Friday, February 29, 2008

老人ホーム寸描 (2008/02/29)[s]

「老人ホーム寸描」

P兄へ  

近況をお知らせいただきありがとうございました。 またビデオをお送りいただいたとのこと、かたじけないことです。

6年以上も奥様のご病気につきあってこられたのですから、そのご苦心には敬服するのですが、実はそれがどんなに大変なものか、正直なところ想像もつきません。 しかし身体を動かして家事に励んでこられたのでしょうから、それが貴兄にとって健康と精神の秘訣につながるのではないかと思います。

家内は、貴兄の髪がフサフサと艶があるので、私にも「染めたら」とサジェストしたこともあったのですが、「いやいや、髪そのものが何本と数えるほどの薄さだから」とグレイのすだれスタイルを変えていません。

今日は久しぶりに90歳の婦人を老人ホームに訪ねました。 教会で割に親しくしていた人ですが、もう我々のことは覚えていません。 何回も同じ質問を繰り返します。 「名前は? 家族は? どこの教会に行っているの?」と訊かれるのですが、家内も其の都度同じ答を繰り返します。 私は眠くなってついトロトロッとしてしまいました。 ロビーには他に数人の老婦人がいましたが、皆さん車椅子の上で眠っています。 ロビーには画像の綺麗な大型テレビジョンがあり、ピアノもあるのですが、これも無音の飾り物のままです。 しかもお互い話を交わすわけでもないので、あれでは何のために生きているのか分からなくなりました。 

私も目が見えなくなってきたので、貴兄のお勧めに従って、3月に入ったら「カナダこのごろ」を止めることに乗り気になっていたのですが、こうしたお年寄りの、まるでマネキンか置き物のような姿に接すると、私もメルマガをすっかり止めてしまうのではなく、2ヶ月に1頁でも心掛けた方がよいかなと思案してしまいます。

春になって、私も春眠暁を覚えず、「朝寝して昼寝して宵寝して時々起きて居眠りをする」引退生活を送っています。

Q

Thursday, February 28, 2008

近況 (2008/02/28)[o]

家内の医者に同行して話を聞いてから1週間経ちましたが、事態はほとんど変わりません。

食事は特に夕食を全部家内に任せましたが、他は今までの慣習が残っていて、小生が相変わらずやっていることが多いです。

もう、6年もやっていれば、昔はだれがやっていたかもお互い覚えておらず、家事のことは誰がやっても同じでしょう。そんなところです。

最高気温が10度を超えるようになりましたが、風は冷たく小生には春が感じられません。明日から3月なのに、ちょっとがっかりです。

ビデオをまた送りました。一つは松本清張の「点と線」のテレビドラマ化、東京駅のセットをカネをかけて作り、珍しくテレビでは大作になっています。主演のたけしが好演しているので見ごたえがあります。
たけし を戦地帰りにして、戦争を中で語らせたところは原作にはなかったと思います。それがかなり主人公を大きく見せています。脚本の良さでしょう。

もう一つは、井上氏が見たと書いていた、元日米兵士の野球の話です。
戦後、60年を過ぎても敵が憎く、忘れられない旧兵士が日米ともに登場するのに、驚きます。

戦争を始めた政治家・軍人はぜひ、見てほしいドキュメントです。

いずれも、録画をこのまま消してしまうのは勿体ないと思い、送りました。

眼が悪い貴兄に、ビデオを送るのは何となく気が引けるし、貴兄の好みを無視した内容かもしれないので、今後、不必要なら言ってください。

テレビ画面ならメールを見るより負担が少しは軽いかな、とは思いますが、いずれにしろ、眼には良くないですね。

小生も神経状態はあまり良くなく、毎日、余計なことを言ったり、したりしないように、自ら気をつけていますが、時々やってしまい、後悔の連続です。もう、治すのは無理でしょう。

では、また。

米大統領予備選2 (2008/02/28)[s]

「お神輿に乗った芸能人オバマ論」は興味深く拝読しました。 実にオリジナルでユニークな見方です。 あれはイノさん独自の独創的観察ですか。 それとも日本ではある程度受け入れられている「オバマ不信、黒人不信」を反映したものでしょうか。 こちらではそのようなアナリシスは寡聞にして聞いたことがありません。

オバマがアメリカならびに世界をリードしていく能力があるかどうか。 やらせてみなければわからないでしょう。 ケネディも大統領になったのは弱冠40を越したばかりの頃。 

4年前、民主党の党大会で基調演説のスピーカーに抜擢されたのが、無名の黒人議員。 その演説を聴いた民主党の領袖や党員は、「4年後の大統領候補にこの新人を」と折り紙をつけたのでした。

クリントン夫人は経験を強調しますが、その生涯の大半は、アーカンソーの州知事夫人、大統領夫人としてのビル・クリントンの傘のうち。 淀君としての存在感はあっても、ひとたび上院議員になればロビイストの献金で動く政治家になってしまいました。

