいいですから、また楽しみを分け与えてください。

今日はクリスマス直前の日曜日。 雨と雪で、教会も、大学生は帰郷し、若いファミリーも両親と共にクリスマスを過ごすべく、空港や駅に押しかけたはず。 だから会衆も少なかろうと思ったのですが、それでも会堂は一杯でした。 

先程ラジオで日本のクリスマスの模様を伝えていましたが、日本ではクリスチャンは 1%にも満たないだけあって、特派員がマイクを向けても、若い人達は、「ジーザス? 知らないねえ」と哄笑。 「ジーザス」なんて言うからいけないので、「イエスキリスト」と言えば皆知っているでしょうが。 それでもカナダ人リポーターは、東京の「聖しこの夜」はラヴホテルへ直行と付け加えていました。

地球温暖化が叫ばれているというのに、この冬は厳寒に包まれるという気象予報。 そういえば今年はいつになく木枯らしの風を頬に感じます。 これも年の所為かなと身の縮む思いです。

Saturday, December 22, 2007

寒中お見舞い (2007/12/22)[o]

寒い冬は苦手です。
大学を出てすぐに新潟県の親不知のある青海というところの工場に転勤になったのですが、そこにいた6年は私の人生を大きく変えました。

半年は雪と雨、夕方6時になったら人通りがなくなる小さな町、電気暖房だけの寮、今考えてもよくそこに6年いたと思います。

そこから這い上がるために、あとは破滅的な人生を送ってきました。

貴兄が日本人離れしていると言われた小生の文章は、そこいらが出発点かも知れません。
あの本もきっと読んだ人は変った男の文章だなと奇異に思ったかもしれません。
図々しくよくも2冊も書いたものです。
もう書けるとも思っていませんが、貴兄に指摘されるまで自分のメールがおかしいと思っていなかったのですから、かなりおかしいのでしょう。

日本は原油高から軒並み値上げが始り、おそらく便乗もあって暮らしにくい国になってきました。
カナダドルも円安で、年金もかなり目減りして貴兄も大変でしょう。
年をとって働けなくなってからの減収は響きます。

ここはまだガソリンが1リッター139円と全国平均の155円を大幅に下回り、おそらく日本一安いと思うのですが、ガソリンだけでなく灯油が昨年の2倍になり、石油ストーブを付けたり、消したりして、あとは厚着で寒さと対抗しています。

世情は殺人・詐欺・汚職・偽物と以前の日本人はもういなくなったようなひどい事ばかり、官僚は日本が潰れる日まで権力を振りかざして、日本をダメにしていくことでしょう。
官僚は自分のことだけで、日本を考えていませんから悪質です。
福田政権など誰も当てにしていません。

貴兄が年齢を四捨五入しているのには、びっくりしました。
小生、人から年を聞かれたら63歳と言い続けています。
年など考えないこと、これが一番。
年を考えたらエアロビクスなど出来ないですよ! 
人から下手と言われようが、自分の身体のためですから、エアロ・水泳・サッカーのマネごとからなんでもやります。

それが浮世の雑事を忘れ、看病の労苦を吹き飛ばす秘訣です。
運動の後、大風呂に入ってあかぎれの切れた手の指を見ると、いっぺんに現実に戻りますが……。

プールを2回しか使わないのは勿体ない、水中歩行だけでも普通に歩くよりカロリーを多く消耗し、水泳はサッカーや激しいテニスをやるくらいのカロリーを使う全身運動です。
冬でも小生がプールに入るのはそのためです。
運動してビールを飲む、この繰り返しで老年を楽しんでいます。

少し、余計な事を書いてまた貴兄に呆れられそうですが、ここまできたら仕様がない諦めて下さい。

年内、もう一度くらいはメールを打つつもり。では、また。

Tuesday, December 18, 2007

心の窓は閉まっています (2007/12/18)[s]

貴兄からのメッセージは、いつも正直で、透明で、日本人離れがしているなあと思います。 だから読む者の心を打つのでしょう。 それでもスポーツクラブに行き、身体を鍛えているというのですから大したものです。 私はこのアパートに引っ越してきてから2年。 一階に小さいながらしゃれたデザインのプールがあるのですが、水に入ったのは2年間で2回だけ。 もっとも同じ建物の125世帯の住人達の姿も見かけたことはありません。 年中水もサウナも温めてあるのですが、もったいないと思いながらも活用していないのは、身体を動かすことの苦手な私の怠け癖のせいにほかなりません。

