Monday, October 31, 2005

こちらの秋は湿っぽいです(05-10-31)[s]

お疲れで、コンディションのよくないところを、長文のメールで、つぶさにお伝えいただき、心から感謝しています。

貴兄の置かれている状況は、スゴイことです。

私自身、精神が始終不安定で、亡霊に悩まされ、腹を立てているので、「不幸な人生だ」と自分では思っているのですが、貴兄の事情をうかがい、それなどは虫歯の痛み程度のもので、ものの数ではないことが判りました。

私も15年ぐらい前は、子供達も図体だけ大きくなって、いろいろ勝手な方向に歩みだし、父親としてそれを適切にガイドすることもせず、また出来もしなかったので、家族として機能障害の多い、不完全な欠陥家庭だと思っていました。 しかしそれから10年あまり。 それぞれ独立し、結婚してみて、今はなんとか機能不全を通り越したように思います。 ラッキーだったと言うほかありません。

こうした問題を訴えることのできる友人がいることを、幸せに思います。

寒そうですね(05-10-30)(o)

新聞を見るとバンクーバーは最高気温が10度をやっと上回るくらい、こちらの冬ですね。
寒さ嫌いの小生にとっては苦手な冬です。

先日の小学校の同級生の話、身につまされます
本当に奇跡が起きたらと思うのです。
一般庶民は苦労してます。人生は楽なく苦あり
それでも唇に歌を、と。

7年前脳梗塞で倒れた俳優根上淳さんが先週亡くなりましたが、妻のペギー葉山さんは「歌う看護婦」といった本を出し、皆に慰められ、よくやったと褒められていました。
ガンと鬱で倒れた大島渚監督の妻小山明子は看病でノイローゼになり、自殺未遂を図ったと世間の同情をかいました。

有名人は本を書く暇があるほどの時間を持ち、仕事は続けても、みんなの同情をかい、よくやったと褒められます。

庶民は黙々とその友人のように20年も看病を続けているのです。褒められることも無く。同情も無しに。

小生の親父もお袋がパーキンソン氏病とガンで自宅、病院にいた十数年間、看病し続けました。
医師だった親父は直腸がんになって人工肛門をつけても、われわれ子供にはがんとは言わず、
毎日病院でお袋の足をさすっていました。
そしてお袋が死んでから看病に生きがいを求めていた親父は老人性神経症となり、お袋の1回忌を終えた後、自ら、いのちを絶ちました。
丁度、今の小生の年頃です。

当時は介護保険も無く、病室の付添い人、家のお手伝いさん、医療費用、病院の個室費用と経済的にも苦しく、我々がボーナス毎に渡していたお金も焼け石に水でした。

医師でも診療所の医師で半日勤務、収入は少なくてもお袋のために死ぬまで働いていました。
親父にはお袋しか残っていなかったのです。

小生は親父の二の舞はしませんが、浦安を離れ車を軽自動車に替えりしたのは親父の教訓です。
親子二代、妻の看病というのも因縁じみますが これも運命でしょう。

それでもこうしてメールで「辛いよ!」なんてこぼせるだけでも幸せです。

小生、家内の病気を弟に話したのが去年、姉妹は未だに知りません。
話しても、何も助けてくれるとは思えず、来られるとその応対に大変なので知らせません。

小生が辛いのは、家内が倒れてから原稿を書けなくなった事で、特にノンフィクションは取材で出かけるのが多いので、全く書けなくなったことです。
特に海兵75期の話は書きたかった。

最近家内がかなり復調してきたことは、たまたま今度の小生の病気のお陰で判ったので、少しずつ自分の時間をとることを考えます。

くも膜下とガンの再発は確率がかなり、低そうなので、問題は鬱だけに絞れるからです。

今回、10日間寝て家内も小生がいなくなったら大変、とおもいだしたようで、これが鬱に良い影響が出れば、と考えています。

仕事は来週まで延ばし、今は体力の回復に努めています。
まだ大きな買い物などは小生の仕事なので、脚力の回復かたがた出かけて歩くことを始めました。

貴兄のメールを見て、そうか紅葉の時期なのだと気づきました。
自分の視界の狭さに愕然としました。

小生の「カナダこのごろ」への投稿もきっと視野の狭い意見になっているのでしょうね。
今後、気をつけます。

鍼は続けてくださいね。朗報を待ちます。

Friday, October 28, 2005

お大事に(05-10-28) (s)