幕末長州の松下村塾で学んだ若者達も天下国家を動かす経綸や経験を持ち合わせていたわけではないでしょう。鹿児島の昔足軽達が住んでいた辺りには、西郷、大久保、東郷、大山をはじめ明治の元勲達の碑が林立しています。 しかし特に卓越した遺伝子がこの辺りに集中していたわけではなく、歴史のうねりにのって出世し爵位をもらった人も多かったのではないかと思います。

オバマにしても、こうしたうねりに今のっているのだと思います。 ケネディが大統領になってから、海外の若手アメリカ外交官も、「初めてワシントンの政策を誇りと使命感をもって遂行できるようになった」と喜んだそうですが、そういう気持を振るい起すのがリーダーシップでしょう。

オバマをいちはやく応援したのは高学歴、高所得の白人達。 黒人は最初は瀬踏みの格好。 最近になってこそ支持が増えてきましたが、今でも黒人の高年と女性層はクリントン支持です。 

ヒスパニックと東洋人の黒人嫌いは、カリフォルニアでのオバマの敗退に影響したと思われますが、逆にテキサスでは今になってヒスパニックのオバマ支持が増えてきているとのこと。 

こうした全米の流れが、日本では、お神輿現象としてとらえられているのでしょうか。

オバマは、ミシェル夫人によると、シカゴのコミュニティワーカーだった頃からこんにちあることを期していたそうです。 ミシェル夫人はファーストレディとしての貫禄十分。 コラムニストは、オバマ・クリントンの討論と並んで、配偶者同士ミシェル・ビルの討論も聞きたいものだと発言していました。

ブッシュ政権も、オバマ暗殺の可能性を恐れて、候補の段階では異例のシークレットサービスをつけて警護に当たっていますが、民主主義社会の平和な発展を祈ります。日本はその点、江戸時代、それに昭和後期から平成の時代を通じて平和が守られてきたのですから、日本人はその幸せを噛み締めなければいけないでしょう。 

(追伸: 昨日ハワイからの電話で聞いたのですが、ハワイの日系人の間では「オバマ」という名前からして、日本人とアフリカ人の混血と思いこんでいる人が多いというのですから、ある程度民度が察せられます。 それでもオバマはハワイ随一の名門校プナホにスカラーシップを得て学んだそうですから、奨学資金の生きた最高の事例でしょう。)

米国大統領予備選挙 (2008/02/26)[s]

ケネディの分身だったテッド・ソレンセンは現在80に近いでしょうか。 それでも息子ほどの年代のオバマを早くから支持していました。

ネブラスカに生まれ、若くしてケネディの影武者となり、イノさんのご指摘の通り、大統領就任演説の不滅の名言を残しました。

ケネディがニクソンを僅差で破って大統領に当選したのは48年前。 その頃、日本では「銀の匙をくわえて生まれた幸運児」として知られていても、あまり話題にはならなかったように思います。 

しかし彼が大統領になって半年後に私もニューヨークに行ったのですが、当時既にコロンビア大学でもケネディ旋風が捲き起こっていました。 教授も大統領の演説のある日はラジオのスイッチを入れて聴くので驚きました。 家内のバークレー時代の友人も、「ケネディは半年の間にアイゼンハワーの8年間よりももっと大きな業績を上げた」と伝えてきたので、さらに驚きました。

しかし日本では、キューバ危機の際にケネディがとった毅然たる態度に批判的で、私の見る限り毎日新聞の大森実記者の肯定の記事だけが印象に残ってています。

暗殺後も、日本政府は、駐米大使を葬儀に参列させるつもりだったようですが、ドゴール大統領や世界の首脳が参列すると知って池田首相も腰を上げました。 ワシントンの空港に出迎えたラスク国務長官に池田首相は笑顔で挨拶しましたが、米国民には異様に映ったことでしょう。 私は日本人ですから池田首相の自然な笑顔はわかるのですが、カルチャーの違いは否めません。

1962年マジソンスクェアガーデンで開かれたケネディ誕生パーティーに私も行ったのですが、その時マリリン・モンローが「ハッピーバースデー」の歌を歌いました。 それから間もなくモンローは変死。 ケネディも翌年ダラスで斃れたのですから、半世紀近く経った今でも、当時の記憶は忘れられません。

オバマも立候補した以上、万が一のことは覚悟しているのでしょうが、明治の政治家が凶刃に斃れた際、「男子の本懐」と言ったそうですね。 オバマも運を天にゆだねて遺書ぐらい胸の奥に用意しているのかもしれません。