最近までは、就寝も起床も午前3時という不規則なライフスタイルでしたが、漢方医に「11時から4時まで寝るのがホルモンの働きにも大事」と言われて、大体それに近い線で寝ています。 それでもPTSDというのか、戦争に行ったこともないのに、蛇を踏んづけたりスパイに追いかけられたり、怖い夢をみて大声を出して妻に起こされることがしばしばあります。

ある時、目がはっきり見え木や草花の色も綺麗にみえるので、「やっと鍼が効いたか」と喜んだのですが、やがて目が覚めて、「なあんだ、夢だったのか」とがっかりしました。

私は、四捨五入すれば80ですから、もう運命に従って目は諦めることにします。 目は心の窓と言いますが、私の窓はカーテンが閉まったままになっています。 勿論、携帯電話もアイポッドも使えたら便利だろうと思いますが、無ければ無しで何とか生きていけるものです。 日本でもアマゾンのキンドルは発売されましたか。 フォントが大きければ、ひょっとしたらまた読む楽しみが得られるのではないかとかすかな希望を託しているのですが。 キンドルの名のように、読書についての革命に火がつけば、グーテンベルグ以来の知識の宝庫も弁当箱ぐらいのキンドルに収まって、書庫を持ち歩けるというのですから、盲目の隠遁爺も興味をそそられます。
クリスマスも間近。 子供も孫も近くに居ないので、静かな年末です。 どうかお元気で。

Monday, December 17, 2007

師走 (2007/12/16)[o]

年を取ると1年が早くて、参ります。
あっという間に1年が過ぎ、体力の低下甚だしくがっくり。

家内を実家に帰して、少しのんびりできると思ったら逆に何もする気が起きず、飯はラーメンライスで終わり、おかずを作ったり、買いに行く気も起きませんでした。

CDを聞いてあとはぶらぶら、結局スポーツクラブに行くこと以外、何もしませんでした。

そこへ行くと貴兄は凄い、「このごろ」だけでなく友人へのメールなどをブログで拝見すると、眼を酷使しても頑張っておられるのに感服します。

井上氏、野村氏ほか凄い友人をたくさんお持ちのようですから、付き合いのメールだけでも大変でしょう。

小生のメールは返事は不要のものばかりですから、どうか読み捨てて下さい。

それよりも、眼をなんとかしたいですね。
こうしてやり取りしててもう何年か経ってしまいましたし、ハリの効果もあまりなさそうだし、やきもきします。

貴兄の広い交際範囲を総動員して、良い医者を探すのが一番だと思いますが…。
それだけが、気がかりです。

年の瀬近く、何もせず、ぼんやりしている Oより

Saturday, December 15, 2007

オタワのドラマ第2幕 (2007/12/15)[s]

(2007/12/15)

『オタワのドラマACT2』

「カールハインツ シュライバーとブライアン マウルーニーの二人が対決する第ニ幕は、議会で顔をあわせる真剣勝負とはならなかったが、お互いに『嘘つき』呼ばわりを繰り返していたなあ。 そのためか、疑惑の解明とは逆に、ますます混迷の度を深めることになった。 判定は来年まで持ち越すことになったようだ」

「シュライバーはドイツ訛りの英語を話すカナダ人で、国際的にエアバスや戦車を扱う73歳の政商。 しかしドイツ政府は、賄賂や脱税、詐欺の疑惑で追求しているのだが、8年以上も独加政府の司直の手をかわし、未だにカナダからドイツへの身柄引き渡しが実現していない。 シュライバーとしては手錠をはめられたままドイツへ行くことは何としても阻止したいところ。 そこでマウルーニーとの金の絡んだ繋がりをほのめかして、カナダ議会やメディアの関心をそそり、日一日と引き延ばし作戦をはかり、少なくともクリスマスと新年はオタワの豪邸で迎えることになりそうだ」