無理がたたりましたか。 仕事と家事と、2人分の仕事をして、その上に看病までなさるのですから、大変です。

そんなお疲れの中を、わざわざ写真とビデオを送っていただいてすみません。 

こちらも秋が深まり、日本なら秋空が美しいのでしょうが、バンクーバーの秋は曇り空です。 

心がそれに影響されないようにしなければなりません。

最近、小学校の時の同級生と、Eメールの交信を始め、60年ぶりに旧交をあたためています。

彼も慶應。 新聞にも時々名前が出るほどでしたから、成功して恵まれた境遇に居るのかと思っていました。 

しかし今度初めて知ったのですが、彼の奥さんも20年間入院生活とか。 心の病いではないかと思います。 友人は、週に3回、往復3時間かけて病院を訪れ、3時間ほど過ごして、帰ってくるのだそうです。 いつも行く時は、奇跡でもと期待して出かけるのだが、帰りは自分の気持ちも暗くなってしまうと、打明けてくれました。  心の痛む話です。

十字架を背負った人がまわりにも大勢いるのですね。

無理がたたった (05-10-28) (O)

26日誕生日とのこと、まずはおめでとう。
でも、もう年は要らないんじゃない?
小生貴兄に指摘されたとうり、無理がたたって ダウンし1週間メールを打てませんでした。

今日、起きられたので写真とヴィデオを送りました。来週には着くと思うのでご高覧下さい。
ただ眼の状態如何ですから無理はされぬよう

少し状態が良くなったらまたメールを打ちます。
今日は御無沙汰のお詫びまで。

Friday, October 21, 2005

鍼は効きますか(O) (05-10-21)

ご夫婦揃っての鍼治療が効果を発揮していることを願っているのですが、如何ですか?
小生相変わらず微熱の中で、仕事と家事に追われています。
健康診断は受けましたが、医者は微熱は何かのアラームでしょうと、それだけ。

井上氏の言われるように「心に太陽を 唇に歌を」もって暮らすほうが良いと思い始めました。

ただ考えてみたら、もう何年も歌を唄った記憶がありません。カラオケは行かないし、CDやテープを聞いても歌うことは無く、そのせいで暗い日々を送っていたのかもしれません。
少し生活のリズムを考え直そうかと思っています。

スイスのことは実は初めて人種差別を経験したのが、十数年前のスイスだったのです。
ツエルマットという町でホテルのプールに入ったら、私が泳ぐと中にいた数名の男女がプールから上がってプールサイドのジャグジーバスに入ったのですが、私がプールを上がってそのバスに入ろうとすると、彼等はプールに入る。
初めはなんとも思わなかったのですが、二三回同じことが繰り返されるうち、鈍い小生もこれはおかしいと思い始めました。
英語で何か話しているのはわかりましたが、小生の英語力では無理。
そして小生が意識的にプールへ出入りすると彼等は遂にプールを去っていきました。

差別はこうして行われるのだ、ということを初めて体験し、複雑な気持ちを持ちました。
アフリカやアメリカの黒人達が年中こうした目に遭っていることのつらさが良く判りました。
恐らく、相手も観光客でしょうが、スイスまできて こうした差別を平気で出来る神経に驚き、それから小生は差別をテーマにした本を書き出しました。

ブラジルではイタリヤ人に「この国も結構差別はすごいよ」と慰められ、英国人の態度のすごさには、恐怖心さえ感じました。

家内は「英国航空」には絶対に乗りません。小生も同じです。ツアーで英国航空が使用飛行機だとキャンセルします。

差別で嫌な思いをするくらいならなるべくそうした思いをしそうな機会を作らないように考えるのですが、海外駐在を永くしていた友人は「それは無理。 どこでもいつでも差別があると思わなかったら、海外旅行はしないほうが良い」と言います。