今回の予備選挙の模様は日本でも詳報されているとのこと。 50年前と違って、留学経験のある記者も増え、国際的な感覚も格段の差があることでしょう。 それでも、日本の新聞の見出しをインターネットで見ていると、アメリカのジャーナリストよりもシニカルなスタンスをとっている整理部の筆致が時々気になります。 多分私の浅薄な印象に誤りがあるのでしょう

Sunday, February 24, 2008

ご快復すばらしいニュースです (2008/02/24)[s]

奥様の快復宣言が出たそうで、奇跡ですね。 おめでとうございます。 6年半の時間を取り戻すのも決して容易ではないでしょうか、さらに有意義な日々をこれから楽しんでください。

私の、万華鏡のような、細かな様々な色の亡霊も、くるくるめまぐるしく変わるので、他人の話を聞いても注意を集中できず、情けないのですが、そのうち悪霊から解放される日もあるだろうと、希望を捨てないつもりです。

首から下はまあまあなんですが、コウベの部分がうまく機能しません。 鍼の先生は中国の軍医だった人ですが、化学で博士をとったというのですから、才人。 マドンナやセレブリティの人達も患者だそうです。 ですから私の目ぐらい何でもないだろうと期待したのですが、意外に難航し、先生も首を傾げています。今の先生から治療を受け初めてから一年半。 もう少し様子をみてみましょう。

Saturday, February 23, 2008

配慮を感謝 (2008/02/23)[o]

拙文を取り上げていただき、感謝しております

以前「カナダこのごろ」は古い戦争などの話が多くて、読者が減ったという話を思い出し、私なりに「なぜ書いたかを書いてみた」わけです。

温古知新ではないけど、もうすこし歴史に学び、賢い、モラルの高い日本人であってほしいという願いもあります。

私が投稿を始めたのは、ヴィクトリアの海洋博物館で日本の潜水艦のバンクーバー島砲撃が、カナダの歴史で唯一、異国から攻撃されたことだと知り、その当時のことを調べたのが、最初だったような気がします。

貴兄のお陰で拙文を何回も載せていただき、杉葉子さんにも会えたし、良い思い出しか残っていません。
貴兄の眼を心配しつつ、かなりのメールを送ってしまい、申し訳ない気もします。

昨日、家内の通院に同行し、「家内のウツもかなり良くなったので、看病も止めて大丈夫」と急に言われ、肩の荷が下りたというか、眼の前の目標が消え去り、どうすべぇーーか、と戸惑っています。

とりあえず、自分の時間を増やしてすきなことを始めたいと思っていますが、6年半の生活を急に変えるのは意外に難しそうです。

半袖で外出とはうらやましい、小生いつも丸首セーターで亀みたいなもの、外出はスポーツクラブへ行くだけで、都心には1週間に1度くらいしか出ませんが、今後は増えるかも。

旅もいろいろ考えていますが、海外は燃料チャージ代が高くて最近は周囲の人も国内優先にしているようです。
ただ、海外は体力のあるうちに行かないとだんだん行けなくなるので、今年はスイスだけでも行くか、と考慮中。

ニューヨーク行きは、放送作家仲間で一緒に行きたいと言い出すものが出てきたり、原稿の関係で時期をこうしたい、とかいう話が出てきて、やや混乱状態、今年は行けないかも。人数も今や6人になってきています。
小生の旅の形とかなり違うので、考えています。

バンクーバーは、往復の飛行機だけの話ですから、いつか、また行けます。

最近も、餃子の農薬混入、イージス艦の衝突などひどい話ばかりで、ニュースを見たくなくなるような日が続きます。

3月に入ったら、暖かな南房総にでも出かけて、6年半の垢を流してきます。

貴兄も少し休んで眼を大事にし、そろそろ老後を楽しんでください。

小生も来月75になりますから、老人の仲間入りなのかもしれませんが、対外的には63のままです。
年は数えないことが、一番。   

情けない世の中を拝読 (2008/02/23)[s]

「情けない世の中」を拝読して、情けない将軍達が何人もいたと知り、信じられぬ思いです。 戦争が終わってからでも、部下を道連れにして、突っ込んでいった無能な指揮官! 私の父も終戦間際に召集され、補充二等兵として北支に派遣されました。 そして上官にリンチされたのでしょう、前歯を失くして復員してきました。 しかし硫黄島でなくて助かりました。 それでも貴兄のお話を聞くと、戻ってきてくれただけでも幸運だったとつくづく感謝します。

そんな苦難に比べれば、この世の中の不正、腐敗など、蚊か蝿ほどの煩わしさとして忘れるべきなのでしょう。 しかしこれも情けないかな、私のような小人には忘れようとしても勝手に邪魔してくる亡霊に閉口しています。

 「情けない世の中」は、メルマガ「文箱このごろ」と 「abe.blogspot.com」 と 「shigematsuakira.blogspot.com」 ならびに 「イノさんシゲさん」のブログに掲載させていただきました。 お許しください。 読者の心を打つことでしょう。