「一方68歳のマウルーニーは、カナダの首相を9年間務めた千両役者。 議会で調査を進める倫理委員会の席でも、名優としての期待を裏切らない見得を切ってみせてくれた。 ケベックの田舎の鉱山町で電気技術者の家に育ったマウルーニーは、Fザビエル大学時代から政党活動に打ち込み、三十代の若さで進歩保守党党首選挙に挑戦。 その時一旦はジョー クラークに敗れたが、下積みはいやだと、米企業のカナダ法人の社長になる。 しかしシュライバー等の支持を得て、再び数年後に挑戦。 そしてクラークを降して党首の座に。 翌1983年には首相の印綬を帯びたのだが、その時の前首相は自由党のジョン ターナー。 ターナーはピエール トルドーから総理を引き継いだばかりだったが、その引継ぎ人事を巡って、党首討論の際、マウルーニーは相手をトコトンまで追い詰め容赦しなかった。 『武士の情』というか、相手に一片の雅量もみせなかったマウルーニーの独善的な攻撃が印象に残っている」

「今度のシュライバーに対する非難にしても、千ドル札の詰まった封筒を、モントリオール、ニューヨーク、チューリッヒのホテルで受取っておきながら、5年間は沈黙。 そしてそれを銀行に預金もせず、現金のまま金庫にしまって置き、関連書類も破棄して無いというのだから、、摩訶不思議だ」

「その間、クレチアン自由党政府に対し、名誉毀損を理由に1,500万ドルの賠償を訴え、、自由党政府もその言い分を認めて、210万ドルをマウルーニーに支払っている。 自由党政府の方にも瑕疵があったものの、マウルーニーの『名誉毀損の訴え』は結局黒か灰色か、ともかく白でなかったのだから、その210万ドルは如何なるのかなあ」

「議会の証言の席では、例の低音でマウルーニー独自の『正論』を響かせ、大向こうのマウルーニー ファンを唸らせたが、確かに雄弁、謙虚、それにユーモアとペーソス、怒りと悔恨を取混ぜ、『家族の悲嘆』も訴えてみせたところは名優のパフォーマンスだった。 しかし世論調査によると、シュライバーを信じる人が30%、マウルーニーを信じるのは10%で、残りは『判らない』という結果が出ている」

「これからクリスマスだ。 そして正月だ。 シュライバーとしては、ドイツに引き渡されれば一生牢獄から出られないだろうから、たとえ1週間でも1カ月でもカナダに居られれば、その分だけ勝ちだ。 手錠をはめられ議会に出頭させられたシュライバーの好運を祈る判官贔屓もカナダでも結構いるだろうから、これも『一寸先は闇』なのかな」

「『メリー クリスマス』の後、年が明けたらアクト スリー、ドラマの第三幕が始まるだろうから、新年も波浪含みの船出だ」

(了)

Sunday, December 09, 2007

専門家なんてとんでもない (2007/12/09)[s]

専門だなんてとんでもない!  私は中国の歴史は何も知らないのです。 何のために大学という名のつく所で4年間も無為に過ごしたのか。 慙愧の至りです。 

受験前に偶然 「戦争と平和」の邦語訳を斜め読みして、人間の意志や力を超える、歴史を動かす黒い巨大なうねりに触れるのも面白そうだなという軽い気持ちでサイコロを振ったのです。  

英文や仏文を敬遠したのは、試練に直面する勇気がなく、いつも身体を斜めにずらして通り抜けようとする性格のためです。 そしてくすんだ横道に逸れて行ったのですが、その安易な選択が生涯を誤まる運のつき。 まともな勉強は大学院でと思っていましたから、同和火災から無試験で採ってやると言われた時は、学校の教師としてぬるま湯に浸かる前に、暫く娑婆の水を浴びておくのもチャンスかもしれないと、迷い込んだのでした。 従って魯迅のことなど全くイグノラントのまま人生のゴールにヨタヨタと辿りついてしまいました。

今度も奥様とご一緒だったのですか。 それはよかったと私も喜んでいます。 人生の旅も終幕に近くなると、夫婦で共に過ごす時間が貴重になります。 

旅の後半がご病気だったとは残念でしたが、共に病むことも、結婚の誓いの言葉を思い出させます。 天国に行けば、それぞれ天使の如く別々になり、夫婦でなくなるそうですから、この地上での暫しのきずなを大事にせよという教えでしょうか。

福家先生は偉大な教師ですね。 60年後でも漢詩が忽然と蘇ってくるとは! 教育家たるもの、その体躯からほとばしる一言一句が生徒の肉となり魂となるのなら本懐ですね。 貴兄も、杉さんも、新宿高校の諸兄も、よい先生に恵まれたものです。

専門家の貴兄に (2007/12/09)[o]