人間誰でも、小生自身を含めて異人種に対する差別心はゼロではないと思いつつ、なんとか自分はその気持ちを打ち消すべく、考え、行動はしているつもりですが、これは永遠の課題でしょう。ただ、いやな目に遭っただけ、打ち消す気持ちを持ちやすくなったとは思います。

ヴァンクーバーへ伺ったとき、貴兄が長く海外に暮らしてそうした思いを強く感じたことが少なかったという感想を言われたときに、小生は敏感になりすぎかな、と思いましたが、スイスへ行くとこのことが頭に浮かびます。


なお、AUDREY HEPBURNの住んでいた村へ行かれたい方は、例の「地球の歩き方」にもこの村のことは載っていないので、以下をご参照ください。
Morge駅でマクドナルドの店の前の階段を下りたところにあるバス停で2番系統、Tolochenaz行きに乗り、約10分五つ目のLa Plantaで下車。
目の前にAUDREYの胸像があります。
バスの進行方向に沿って100か150メートル歩くと、右側に鉄柵がありその中が村の墓地です。彼女の墓は右側で直ぐわかります。

村の中心部はそこから坂を降り、県道下の地下の横断歩道を渡って5分くらい。
途中に教会があります。
Tolochenaz郵便局の十字路を右折し、県道にでる角の左側に彼女の住んでいた家があります。
他の家よりやや大きいのですぐ判ると思います。

県道に出る手前に、前に書いた○に×の駐停車禁止の交通標識が残っていると思います。
この標識をカメラに収めなかったのが、一番の心残り。これしか彼女のところに来客が多かった名残りは残っていないのです。

Residence Audreyは村に入る左手に建設中でしたから、年内には完成すると思われ、これが出来たときは村の雰囲気は一変するでしょう。

なお、バスは平日は10~15分に1本、日曜は1時間に1本しかありません。
また、バスの表示が2番系統なのになぜか「12」になっています。ご注意ください。

今日は下らぬことを書き連ねましたが、貴兄にはAudreyの墓の写真等、焼き増ししたら送ります。
期待しないで待っていてください。

(05-10-21)

Saturday, October 15, 2005

スイスというと(05-10-15)(S)

2通も続けてお便りをいただき、感謝です。

レマン湖というと、思い出すことがあります。 学生時代知人のお宅でお目にかかったのが、フランス語のお上手なご婦人でした。 たしか戦前ジュネーブの国際労働機関で活躍された有名な人物の奥様だと思います。 有名な方なのにその名前を失念したのですが、鮎沢さんという名前だったかな? そのご夫婦に男の子が生まれたのですね。 そこでレマン湖の名前をとって「玲満」と名付けられたそうです。 ところが日本の戸籍には、間違って「珍満」と記載されてしまったそうです。 「シナ料理屋みたいで」と言っておられましたが、ご本人も両親もさぞかし心外だったことでしょう。 そのご子息は、一生「珍満」という名を担って生きなければならないのですから。 「レマン」とはいい響きの名前ですから、ほかにも同じような名前をつけた在スイス贔屓の日本人がいたかもしれません。

日本の役所は手前の間違いを認めませんからね。 小さいことですが、家内の誕生日も、結婚して新戸籍を作った時に、2日ずれてしまいました。 本当の誕生日は、シェークスピアと同じ誕生日だったのですが、その2日後が戸籍上の誕生日ういうわけで、今は二つの誕生日を持っています。

前にもお話ししたかもしれませんが、知り合いのイギリス人は、「スイス人とスウェーデン人は信用する気になれない。 まだドイツ人の方がましだ」と言っていました。

ロンドンで、日本語を勉強していた女性で、マルクスさんというドイツ人がいました。 三つもフルタイムの仕事をかかえ、その上日本語の上級クラスで勉強していたのですから、すごいオールドミスでした。 イギリス人の友達は、「ドイツ人だからよ」と笑いながらあきれていました。 

そのマルクスさんが、イギリス人のことを、いつも悪く言うのです。 そんなにイギリス人が嫌いなら、ドイツに帰ったらいいのにと思ったのですが、「イギリス人は、怠け者で、汚い。 でも親切だから」と、BUT を付け加えます。 たしかにイギリスには親切な人が大勢いました。 「親切」ということは、勤勉や清潔よりも大事なんですね。 