昭和初期に生まれた者として、貴兄の語り部としての貢献は尊く、深い意義があります。

半袖シャツで外を歩けるようになりました。 しかし坂にさしかかるとフクラハギに負担を感じます。 その点貴兄の鍛錬振りには驚嘆し、脱帽しています。

お元気で。

Friday, February 22, 2008

情けない世の中 (2008/02/21)[o]

平成20年2月21日

情けない世の中‏

拙文をメルマガに載せていただき、有難うございます。
載ると思っていなかったので、載ってからあわてて、その2を書きました。
そうしないと、淵田の戦後の改心した、もっともらしい、良さそうなところだけ書いた形になってしまうからです。

小生は戦前に生まれた一員として、少しは戦争を空襲・機銃射撃・勤労動員や2度の戦災、物資特に食糧難という形で体験したので、後世にというか若い人に戦争の悲惨さ、政治家や軍人の独断・ひどさなどを伝える義務があると思い、明治から現代への近代史の本を、実録を含め読み、時々貴兄にも書かせてもらっていますが、小生なりに、日本人はひどくなってきた、特に、昭和になってからはひどいと思っています。

特攻隊を送り出して生き延びた将軍も、一人や二人ではありません。

インパールで10万人を無駄死にさせた牟田口蓮也、フィリッピンで特攻空軍を残して台湾に逃げた富永恭次、ともに陸軍のダメ将軍は、やはり戦後謝りもせずに生き延びています。

東條の自殺未遂も噴飯ものでした。
捕虜になるなと教えた本人が、自殺の方法も知らなかった!!

当時中学生の我々ですら、銃口を口にくわえれれば完全に死ねると知っていました。

海軍も特攻の発案者の一人、大西滝次郎は自決したからまだしも、同じ発案者の宇垣纏は終戦の詔勅の下りた後、8月15日の午後、部下30人近くを連れて最後の特攻で沖縄に突っ込んだのは有名ですから、ご存知でしょう。

航空出身なのですから、自分ひとりで操縦して行けばいいものを、3人乗りの天山艦攻を使ったため、死ななくてもいい部下を最後まで殺しました。

途中で機体の不良で不時着して助かったものが何人かいたのと、宇垣を初め、米軍に突っ込んだのが一人もいなかったのが、不幸中の幸い。

もし、これで被害が出ていたら大問題になっていた可能性があります。

嶋田繁太郎にしても、開戦時の海軍大臣の責任を考えたら引込むべきなのにおめおめと生き延び、海上自衛隊に祝辞を述べに行ったというのですから、呆れるほかありません。

小生の調べでは、特攻機は海軍・1,298、陸軍1,185、計2,483
体当たり機数 244 至近弾となった機数 166 被害を与えた艦船数 358  奏功率 16.5%  という惨憺たる結果です。

シナ事変から大東亜戦争までの310万人という死者(軍人230万民間80万)に比べたら、人数は数千人ですが、彼らは「必らず死ね」だったのです。

数々の本や、身内で戦地からなんとか帰国できたものから聞くと、戦場では食料と水の不足から、仲間の日本兵を殺して水や食料を奪うものが多く、敵兵より味方に気を使ったと言っています。

陸軍の戦死者の70%は、飢えからと言われていますから、この話は嘘とは思われません。

「輜重兵卒が兵隊ならば、ちょうちょうトンボも鳥のうち」と兵站任務をさげすんだ陸軍の結果が、これです。

関東大震災の時、取材にきた外国の特派員が、一部では騒動があったものの、物資の配給などで日本人が整然と並び、奪い合いが少ないことに驚いたことを報道していますが、昭和の軍人はひどかったようで、日常、部下や新兵をリンチするのは陸・海軍とも当たり前。
捕虜収容所でも将校が威張り散らしたり、英語のできる者を生意気だとリンチしたり、情けない話がたくさん出てきます。

ソ連収容所での仲間を告げ口して売った話は、戦後、裁判にまでなりました(暁に祈るほか)

我々が戦中・戦後経験したことでも、軍人・警察など権力者のひどい威張り方、疎開者へのいじめ、一部の食料の独占など、日本人のモラル、倫理感の低下はひどく、それが最近でも政治家、官僚、そして庶民にまで依然として残り、低下しつづけています。