中国のことは、東洋史を専攻された貴兄には釈迦に説法と思い、なるべく簡単に書いたのですが、寒山寺の漢詩は、実は杉葉子さんとの共通の先生である福家先生に中学の時教えていただいたのでつい、書いてしまいました。

なんせ、60年も前の詩が突如、頭の中に出てきて驚きました。

貴兄のことだから、紹興は、魯迅の生地なのになぜそのことに全く触れていないのかとか、不満がいっぱいあったと思います。

書とか庭園とかは見ましたが、とても書けません。

実は、家内が観光4日目に寒さから下痢して貧血を起こしダウンし、観光途中からタクシーでホテルに戻り、1日休養するハップニングがあり、杭州はほとんど見学できませんでした。私も看病途中から下痢してパンをかじりながら帰国した次第。

もう、中国には行かないと思いますので、感想はこのくらいにしておきます。

今は二人とも回復しましたが、水道水が一切飲めず、ミネラルウオーターを買って飲むのですから、初めて中国に行った家内のお腹が付いていけなかったようです。

年末が押し迫ってくると、なんとなく、気ぜわしいのはなぜでしょうか?

貴兄も「このごろ」の仕事が井上氏のが無くなったとはいえ、まだ、眼には響くくらいあるようですから、くれぐれも御身大切に。

Saturday, December 08, 2007

中国の旅の印象拝見しました (2007/12/08)[s]

中国の旅の印象。 上海と言えば、戦前から世界有数のコスモポリタン都市。 日本人も昔から東亜同文書院で学んだと聞いていますが、その沿革は恥ずかしながら知りません。 ですから上海は別格でしょうが、その他の都市は、40年前の日本の姿でしょうか。 

あの頃の東京は、ビクトリア女王が若かりし頃のロンドンはかくのごときではなかったかと思うほど、混乱と熱気に包まれていました。 羽田から都心へはいる高速道路に乗ると、「ウヮーン」という唸りが空を覆っていました。 

今の東京は、洗練されて、品格も格段に上がり、お洒落な街になったことでしょうね。 エドワード王朝のエレガンスが東京にも再現されていることでしょう。 人の心も穏やかになり、言葉遣いもさらに優しくなり、心地よいコミュニティが発展していることと想像します。

バンクーバーは東京や上海に比べるとスモールタウン。 中心部には60万しか住んでいませんが、その半分は中国系。 同じ様な顔をしている私も、10年前に比べると、少しは息がしやすくなったように感じます。 しかし昭和一桁生まれの小生には、まだ居候の自意識が拭いとれません。 私自身がまずレーシストから脱皮しなければいけないのでしょう。

帰国しました (2007/12/08)[o]

素晴らしいクリスマスメールを有難うございました。毎年違った趣きの内容で、作っている人はどういう感性の持ち主か、と思います。

昨夜、中国から戻りました。安いツアーでしたから、日程もきつく、少しへばりました。

中国は高速道路やマンション、トイレを盛んに作り、高価な車で渋滞し、発展している一方、貧しい家や人々も多く、アンバランスです。社会主義国家はこういう形になるのは当然ですが、行ってみるとやはり、いやな面が目立ちます。

外観立派なホテルもエアコン効かず、トイレは故障 一回は部屋替えをしてもらう始末。来年のオリンピック・2010年の上海の万博でどういう評価が出るか、まず、文句は凄いと思います。

紹興 お酒だけで有名な町 タダ飲みだけで買わず、 上海 今は巨大なビルばかり 租界にあった戦前の建物が立派に残っており、今も使われているのに感動  

蘇州・寒山寺で「月落ち 烏啼いて 霜天に満つ」の漢詩を突如、思い出しました。もう60年前もに習ったのに、どうして覚えていたのか不思議。

蘇州夜曲の風情はなく、運河は濁り水。かなり、がっかりしました。

烏鎮 運河と藍染の町 住む人は貧しい 汚い運河で洗濯する貧しい人々と家。

杭州 西湖が有名なれど天気が悪く視界不良でダメでした。

全食事つき39,800円の旅行代金{実際は燃料費など約1万円増}プラス5千円のお小遣いで、運河めぐりからビール代・お土産代まで済ませました。年金生活者の旅はこんなものです。

