Friday, July 29, 2005

ご承諾感謝(05-7-29)

早速のご返事、有難うございました。 当方の希望をくんでくださり、感謝しています。 きわどい私見と言われますが、卓見を埋もらせておくのは、忍びがたい気がします。
井上さんへのご返事も、そのままお伝えしておきました。 もしよろしければ、私がいただいて、手許にある本をお送りいたしましょうか。
貴兄との交信は、http://shigematsuakira.blogspot.com/ に記録していますが、このブログは、貴兄と私だけしかアクセスできないので、ほかに読む人はいません。
井上さんからの来信は、すべてメルマガで公表しますが、それに対する私の返信は、イノさんシゲさんのブログに出しています。 http://blog.goo.ne.jp/inosanshigesan です。
堺の野口さんという方からの文章を読むと、有楽町で、トラックの上から、マイク片手に、獅子吼していた、赤尾敏の、風になびくグレイの長髪を思い出します。 
ALOHAさんも、時には、激烈。 大場さんは、阪大出身ですが、まだ若いのに、「帝国大学」にこだわるのには、感覚のズレを覚えます。 
まあ、上海の大学が行った世界の大学の評定によれば、東大は世界で15位、京大が20位、阪大は50位で、日本では3番目のランクなんですね。 その後に、東北、九州、北海道、名古屋、東工大と続きます。
慶應は200番目で神戸大学なみ。 早稲田が300位というのは、多数の総理大臣や文人を輩出しているのに、アカデミックな点では、国際的に認められていないのですかね。 
ちなみに、1番はハーバード、2番がスタンフォード、3番はケンブリッジになっています。 オックスフォードやエールは、10番前後です。
イギリスにいた頃、レディング大学の美人の科学者が、「あなたもトーダイですか」と訊きますから、「とんでもない。 私のはプレイボーイの行く所で」と答えると、日本語で、「ああ、ケイオーですか」と笑います。 その先生、慶應病院で研究したことがあると言っていました。
英国人の表現によると、慶應は、SOCIALLY ACCEPTABLE ということになるんでしょうかね。

井上さんへの返事(05-7-29)

前回のメールは載せるつもりでなかったのでややきついことを書いたのですが、どうしてもというなら、お任せします。一部分でも。
朝日の話は本当で、今、朝日の単独取材だと警察署は応じないと思います。その位ひどいです。
小生が金嬉老の取材でそのことを知り、驚きました。そこまで朝日警戒網もいっているのです。

井上氏へのご返事

『贖罪』を読みたいとのことですが、出版社の「近代文芸社」にもう在庫がないかも知れません。関心をお持ちいただき、有難うございます。

小生の手元にも自分の手持ち以外は3冊しかなく、今は読みたい方に持ち回りで1部を回している状態。
もし、この形でよければ、今貸している本が戻り次第、お送りします。

大庭さんはお逢いしたことはありませんが、贖罪の取材の時にある韓国人が、ロッテホテルのスイートに普通料金で泊めてくれ、そのときに名前を伺った気がします。

呉さんにも差し上げたいのですが、前記の状況で部数がありません。
図書館であればと思いますが、国会図書館はともかく、小さいところであるかどうか、千葉市もありません。浦安市はありました。

2冊目の金嬉老は小生の手元にありますから、いつでもお送りできます。

以上のような状態です。ご了承ください。

色々な意見、私見?(05-7-28)

時間が少しあってPCに向かいました。
カナダこのごろは格調高く、小生のような凡人にはかなり敷居が高いですね。
井上氏の韓国に対する日本人の見方は的を得ており、感心して読みました。
韓国人の人種差別問題を2冊の本で取り上げたので、呉さんの気持ちも井上氏の言い分もよくわかります。
それとときどき、大東亜戦争が日本の自衛戦争のような意見が多く出て、一生懸命近代の歴史の本をよみあさり、その結果英米仏オランダなど諸外国の施策が勿論問題あるものの、張作りん爆殺、柳条溝の爆破など関東軍の動きはどうみても侵略しかなく、これと三国同盟、国際連盟の脱退等、どう考えても日本は間違った動きをしてきたのに、それを肯定しようとする動きに、何かこわいものを感じます。
メルマガだからこそ、多様な考え方を聞けるのですが、この日本自衛肯定説の動きはかなり多いように見受けられるのが昨今で、戦後60年たつとこうも変わるのかと心配になるのです。