汚職は当たり前、企業でも表示の嘘、食べ物偽装まで大盛りです。生命軽視は特に最近多くなりました。

今回起きた、イージス艦と漁船の衝突一つ見ても、昔の、そこのけ・そこのけ の軍隊意識が残っている気がします。

こんな世の中なんとかしたくても、我々には1票を投じる以外、意思表示の方法がありません。

政治家だけでなく、官僚が日本という国を忘れ、自己中心の動きをするのですから、庶民はたまりません。

アメリカの次期大統領も、誰が勝つにせよ、戦争嫌いであることを願わずにはいられません。

今日は半分、愚痴になってしまいましたが、歴史から学びとることはたくさんあると思います。

もう、春もすぐに来るでしょうが、本当に暖かい春が来てほしいですね。 
             
***********

明治維新のころの世界の中で孤立し、取り残されるという不安、国民全員が頑張らねばという一体感など、日清・日露・第1次大戦の戦勝で薄まり、消え去り、気が付けば陸軍が政治を支配し、政治家も5・15以来政党政治を忘れ、日本全体がおかしくなっていきました。

戦後の平和は、また平和ボケからカネ・カネの若者ばかりを作り、人を殺すことにもためらいが無くなりつつあります。

メルマガもそろそろ、3月末くらいで終わりにしたら如何? 

これだけ長い間、たくさんの人に読まれ、愛されたのですから、本望でしょう。

カナダに関心を持つ日本人は多かったのですから、ずいぶん、人助けをしたはずです。

Wednesday, February 20, 2008

淵田美津雄2 2008/02/20 [s]

淵田美津雄海軍中佐の戦前戦後の二面性をえがいたエッセー、ありがとうございました。

ブログのほか、「文箱このごろ」のメルマガにも掲載させていただきました。

私の知らないことばかりで、驚きました。

それにしても、戦争の経過、終焉を描いたビデオの作品の数々。 まず冒頭に、学徒兵を特攻機で出陣させながら、「俺も自決するぞ」という言葉とは裏腹に95歳まで生きた司令官にはさらに驚きました。 あのビデオにも教えられるところがいっぱいありました。 それに比べると、私なんか「亡霊が云々」とぼやくなんて、情けないことです。

メルマガもホームページも止める時期が近づいてきたようです。 ローソクの火が消えるように、音もなくフッと消えていくことになりそうです。

淵田美津雄2 (2008/02/18)[o]

淵田美津雄 2‏

2008年2月18日

寒さは今週末になると少し和らぐとの予報に なんとなくホッとしています。もう少しの辛抱かな? なにしろ、寒さは苦手です。

前回は淵田の伝道師の話を主に書きましたが、肝腎のハワイ奇襲攻撃の時の彼の話を書きましょう。

アメリカでも「ハワイを攻撃するときどんな気持ちだったか?」というのが一番多く彼に浴びせられた質問だったようですが、彼は昂然と
「男に生まれて良かった!海軍航空隊に入って総攻撃の隊長に選ばれたことは、男子の本懐ここにありと思った」と言っています。

もちろん彼を含め全日本海軍は、開戦通告が遅れていて、ダマシ攻撃になっていたことは全く知らなかったのですから、エトロフ島のヒトカップ湾を出てから隠密行動でハワイに近付き、奇襲攻撃になったことを喜ばないはずはありません。

360機の攻撃隊の隊長になり、世界でも稀な最大のイベントに参加できたのですから、当然でしょう。

トラ・トラ・トラの攻撃機からの電信は、旗艦の長門だけでなく、日本の海軍省にまで届いたそうですから、これも信じられない話。微弱な電波が良く届いたものです。

奇襲攻撃の印の信号弾を2回打ったのも本当で、1回目に打ったとき、前方上空を飛ぶ護衛の戦闘機が気付かなかったため、2度打ったそうです。
1回は奇襲攻撃、2回打ったら強襲(敵に気付かれ反撃された時の攻撃方法で、水平爆撃・雷撃・急降下爆撃の順序が少し異なっていた)という合図になっていたため、一部の攻撃が強襲になり、隊列がやや乱れたものの、攻撃は大成功。

彼の乗っていたのは97式艦上攻撃機で、水平爆撃も、雷撃もできる単発・低翼・三人乗りのもので、彼は水平爆撃に参加し、1回目うまく標的を捉えられず、Uターンして2回目に爆弾を投下しています。

アメリカ軍の反撃も早く、彼はこの爆撃の際被弾し、操縦桿が切れかかったまま、そのあと3時間もオアフ島の上を飛び続け、戦果を確認し、次の攻撃目標の石油タンク・海軍工廠の位置などを調べて、迷子になりかけたゼロ戦2機をお供に帰艦しています。ガソリンタンクはほとんどゼロ、操縦桿も切れかかっていて整備士がよくこれで飛べた、と驚いたそうです。

彼も第2次の攻撃にすぐ出発するつもりだったようですが、山口多門などの督促も聞かず、南雲司令官が帰国の指示を出したことはご存知でしょう。この弱気が、あとあと、ミッドウエイを初め、連合艦隊の壊滅につながります。