私は省みて、不親切で意地悪なところがあります。 「だから、今の不遇は仕方がないんだよ」と自分に言い聞かせるのですが、私にとっての「親切」ということは、死ぬまで努力しなければならない重い課題です。  (05-10-15)

スイスの印象 (05-10-14)

スイスへ行ったと話すと、あの国でいやな目に遭ったとかいやな話があるという言葉が知人、友人から数多く出てきてびっくりしました。
小生だけでなくいやな目に遭った人が、増えていることは間違いないようです。
小生の感想を具体的にまとめてみます。

1 物価高
 スイスでは昼飯を1千円以下では食べられません。マクドナルドのハンバーグが6フラン[1フラン=約90円]500円以上するのです。1個ですよ。
 スパゲッティが15フラン位、飲み物を入れると2千円近くなります。
 昼でこうですから夕食は3千~4千円はかかります。ビールの小瓶が5フランくらいします。
コーラが3.5くらいでしょう。
スーパーで買い物はしましたが、飲み物は一般店の3分の1くらいですから{ビ-ルが1.5くらい}観光客相手が高値になっていると思われます。
また、登山列車がすごく高い。もう100年もたって原価償却してしていると思われるのに、インタラーケンオストからユングフラウヨッホまで、往復172.6フラン約15,500円かかります。他の山でも数千円は当たり前です。
日本の黒部・立山という一番高い縦断ルートでも7,800円ですから、2倍かかります。
毎日、万札が飛んでいくのです。
レマン湖畔のマンションも億単位の値段でしたから、物価高は明らかです。
これは観光客泣かせで、グループツアーでも1週間程度で30万円しますから、スイス旅行は高嶺の花になりつつあります。

2 タバコ天国
 スイスといえば澄んだ空気を想像しますが、列車は半分禁煙、半分喫煙が普通。
レストランに禁煙席はありません。
CO2削減のため、ガソリン自動車が進入禁止で有名なツエルマット、サースフェーもタバコはどこでもOKです。
 珍しい自然保護の国です。

3 サービスの低下
 商店やホテルで嫌な思いをした人は数多いようです。
 ①空港のレストランでグラタンを注文したら なかなか出てこず 飛行機に乗り遅れそうになり、周りに人もいないので厨房にせかしに行ったら「日本に帰って食べたらいい。だいたい、こんなところは立ち入り禁止だ、出て行け」と怒鳴られた。
 ②ホテルのレストランで夜中に歌手を呼んで パーテイがあり、眠れないので文句を言いにいったら、英語のわかるものが出てこず、とうとう午前4時まで歌と足を踏み鳴らす音で眠れず、しかも翌朝の朝食はホテルのものが皆、寝ていて時間どうりにレストランが開かなかった。

こんな話がたくさんあります。以前よりサービスが低下しているのは、間違いありません。
小生も、商店の買い物で怒鳴りたくなるような目に遭いましたが、英語の不自由な小生は泣き寝入りするしかありませんでした。
明らかにアジア人というか日本人に対する差別と思われることが多すぎます。

4 表示の悪さ他
  これもサービスの一つですが、駅などの表示に英語が少ないのです。
 ドイツ語、フランス語だけです。日本語は皆無。
 何故、英語が少ないのか、米、英、日は嫌いということでしょうか。メニューも英語は少ない。
 ホテルのテレビも日本語は聞えません。
 観光客の最多は日本人だそうですがNHKは1箇所のホテルでしか見られませんでした。
 30位のチャンネルがあるのに、独、仏、伊、スペイン、オランダ、ポルトガル語ばかりです。
 スイスは日本人への嫌がらせをここでもしているように感じました。
 それでもスイス大好きの日本人は多いのです。

スイスの売り物はなんと言っても「自然」ですが、これがいつまで日本人に通用するのか、気になります。
グループツアーで行った人も、レストランのサービスがひどいと言っていますから、日本人はほっておいてもスイスに来ると思っているのでしょう。
しかも、お金をたくさん持って。

日本も観光客の増加に力を入れ始め、東京近辺は中国語、ハングル語の表示が増えました。
特に、交通機関の改善が目立ちます。
こんな努力はするのが当たり前ですが、スイスは何を考えているのか判りません。

今日は少し厳しい意見を書きました。
スイスへ行かれた方は多いと思いますが、ご意見は?