朝日新聞は共産党の巣で、いいかげんな、勝手なことばかり書くし、この意見で自分うの考えを左右されるとこれも、こわいです。

きちんと世界を、社会を、日本を見つめる眼を失いたくないと、つくづく思います。
その意味でも貴兄のカナダこのごろは良い勉強の場を与えていただいており、感謝いたします。

今の仕事が来年の春には一段落すると思いますが、そうしたらまた本を書きたいと思っています。
ブログもそのとき役立たせていただきます。

今日は全くの私信のつもりで、かなりきわどい事も書きました。ご了承下さい。
では、良い夏休みを!

Wednesday, July 27, 2005

終戦の日

お忙しい中を、また暑さのきびしい中を、メールをいただいて、恐縮。 心から感謝しています。
私は、今週末、モントリオールに移動しますが、カナダについてのレポートの方は、去る1ヶ月もお休み、来月もずる怠けと横着をきめこんでいますので、できるだけリラックスしたいと思っています。
とても深い内容のメールです。 早速「読者ラウンジ」に掲載させてもらいます。
あの日は、愛媛県の田舎にいました。 いつもの通り、炎天下、土砂運びの動員に刈りだされていたのですが、玉音放送を聴いて帰ってきた先生が、首をふりふり、現場監督の先生に、「どうもイカンようですな」と話し、作業は中止。 汽車で隣の小松まで帰って駅前の道を石鎚山の方角に向かって歩く時、「国破れて山河あり」という言葉を独り繰り返していました。 途中屈強な青年二人が、まぶしい太陽を浴びて、高笑いしている様子が、異様に思えました。 しかし私自身も、「これからは白昼艦載機の銃撃を受けることもない」と、ホッとしました。
僅か3年半の戦争で、何もかも失ってしまった、我が家と日本。 得意の絶頂から地面に叩きのめされるまでに、さほど日数はかかりませんでしたね。 それにくらべて、その後60年間も平和が続いたことは、日本人として感謝せざるを得ません。 

60年前の夏(05-7-27)

仕事に追われているうちに、月末になってしまいました。ゆっくりメールをと思いながら、時間が取れず、申し訳なし。 また8月15日がやってきます。60年前、お袋と妹が疎開していた群馬の山奥の村をたまたま訪れていて、村役場前であの「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」という放送を聞き、アー負けたんだと思ったことを今でも思い出します。 東京に戻る列車は超満員で、機関車の後ろの炭水車に乗り、物凄い石炭のかすを頭から浴びて体中真っ黒になって帰京したことも、覚えています。 大東亜戦争も自衛の為とかいろいろ言われていますが、1931年の満州事変以来の日本の中国大陸での侵略行為を見ると、明治維新以来、英米仏等の列強に負けじと拡大というか背伸びをしてきた日本が、いかに無理な戦いを挑んだかが判ります。
1941年、アメリカから突きつけられたハル・ノートに「中国大陸から撤退することは今までその地で亡くなった英霊に申しわけが立たない」とわけの判らぬ理由をつけ、その結果、310万人の人間をこの大東亜戦争で失ったわけです。 今でも戦争好きがいるようですが、一回自分で戦場に出なければ戦争のむなしさは分らないのでしょう。大体、号令をかける人は後ろにいるわけで、あの悲惨さを体験はしないわけです。 小生、あの焼夷弾の爆撃の凄さだけでも、ビビリました。焼夷弾の直撃を受けた人が火柱になったときは、声も出ませんでした。
それなのに学校へ行くと、怖かったとは誰も言えず、B29が撃墜されて凄かったとか、全く関係のない話をしていましたが、皆は本当に怖くなかったのか、今でも不思議に思います。 敗戦記念日前後は、また特集番組が数多く組まれるのでしょうが、こうしたときだけでも戦争の悲惨さを思い出し、あるいは意識づけて、戦争を回避したいものです。 中国が軍事費を公表の2~3倍も使っているとか、きな臭い話があちこちにありますが、人間の叡知が果たしてそれを上回ることが出来るか、21世紀の課題だと思います。 モントリオールはかなり暑そうですが、どうか身体を大切に、特に眼を休ませ、休養してください。 小生9月の旅のため、夏休みは無しです。
ややばて気味ですが、仕事に追われて暑さも少し忘れます。