南雲はミッドウエイでやられ、サイパンで追い詰められて自決し、その生涯を終えますが、淵田の生涯と比べると、可哀そうな気もします。

日本に帰ってから、佐官級としては異例の天皇への直接報告がなされ、天皇は予定時間を大幅に過ぎても戦果を聞かれたそうです。そして、最後に「お聞きになりたいことがまだありますか?」とお尋ねしたら、「この写真を皇后に見せたいから、持って行っていいか?」と攻撃隊の撮影した写真をそのまま持ち帰られたとのこと。

先日、この説明会で使われた真珠湾の模型がたしかアメリカで競売に付され、異例の価格がついたというニュースを新聞で読んだことがありますが、まだこの模型が残っているとは、驚きです。誰が持ち帰り、保管していたのでしょうか?
淵田自身も今頃、あの世で驚いていることでしょう。

パソコンで原稿を打つのは、ワープロに比べると疲れます。今日はこの辺で。
                

Monday, February 18, 2008

淵田美津雄 (2008/02/170[o]

2008/02/17

「淵田美津雄」

阿部基冶

淵田の名前はご存じでしょう、真珠湾攻撃隊の隊長で「トラ・トラ・トラ」を発信した海軍中佐です。

彼が生前書いた自叙伝が発見され、ある作家がその7割ぐらいを編集したものを読みました。

なかなか興味深い話が出てきます。その一端を紹介します。 彼が戦後キリスト教の伝道師になったことは有名ですが、そのきっかけになったのは、1942年4月18日に日本を初空襲したデウリトッル爆撃隊の16号機の爆撃手がやはり、キリスト教の伝道のため、日本にきてパンフを配りそれを淵田が読んだことに始まったそうです。

同じ飛行士同士の邂逅だったのです。

淵田は昭和20年代からアメリカに渡り、伝道師として働いたので、相当な非難と差別にあったようですが、彼はジャップと呼ばれ続けながら、それを許し続けたそうです。 イエローは当たり前の時代です。

ただ、驚いたのは 彼が戦後アメリカ軍に呼ばれていろいろ事情聴取されていた時に、食堂に行ったら 黒人兵に呼ばれ レストランの裏で、多数の黒人兵から 「よく真珠湾をやってくれた、 おれたちはあれですっきりした」と散々歓待されたことがあったそうです。

アメリカの黒人差別がひどいことは聞いていましたが、真珠湾攻撃まで黒人が喜んだ話を読んで、その深さを知りました。

彼がジャップと呼ばれようが平気だった裏には、こうした事実を体験したことがあるのでしょう。

彼はアメリカで アイゼンハウアー・ニクソン・トルーマン・デウリトル・ニミッツ元帥・スプルァンス第7、ターナー第5艦隊司令長官など有名人とも面談していますが、トルーマンが 「真珠湾は両者有罪だ」といった話が出てきます。

GUILTYという言葉が使われているところを見ると、トルーマンは ルーズベルトが日本を開戦に追いやったこと、真珠湾攻撃の暗号通信文を解読していて知っていたことなどの裏を知っての発言と思われます。

これはかなり重要な発言ですが、今まで表に出てきたことはありません。 ハワイの話で小生が以前書いた、ゼロ戦・西開地一等飛行兵曹のニイハフ島不時着の件は、淵田は攻撃隊長でありながら 全く知らなかったそうです。

伝道でまわるうちに、日系二世の人から手紙でこのことを知らされ、わざわざニイハフ島まで赴いて頭を下げた話が出てきます。 伝道師としての淵田の行動は異常とも思える過密スケジュールで、それが彼の寿命を縮めたことは明らかです。

小生信仰心は薄く、とても彼のマネはできませんが、広島・長崎の原爆跡を、大本営航空参謀として視察した彼が、洗礼を受けたことは十分理解できます。 こうした本を読むと、人間の一生は本当に死ぬまで判らぬとつくづく思います。

今の福田を初めとした情けない政治家どもに読ませてやりたい本でした。              

Thursday, February 14, 2008

うらやましい体力ですね (2008/02/14)[s]

この2~3日ちょっとダウンしていて、もっと速やかにレスポンドできず、失礼しました

やはりお天気も気分のアップスアンドダウンズにかなり影響しますね。

しかしそれにしても貴兄はスゴイ!!  週に4~5回もジムに通われるとは!  それだけ汗を流せば2万円の投資も値打ちがありますよ。 

ドキュメンタリーのテレビ番組は残念でしたね。 素材はよくても、料理する人の包丁さばきが冴えないと宝の持ち腐れとなるのでしょうか。

私も自分のラジオの仕事振りを省みて、忸怩たるものばかり。 才能もないのに、ほかに日本人が居なかったことを幸いに、独り居据わって、公共の電波を無駄にしていたのですから、万死に値いします。 恥を知らぬたわけ男の醜態をさらけだした一幕でした。 それでもラヂオたんぱを通じて流していた週一回の30分番組に53万人が聴いていたというビデオリサーチの報告は、私もラヂオたんぱの人も信じられぬものでした。 ミッドウェーの海戦を日本海軍の勝利と謳った大本営なみのでっち上げではなかったかと首をすくめるのですが。