阿部 基治 (05-10-14)

奥様いかが?(05-10-14)

カナダのパキスタン救援金、一人当たりで判り易くカナダの多いのが良く判りました。
総額では判りにくいことも理解でき、貴兄の分析方法の良さに感心しました。
小生、相変わらずバタバタの日々です。
今日は井上氏への礼状を出します。
貴兄の眼が奥様の腰痛同様に鍼で良くなるよう願っています。

井上 出様
小生の拙作をお読みいただき、しかも書評をお寄せいただき、感謝しております。
殊に、小生の帰国に合わせてFAXをいただき、その気配りに厚く御礼申し上げます。
小生作家になるつもりは全くありませんでしたが 放送は終わると消えてしまいますが、本は残るのでつい2冊も出してしまいました。
お読みいただいただけで、感謝感激です。
貴殿のエッセイのように良い文章が書ければもっといいのですが、この程度の文章しか書けません。

スイスの話、チャップリン(1889~1977)は1952年から、オードリーは1964年からスイスに住んでいますから交流があったかとも思われますが、共演作品も無く裏付けは取れません。
小生自身は、交流は無かったとおもっているのです。
というのは、チャップリンは1952年「ライムライト」完成後ロンドンへ船で行く途中、ハリウッドの赤狩りで召喚状が届いたため帰米せず、途中からスイスへ向かい、そのまま住み着いて25年間老衰で亡くなるまでヴヴェイにいたのです。
1964年スイスに行ったヘップバーンはまだ売れてる最中で、赤のレッテルを貼られたチャップリンに会いに行くのは勇気がいることだったと思われるからです。
もっとも、70年代に入ってハリウッドでも彼を表彰したり、イギリスがサーの称号を授けたりしましたから、そのお祝いに訪問した可能性はあります。
ただ、両者ともみんなの目線の届かないところに居たかったようですから、小生は交流は無かったと思うのです。

ウイリアム・ホールデンもトロシュナ村の近くに住んでいたようですが、彼は税金対策でスイスに移住したようなので恐らくこちらも交流はなかったと思います。

皆がスイスに憧れ、移住する人も多いのに今回のスイス滞在は決して気分はよくありませんでした。
そのことは、別に書きます。

いつか井上さんとお会いできることと思いますが取りあえず紙面でお礼を申し上げます。
(05-10-14)
                  阿部 基治

Wednesday, October 12, 2005

お便りありがとう (05-10-12)

お忙しい中を縫ってお送りいただいたメール、心より感謝します。

サーバーの都合で、メールが停まるというのは、初めて聞きました。 とんだ迷惑でしたね。 しかし4時間も電話でやりとりしながら、きちんと復旧されたというのは、驚きです。

家内の腰痛(バックエイク)は、抗生物質と鍼の、西洋医学と東洋医学の二重作戦で大分良くなりました。

急速に良くなったので、「それでは私の眼も治らないか」と中国人の漢方医に相談したところ、「辞書で調べてみる」と言って、今日初めて、首筋に鍼を打って貰いました。 当たるも八卦、当たらぬも八卦と、期待しないで、暫く試してみることにします。 

井上さんから次々にエッセーを送ってくるので、その配信だけでも結構時間をとります。 おかげで忙しリタイアメントの思いをしています。 (05-10-12)

メール故障 (05-10-12)

奥様の腰痛いかが? 少しでも良くなっておられるといいのですが。
小生、帰国以来つかれが出たのか、仕事と家事以外何も出来ません。

実は5日頃メールのサーバーソフトを業者が交換したのですが、小生のPCがそれに対応できず、メールの受信が出来なくなっていたのです。
昨日、それに気づき今日4時間業者と電話で対応措置を取り、先ほどやっと復旧出来ました。

20通以上メールが溜まっており、まだ全部読めていません。取りあえずお詫びします。
井上氏にも明日か明後日改めて詫び状を出します。
こんなことは初めてですが、貴兄を初め、たくさんの方に失礼をしてしまいました。

明日は朝から一日中仕事です。落ち着いたらまた、メールします。
取りあえず、お詫びまで。 (05-10-12)
  