Monday, July 25, 2005

お見舞い有難う(05-7-25)

地震のお見舞い有難うございます。
この30年以上経った団地も結構丈夫で、棚から2~3品物が落ちたくらいで、被害なし。

震度5の体験は、大地震の予行演習のようで参考になりました。

今夜は台風です。
仕事はFAX、PCのお陰で連絡も取りやすく、天災にも妨げられずに進んでいます。

まだバタバタしていて、落ち着いてメールも打てず申し訳なし。
まずは御礼まで。

Saturday, July 23, 2005

地震は大丈夫でしたか?

昨日の地震の時は、岡本さんはどこにおられましたか。 都心のオフィス? それとも車中?
いつどこにいても、最近の天災は、忘れないうちにやってくるようですから、備えの仕様がありませんね。
親戚の話によると、大田区の方は一回グラリと来ただけだったが、中野の家は大分揺れたとのこと。 千葉の方はいかがだったのでしょうか。
奥さんを数年前亡くされた井上さんは、バンクーバーにいずれは住みたいと言っておられますが、やはり気になるのは地震のこと。 地震に強い、高層アパートは、高所恐怖症だからと敬遠されるし、木造の独立家屋が大丈夫かということも立証されていないし、判断に難しいところです。
今度の東京・千葉の地震、数値が大きかった割には、人的被害が少なかったようで、何よりでした。

あやめ台より(05-7-22)

早速のご返事、いつもながら律儀で感心します。
小生、土日は自宅仕事で助かります。
いつもは朝飯とともに昼食を用意しさっと掃除機をかけたら、約1時間半かけてバス、電車を乗り継いで都心へ、5~6時間打ち合わせをするとまた1時間半かけて自宅へ。

前の浦安は都心に近く楽でしたが、ここからだとこの通勤がきついです。

最近は夕飯を家内に頼んでいるので楽ですが前はこれがあったので、コンサルの仕事は全く出来ませんでした。

でも、歳のほうがダメージが大きいようで、疲れが取れず、思考能力は落ちる一方。
自宅でワープロに向かっても頭が働かないので文章が書けず、試行錯誤に陥っています。

もう、若い世代に仕事を譲るべきなのかもしれませんが、客先の指名なので今回だけはやるつもり。
同僚が手伝ってくれているので、何とかこのコンサル費用だけ稼いだら、もう後は年寄り用の楽な仕事だけにします。

お金も大事だけど、それを稼ぐだけの能力がもうないとわかりました。
歳を取るのは怖いことです。

今日は愚痴の私信になってしまいました。
でも、9月にスイスへなんとしても家内を連れて行きたいので今は頑張るしかありません。
井上・ALOHAさんなどのメールを見ていると皆さん元気で脳も活発に働いているようで羨ましい限り。
その内に、カナダこのごろ用のメールを打てるようにします。
貴兄もくれぐれも小生のようにならないよう、ゆったり仕事に留めてください。   