「カナダこのごろ」も止めよう止めようと思いながらまだ煮えきらず踏みきれないまま放置の状態です。 怠けていると、少しずつ読者登録が増えるのですから、不思議でなりません。 しかし2ヶ月も休むと、発行元の「まぐまぐ」から問い合わせがきます。

青空が見えて陽光がさしてきました。 春が間近となって喜んでいます。 休刊廃刊ももう少し空模様をみてから考えることにしましょう。

元気ですね (2008/02/12)[o]

相変わらずウオーキングを続けられているようで、結構です。

小生は、外出は耳当て、マスク、とっくりのセーターがなければ寒くてダメ。

従って暖房の入ったスポーツクラブで運動となるわけですが、週に4-5回は行きます。

ステップマシン・エアロバイク(いわゆる自転車)・初級のエアロ・水泳など織り交ぜて、1回1時間~2時間というところ、そしてサウナに入って人工温泉につかり、夕方帰宅してビールを飲んで、元の木阿弥、体重を毎日測り、70キロ以下をキープするのに四苦八苦です。

ただ、小生の考えは「スポーツは楽しくなければやることはない」というものなので、面白くなければやりません。

最近はヨガをやったり変化をつけていますが、今のインストラクターと称する若い人は、エアロでもやたらとステップを複雑にするので閉口、それと音楽をやたらとボリュームアップするので、耳栓をする始末。いくら注意しても、インストラクター自身が難聴なのか、下がらないのです。

クラブに話すと一時は良くなっても、景気ずけかまたボリュームアップになり、最近はスタジオの運動を敬遠して、マシンの前の小型テレビを見ながらステップをすることが多くなりました。

クラブ会員の多くが高齢者なのに、なぜか若者向けの時間割が多く困ります。以前いた浦安では、1日に1回はシニアーコースがあったのですが、ここのマネージャーは全く聞かず。毎月2万の出費は痛いですが、健康費用と思っています。

ところで、11日のテレビ朝日の番組は、単に40年前の事件の概要を再現し、金禧老がまだ生きていることをインタビューで見せただけで、小生の本も全く紹介なし。

ディレクターに問題意識など全く無いようで、がっかりしました。
こんな内容なら、却って本の名前を出してもらわなくて良かったと思っています。

他の見た人も、さらっと流しただけで、どうっということもなかったね、と言ってきて今のマスコミのひどさを改めて痛感しました。

こんな連中に明日の日本を任せられるのか、小生も何回も煮え湯を飲まされてきたので、がっかりしています。日本は確実に悪い方向に向かっています。  

Monday, February 11, 2008

恵みの雨 (2008/02/11)[s]

そちらのお天気はいかがですか。 昨日90歳のご婦人を訪ねたのですが、「こんなおかしな冬は生まれて初めて」と言っていました。 普段でも雨の多い土地柄ですが、この冬は、あらゆる気象が一緒になって、雨、雪、風と、散歩を阻んでいます。

散歩をしないと、骨も筋肉も退化してしまうでしょうが、怠け者には、雨も恵みの雨です。 貴兄はジムでのトレーニングを続けておられますか。 

お隣の米国大統領夫人がこの前テレビで話していましたが、大統領(夫)の最良の友は小泉元首相だそうです。 ブレア前英首相も勿論刎頚の友でしょうが、小泉さんをトップにあげていたのには驚きました。 先代のブッシュ元大統領は太平洋で日本軍と戦ったのですが、60年後の今日日本を米国の最良の同盟国として言及していました。

昔の笑い話に、南米のある独裁者が、「日本とドイツが戦後繁栄しているのは何故だろう」と調べさせたところ、「アメリカと戦って負けたからだ」という結論になったそうです。 「それでは我々もアメリカと戦争を始めようか」と言い出したのですが、側近が「閣下、もし勝ったらどうなりましょう」と反論。 「それもそうだな」と考えなおしてアメリカとの戦いは沙汰やみになったという話。 これも歴史をつぶさに検討すれば幾分かの真実があるかもしれませんね。

お元気で。

Wednesday, February 06, 2008

こちらも雪です (2008/02/06)[s}

そちらも寒いそうですが、こちらも同じです。 バンクーバーで雪が降るのは珍しいのですが、今外で吹は雪いています。

「金禧老の真実」に陽光がさしてきたようで、世の中には見る人ぞ見る、知る人ぞ知るということが生きているのですね。 よかったです。

テレビ朝日はきちんと筋を通すから立派です。

随分前になりますが、サイマルから出版された、BBCに関する本の中で、TBSの大蔵雄之助という社員が「著」と銘打って、私の書いた文章をそっくり盗用していると、リスナーから連絡がありました。 