おばはん連中は、布団・お茶・刺繍など買いまくり、足つぼマッサージへ行き、雑技団に興じ、中国に日本円をまき散らしていました。こんな連中が行くから、中国はホクホクでしょう。

小生は2回目ですが3回目はおそらくないでしょう。

水道は飲めず、トイレに苦労し、買物はやらずぶったくり商法、治安も上海など良くなく、荷物を最小限にして道端の売り付け商人・ものもらいを押しのけるように歩くこともしばしば。

日本人はカモに思われています。現地ガイドが日本人をカモに思っているからたまりません。

食事がまアーまアー日本人には合いますが、泊まるホテルは壁が薄く、となりの声から物音まで全部聞こえて熟睡できず、疲れが観光の楽しみを上回りました。

以上、簡単に中国旅行の印象と感想です。

今から暫くはおとなしくしています。

来週は車の免許の高齢者講習を受けます。これを受けないと70歳以上は免許の更新ができないのです。

貴兄の眼を案じつつ、小生も自分の体を少し大事にしていきます。
お互い、年をとりたくないのに、また年が変わります。

また、メールします。

Saturday, December 01, 2007

オタワのドラマ第一幕 (2007/12/01)[s]

(2007/12/01)

『オタワのドラマ第一幕』

「間もなくクリスマスだから、いつもは野次と怒号が飛び交うオタワの議会も、少しは静かになるかと思ったのだが、今度は二昔前にカナダの首相だったマウルーニー氏と政商シュライバー氏をめぐる虚々実々のドラマが演出されてサイレントナイトどころではなくなった」

「1984年から9年間進歩保守党政権の首相だったマウルーニー氏が1993年引退する時、貯えがゼロだったというんだね。 頼るは年金の10万ドルだけ。 さあモントリオールに買った豪邸の借金はどうなる。 そこでマウルーニー元首相の補佐官がドイツ系カナダ人の政商シュライバー氏に助けを求めた。 シュライバー氏はヨーロッパからカナダへエアバス導入を図った際2000万ドルの潤滑油的資金を受取っている。 そこで『よし判った』とマウルーニー氏にカナダやスイスのホテルで10万ドルの現金が入った封筒を、3回にわたって手渡したというんだね」

「しかしそれが表に出てはまずいと思ったマウルーニー氏は、シュライバー氏に『自分は潔白だ』と証明する手紙を書かせようとした。 ところがシュライバー氏は渋る。 マウルーニー氏は受取った30万ドルについては後日税金を払ったものの、これがエアバスからのコミッションから出たとあってはまずいんだね」

「その間、ドイツ政府は、シュライバー氏を脱税と賄賂を理由に、カナダ政府に同氏の身柄引渡しを求めてきていた。 その駆引きは8年以上続いているのだが、ここへきてマウルーニー氏だけでなく、現首相のハーパー氏の名前も浮かび上がってきた。 それまでハーパー首相は、マウルーニー・シュライバー問題については野党の徹底解明の要求を斥けてきたのだが、自分の名前が絡んできたのでは一蹴もできない。 一転して徹底解明を約束した」

「しかし海千山千のシュライバー氏が証言台に座ったのでは、保守党としても時限爆弾を抱えたようなもの。 そこで、ハーパー首相の明言にも拘わらず、ニコルソン法相は、シュライバー氏を早くドイツに引渡したいと煮え切らない態度で。 結局裁判所が引渡し延長を認めて、爆弾は不発のまま今暫く温存の状態だ」

「しかし保守党政権は少数与党。 磐石というわけにはいかない。 それに保守勢力の合同で出来た政党だから、中には進歩保守党のマウルーニーに反感を持つグループもある。 リフォーム、アライアンスの御旗を掲げて飛び出した分子も同居しているが、不満が消えたわけではないから一枚岩とは言えない」

「ハーパー首相も今はマウルーニー氏を先達として仰いでいるが、元は進歩保守党にあきたらなかった旗手の先駆け。 それに保守党の副党首で元進歩保守党党首のピーター・マッケイ国防相は父親のエルマー・マッケイ氏がこの問題に深く関わっていたことから、立場も微妙。 今まで正義の騎士をもって任じてきたマウルーニー氏も足許が怪しくなってきた。 今後証言台に立てば『ノーコメント』で通すわけにはいかない。 このドラマも回り舞台が次の場面を舞台の正面にもってくれば、第ニ幕はどんな展開になるだろうか」

(了)