Friday, July 22, 2005

お気をつけて

私なんかの想像を絶するお忙しさの様ですね。 頭の中が交通渋滞でいっぱいとは!!
私の方も交通渋滞ですが、こちらはノロノロ運転の惹き起こす障害。 
9月はスイスですか。 いいですね。 私は夕食を食べながら、よく「トラベル・ヨーロッパ」という番組をみるのですが、曾遊の地イングランドを別にすれば、一番興味深いのは、スイスの村をめぐる旅です。 安い民宿を番組の中でよく紹介しているのですが、楽しみは、そういう民宿で出会う人との触れあいと、手作りの料理の味のようですね。 画面には、「何でもみてやろう」風の若い日本人男女の横顔も時々出てきますが、そのうち中国の若い人達がとってかわる日がやってくるのでは。
締め切りのきつい仕事はたいへんですね。 ご同情申し上げます。 お大事に。

Thursday, July 21, 2005

てんてこ舞い(05-7-21)

また、私信です。
家事と仕事に追われ連日頭の中はパニック、
それに杉さんの嬉しい便りもあり、先日は同じメールを何度も打ったり、廃棄するのを送信したり、我ながら情けなくなりました。

昨日、能力の限界を感じ、客先へのプレゼンテイションを8月1週まで延ばすことにし、少し、気分を落ち着かせているところです。

失敗した成果主義中心の人事制度を直すのは例が殆どなく、失敗例の富士通も部分的手直しだけで、この失敗内容を本にし、ベストセラーにした本人は、富士通を退職したそうですから、お手本もなく、友人と孤独な作業を続けています

人事制度は勿論いろいろあるのですが、一旦成果主義に走った会社の面子を潰さないようにしながら新しい制度を作るのが、こんなに難しいとは、予測できませんでした。

週末はフィットネスクラブでも行って少し気分転換してまた来週頑張るつもり。

貴兄がモントリオールへ行く前に少しまともなメールを送りたいと思ってはいますが、自信はありません。

涼しいヴァンクーバーから暑いモントリオールへ行くのも大変でしょう。眼をいたわってください そのため、24Pに上げていますがー。

小生のほうは家内が小康状態を保ってくれているので何とか頑張れそう。
来週、またメールを出すつもり。
自分のことばかりで、ごめんなさい。  

Tuesday, July 19, 2005

無題

杉さんは、そんなにお忙しいのですか。 我々よりも年長なのでしょうが、「嵐のような忙しさ」とは、その激しさは想像も及びません。
バンクーバーは、台風も吹かず、ハリケーンも吹かず、平和ボケ、気象ボケの部類にはいるのでしょう。

Monday, July 18, 2005

阿部さんへの返信

それはよかった。 無事届いて。 安心しました。 実は、書留でお送りするつもりで郵便局へ持っていったのですが、局のカウンターに封筒を置いた途端、忘れてしまいました。 局を出てから 「あっ、しまった」 と思ったのですが、後の祭り。 ですから、昨晩11時にメールをいただいて、喜んでいます。
封筒を折り曲げられないように台紙を用意したのも、ALOHAさんの心遣いです。
さて、ALOHAさんの名前ですが、「杉浦」 という名には心当たりがありません。 彼、覆面をかぶる前に、もっと別な名前でも使っていたのかなあ?  半分明かすと、ALOHA163 の 163 は 「いちろうさん」 です。 そのうち判明するでしょう。 井上さんが来られた時も、彼、みずから実名を名乗って、会いに行ったのですから。
それにしても、杉さんから、2時間後に返信があったとはすごい!  太平洋時間の真夜中を過ぎたところですからね。 深夜でもメールをチェックしておられたのですね。 さすが太平洋の架け橋となる人。 感服しました。

杉葉子さんをめぐって(05-7-18)

本日、杉葉子さんのサインを受け取りました。
大感激です!折れもせずバッチリです
しかも、サインが写真とおととしのパンフの2枚とは、びっくり!パンフで東京に来られてパーテイがあったことを知り、びっくり!日米のかけはしの仕事を長くされているのですね。