メルシー ボークー (05-10-7)

すばらしいお便りでした。 香料の匂いが上品な、クリームのたっぷりかかった、上等のフランスのお菓子をいただいたような気持ちです。

ぜひ、この、スイスの村にヘップバーンの住まいを訪ねた、心を打つ紀行文を紹介させてください。

ありがとうございました。

(05-10-7)

Friday, October 07, 2005

やっと起きました (05-10-7)

今日は熱も下がり、やっと起きられました。

奥様の腰痛は如何?
せっかく良い住居が見つかったのに、どうか一日も早く良くなられるように祈っています。

今度の住居はシルヴィヤホテルの傍とか、あのホテルで昼食をご馳走になったことを思い出します。
井上氏も朝食を取られたとか、すごく落ち着いたいい感じのホテルでしたし、スタンレイ公園を散歩ならぬ競歩した後の食事は最高かもしれませんね。

でも、奥様の容態が改善されぬことには貴兄の存在感が薄れます。
あれだけきちんと運動をされていたのに、皮肉な病名ですね。
素人は治療法にとやかく言わぬほうが良いと思いますから、医者に任せたら。

今度は水泳も出来るそうですから、腰痛予防に泳ぐのも良いでしょう。
もっとも平泳ぎとバタフライは腰には良くありません。
でも良いところに、安くてよい物件があって本当に良かったですね。

ところで、スイスの話を一つ。

今回は最後にレマン湖畔に2泊しました。

その目的はチャップリンなど有名人がこの湖畔に住んでいたと聞いたからです。
有名なローザンヌは避けてモントルーというところに泊まりました。

バイロンの詩で有名なシヨン城があるところです。
ここは日本人はさすがに少なく、欧米の観光客がいっぱいでした。

シヨン城に入るときにちょっとしたハプニングがありました。

入城券の切符売り場の高校生のアルバイトみたいな女性が「16を超えているか」と訊くのです。
どういう意味だと聞いたら、料金表を持ち出して指差します。
そこには{6~16は子供料金}とありました。
苦笑いして、16以上だと言ったら、今度は家内を指差し同じ質問です。
今度も16以上だというのに、彼女は「Really?」 と不思議そうに聞き返します。
白髪交じりの老夫婦が現地の高校生には、子供並みにしか見えないのです。
特に小柄の家内は若く見えたらしく、16以下に見られたと大喜び。暫くはしゃいでいました。

モントルーから列車かバスで10分ほどのヴヴェイという町にチャップリンの像があります。
レマン湖畔をのんびり歩けば、あの「街の灯」などでおなじみの山高帽子によれよれの服を着た彼の全身像が湖に向かって立っています。
身長は165センチくらいでしょうか、小柄でちょび髭の顔がさびしげに見えました。
小生が165センチで写真を撮るときにほぼ同じ高さでしたから台座の分を引くと160センチくらいかもしれません。

知っている観光客も少ないのか、小生が写真を撮っている間もほとんど人は近づきません。
この裏手に彼の別荘があり、そこで彼はユージン・オニールの娘と結婚してのんびり余生を送っていたわけです。

翌日、小生は家内とサンドウィッチ持参でモルジュという町に出かけました。モントルーから列車で40分くらいでしょうか。

この近くにオードリー・ヘップバーンが住んでいたとの話をJTB出版からでた、田中光子さんの本「スイスとっておきの旅便り」で読んだからです。

パヴィヨン・オードリー・ヘップバーンは13:30~17:30の開館と本にあったので、モルジュの湖畔でサンドウィッチを食べたりして、1時少し前に彼女の住んでいたトロシュナ村行きのバスに乗りました。

バスはやや湖畔を離れ、レマン湖はみえなくなります。

五つ目のバス停の前にパヴィヨンがあるはずなのに、バスを降りても静かー。と見ると彼女の
胸像が立っていました。

「許されざるもの」(1959)に出演したときの肖像で厳しい表情をしており、あの「ローマの休日」
(1953)の輝くような王女の顔とは全く異なります。
何故こんな顔の胸像を作ったのか不思議に思いました。