それとは別に、昔日経ビジネスにも、池田という記者が、私の翻訳したローカル紙の記事を、テニオハも変えずにそのまま64行使っていましたが、その辺が日本の物書きの常識なのでしょうか。 

その意味で、テレビ朝日が貴兄の著作に敬意を払ったということは嬉しく思いました。

どうかお元気で。

寒い、寒い (2008/02/05)[o]

節分に続き、今日(6日)も雪です。地球がおかしくなってきたのか、夏は猛烈に暑く、冬は寒い。これでは、動植物みんな大変です。

小生宅の水道は、風呂場にガスの給湯装置が付いていて台所などでは、蛇口を左に回すとお湯、右に回すと冷水となっているのですが、先日、面白いことを発見しました。

ガスのスイッチを入れなくても、左に回すと水道水が生暖かいのです。ガスは風呂以外は全く使わないのですが、この発見のお陰で指のひび割れが少なくなりました。

なぜ、同じ水道で温度が違うか判りませんが、貧乏人用でしょう。

今月が金禧老事件から40年ということもあり、テレビ朝日が事件の特集を組むので、小生の本「金禧老の真実」を番組で使わせてくれとの申し出があり、OKしました。11日の朝のスーパーモーニングという番組ですが、もし、録画したらその内に送ります。本のタイトルくらい流してくれれば宣伝になると、出版社は喜んでいましたが、もう在庫はないはずで、小生の家の物置送り返されてきた本が2-30冊あるだけ。陽の目を浴びるのが少し遅かったようです。世の中、良いことは少ないですね。

Saturday, February 02, 2008

こちらも相変わらずです (2008/02/02)[s]

こちらも相変わらずです。 医学の進歩はあらゆる病気を解決しても、風邪だけは頑固で、一発で全快というわけにはいかないようですね。 私も鼻をぐずぐずさせています。

それよりも目がますます見えなくなってきたので、「カナダこのごろ」も、「じゃあこの辺でお開きとするか」と腰を半分浮かせているところです。

私の体力は76才の年相応。 気力は86才。 知覚神経は96程度になっています。 テレビは、見るのではなく、聴いているのですが、俺はなんと頭が悪いんだろうと、このごろは痛感しきりです。

貴兄のパソコンの設定にはエキスパートを頼んだとのこと。 賢明でしたね。

「ギーク」というのは、学校でも女の子にもてず、カフェテリアでも独りぼっちでマニュアルに読みふける、社交性欠陥の若者のことを言うようです。 以前は青白き変人として誰からも相手にされなかったのに、昨今では一目も二目もおかれる存在として見直されているようです。

私も、そのうち日本語のパソコンのわかるギークを探しておくことにしましょう。

「カナダこのごろ」は、一時800人近くの購読者がいたのですが、「教育勅語礼賛」の投書あたりから人数が減り始め、「今どきの若いものは」と叱咤調を煙たがる若い人たちのサインオフが痛手。 もちろん最大の原因は、私のリポートの力不足にあったのでしょう。 

今はイノさんには独自にパブリッシュしてもらっていますが、部数も500で下げ止まり状態。 動きません。 ほかにホームページとブログに目を曝してくださる方が推定500人ほどいるものとみています。

E,メールはまだ当分大丈夫です。 貴兄からのメールが一番の楽しみですから、よろしくお願いします。

Friday, February 01, 2008

相変わらず (2008/01/31)[o]

風邪の具合はいかがですか?
パソコンと同じようになかなか本調子にいかないかも。

こちらでは パソコンを買う時に 設定などをしてくれる人を、約1万円出して店に依頼して その人がパソコンを持ってきて 設定まで 全部やってくれます。
小生は プリンターも変えたので 一緒に設定してくれ、助かりました。

以前のパソコンは 1日がかりで 家内と二人で悪戦苦闘したので、今回からは金で解決しましたが、金も大変。

この後、2011年には 頼みもしないのに 今のテレビを全部デジタル化するとのことで、買い替えるか チューナーをつけないと 今のテレビが見えなくなるのです。
従って、そのチューナー購入代は間違いなくかかるし、洗濯機・冷蔵庫・エアコン・電子レンジなど 長いものは20年以上使っているものもあり、それがいつダメになるかは時間の問題と思われ、お金のかかるものばかりです。

テレビのように、頼みもしないのに勝手に仕様を変えるのは、電機会社とグルになっているのではないかと思わせる話です。

物価は軒並み上がり、年金はそのままでどんどん住みにくくなっていきます。年寄りにはつらい話ばかりです。

なお、脚本を依頼されたのは友人の方で 小生には関係なし、したがって実入りはなしです。

春がきて、懐も暖かくなるような話があれば……