その胸像のさきにパヴィヨンらしき建物があり近寄るとなんと「CLOSED」の文字が。
閉館され、何時かどこかで再館するかも、の説明文もなく。
ここで彼女が取った二つのオスカー像を見たくてここまで来たのにがっかりしました。

気を取り直し、そこから道沿いに100メーターほど下ると右手に鉄柵が見え、そこが墓地です。

そうです、ヘップバーンはトロシュナ村の墓地にひっそりと眠っているのです。

墓地の広さも、墓石の大きさも村民のものと同じ、御影石の十字架に{AUDREY HEPBURN 1929~1993}とだけ書かれた質素というか、ありきたりのお墓です。

ここにあのローマ休日の王女役で一世を風靡した彼女が、眠っているのです。
あの輝くような美貌とエレガントな物腰で、世界中の男性のみならず、女性までもがあこがれた彼女は全く一人の村民として1964年以来の30年をこの静かな村で暮らしていたのです。

1964年というとあの「マイフェアレデイ」が公開された年ですから、ベルギー生まれの彼女は多忙の中、こっそりとこのレマン湖畔の村を探していたことになります。

墓地の脇の道を下り、車の多い県道は地下の横断歩道をくぐると村の中心部への道になります。
右手に彼女が二度目の結婚式とそして彼女自身の葬式が執り行われた小さな教会があります。

村の中心部は役場と郵便局のある二階建ての建物があるくらいで、商店一つありません。
農産物の市を土曜日の9時から12時まで開くとの張り紙があるだけ。
人どうりもほとんどなく、全く田舎の村そのものです。

十字路を右に折れ、県道に出る左角の家が「ラ・ぺジーブル」の館、ヘップバーンが住んでいた家です。
少し茶色がかった家は村のほかの家と同じ作りで、ただ少し広いかな、という感じです。
今は他の人が住んでおり、もちろん中を見ることは出来ません。

入り口の門が正面、左手と庭の方と3箇所あるのですが、その庭に近い門のある道に日本と同じ[駐停車禁止]の丸に×の標識板が立っていました。

ユニセフの大使をしていた頃は、ここにもたくさんの来客があったのでしょう。
その頃を偲ばせるものは、この場違いのような交通標識だけでした。
村の掲示板にあった歴史を書いた文中にも、墓地の入り口にも、住んでいた家の前にも「AUDREY HEPBURN」の文字はどこにも出てきません。

村民の一人として、プライバシィを尊重し、静かに暮らしたいという彼女の願いは、完全に叶えられたのです。

スイス政府観光局に20年以上勤務していたという本の著者の田中さんさえ、スイスにヘプバーンが住んでいたことさえ、知らなかったというのです。

彼女の家の前は県道でかなり車の量も多いのですが、道を渡ると直ぐ牛がいる放牧場、その先は麦畑とりんごとぶどうの畑が続きます。

田舎の自然な風景がなだらかな丘の向こうまで続いています。

この自然を愛でながら彼女は30年の歳月をここで過ごしたのです。

暫くこの景色を見ていると、あの華やかな女優生活とこの穏やかな田舎の村がマッチしてくるのが
不思議でした。

いいところに住んでいましたね、とそういいたくなるような村でした。

そこで、気になることを一つ。

この村に入って直ぐ左手に「Residence Audrey」というマンションが建設されているのです。
4階か5階か判りませんが、恐らくスイスの悪徳不動産業者が彼女が住んでいたことをキャッチフレーズにこの建設を始めたのでしょう。
これが出来たら、村の外観もそして静かな環境も一変します。

今、スイスはバブル崩壊の日本と似てきて、物価高と不動産ブーム、レマン湖畔にはマンションが
林立し、建築中です。

AUDREY HEPBURNの住んでいたところ、静かな村、お墓が見れるのは、せいぜい今年中かも。
トロシュナ村の良さが失われないことを祈ります。

今日は長くなりました、そろそろ仕事に戻ります。
なかなかメールが打てないかもしれませんが、ご了承のほど。
奥様の全快を祈るや、切。

(05-10-7)         

Tuesday, October 04, 2005

何とかゴホンゴホンと咳をしながら元気にやっています

私の風邪のことをご心配いただいてすみません。 たしかに風邪はまだ完治せず、時折咳き込んでいますが、ダウンというわけではありません。 教会も3週間ほど休みましたが、気分が悪いからではなく、ほかの人が気にするといけないと思って遠慮した程度です。 ところが一昨日の日曜は、家内が珍しく腰痛でダウンしてしまって、彼女は教会を休み、私だけが行ってきました。 ファミリードクターや鍼灸師に診て貰って、大分よくなりました。

腰痛(バックペイン)は、カナダの家庭医学全書によると、風邪よりも、かかる人の数が多いそうで、世の中には、「背中が痛いから長い時間坐れない」と悩んでいる人がいっぱい居るのだということを知りました。

スイスの旅は、貴兄にとっては負担だったようですが、奥様が喜ばれたのであれば、何より値打ちがありましたね。 私のスイス駆け巡りは1962年と69年でしたが、あまり地元の人とコンタクトする機会がなく、記憶も古いビデオ程度の断片的なものです。

2005年のスイス人が、人情希薄だったというのは貴重なインフォメーションです。 その部分だけ抜き出して、読者ラウンジに「某」さんからのコメントとして紹介させてください。

私も、40年前のイギリスに居たイギリス人は好きでしたが、最近のBBCのワールドニュースに出てくる若い男女の表情や目つきは、別の惑星から来た人達のように感じます。 私も年取って、旅行に出られなくなったので、視野も心も狭くまってしまいました。 それでも、毎晩7時に放送される「トラベル ヨーロッパ」という旅の番組で、スイスやイギリス、フランスの旅を楽しんでいます。 アームチェアの小旅行というわけですが、欲を言えば、大型画面の鮮明な画像で観たいものだなあと、願うのですが、実現しそうにありません。

くれぐれもお大事に (05-10-4)

Monday, October 03, 2005

身体大丈夫ですか? (05-10-3)

小生の推測では風邪でダウンしているように思えるのですが、大丈夫ですか?
他人事ながら心配です。

実は、小生も帰国後、体調優れず、仕事に出た1日半を除いてほとんど寝ています。
スイスでも二日目と十一日目と2回ダウンし、ホテルで寝ていました。
出発前に家内の病状が一時思わしくなく、大分考えて行ったのですが、家内は待望のスイスで現地では元気いっぱい。小生は疲れたまま出て行ったせいか、散々でした。
なれない下手な英語を使わないと飯も食えず買い物も出来ず、鉄道は不通区間があっても駅には何の表示もなく、窓口へ行って聞かねば何も教えてくれません。
インフォメーションセンターがあるのですが、そこでは[鉄道のことは扱っていません]と珍しく英文の表示がありました。

観光を売り物の国なのに英語の表示は少なく、ドイツ語とフランス語ばかり。
一番多いといわれる日本人の観光客に対しても、日本語の表示など皆無。メニューも日本語のあったのは1箇所だけでした。
日本人は団体が多いからということらしいですが私のような個人旅行者に対しては全く不親切。
10年前と比較し改善の跡が見られません。
ホテルでNHKが入っていたのは1軒のみ。
イタリヤスペイン、オランダ語はあっても日本語は聞こえません。

怒ったのは2回、失望というかもういい加減にしろと、感じたことも数回あり、小生にとってはきつい15日間でした。それでも家内は久しぶりのスイスに大満足のようでしたから、よかったのかもしれません。

小生は言葉の壁と、ホテル、商店の対応のひどさへの怒りから疲れ果て、遅い夏休みは惨憺たるものでした。
貴兄に送った絵葉書の頃までがなんとか良くて後半は疲れました。自然の美しさに救われてなんとか旅を続けられましたが、スイスの人間のひどい変わりようにその怒りから倒れたのかもしれません。

カナダこのごろに書ける様な話はほとんどありませんが、体調が良くなったら、一つぐらい書きます。ただ、スイスの山や自然の素晴らしさは、言葉にならない凄さを感じます。

今日は全くの私事のみ。旅行中に駄目になった歯を治しに出かけるため起きたので取り敢えず御無沙汰のメールを打った次第。
文脈の通じないところは熱のため、判読してください。ご容赦を。
(05-10-3)