早速、ALOHAさんと杉さんにお礼のメールを打ちます。お礼に拙作を送りますが、ALOHAさんは住所がわからないので、とりあえず、メールだけにしておきます。

本来なら手紙を出すべきところ、なるべく早くこの感激を伝えたいのと、この話がメールで始まったことから、メールを使うことにしました。

井上氏もこの話が意外な形で実を結んだことを喜んでおられましたが、読者はみなさん意外な展開にびっくりされると思います。

今仕事がバタバタしていて、ろくな文章も書けず申し訳なし。落ち着いたまた書きます。
なにしろ他人がやって失敗した成果主義の人事給与体系を全面改訂するという、今まで皆が成功しなかった作業を半年でやるので、頭の中がパンクしそうです。

ではまた、まずは御礼まで。

阿部基治
(2005/07/17受)

* * * * *


阿部 大兄
無事御入手頂けた様子にて御同慶の至り。
今後共宜敷く。
ALOHA
ps 小生は重松彬さんの弟の重松和君と塾日吉高の二年の時同じクラスでした。(彼は鹿児島ラサール高校より編入して来ました)
このたび”カナダ此の頃”で大兄の思い出話を拝誦、小生の非常に親しいやはり塾員で後輩の従姉が杉サンなので大兄のMailのCopyを杉サンに送るよう依頼すると共にSignを取り付けるよう号令を掛けた次第。体育会は全て号令なのです。
お心遣い無き様。為念。
以上

* * * * *

ALOHAさんへ
杉葉子さんのサイン、受け取りました。 大感激です。 
まさか、あのメール1通がこんな形で花咲くとはーー   
56年前の青春がよみがえった感じがしました。
本当に、有難うございました。
杉さんにもお礼のメールを打ちます。本来なら、杉さんにはお手紙を出すべきところ、嬉しさを早く伝えようとメールにしました。お礼に杉さんに拙作を1冊送りますが、ALOHAさんにもここまで仲介の労をとっていただいたお礼をしなければならないのですが、住所もわからないので、まずはメールで厚くお礼を申し述べます。もし、気付で本をお送りできるところがあれば、拙作を送らせていただきます。
長生きしていると、こんな良いことにもめぐり合えるのだと、つくづく思いました。ALOHAさんのお陰です。
どうか、健康に留意されご活躍のほどお祈りしております。 そして、また、メルマガで楽しい、勉強になるコメントを読ませてください。
有難うございました。
阿部 基治

* * * * *


今、杉葉子さんからメールが届きました。
私のメールから僅か2時間あとです。
PC時代の凄さを感じさせます。

杉さんは、凄くお忙しいとのことで、10月頃に時間が空くのでゆっくりそのときにメールをいただけるとのこと、有難いことです。

なにか、50年以上前の話が現実になって、全てが若返った感じです。

いろいろお世話になりました。 感謝しております。

暑さを忘れた阿部より

* * * * *


阿部 さま
懐かしい昔の出来事の文を、拝読し 感慨に浸りました。

お話したいことなど、山のようにあるのですが、 お聞き下さいましたか、今嵐の真っ最中のような、重大な仕事に追われ、気もそぞろの状態で、10月がすぎれば、お役目も終わり人間並みな心もとり戻せるとおもいます。
今回は、そのような時ですので、お許しください。
とても感謝して居ります。
杉 葉子

* * * * *
abe wrote:
杉葉子様
突然のメールをお許しください。
今日、杉さんのサインを受け取りました、といえば判っていただけるかと思いますが、新宿高校におりまして、福家先生のお蔭で杉さんに学校にお越しいただいたときに正門までお迎えに伺った、阿部基治と申します。
今から、何ヶ月か前にカナダの友人のメルマガに、『青い山脈』の話を書いたのですが そのときに、杉葉子さんが新宿高校に見えたこと、当時、映画研究部員だった小生が正門までお迎えに出たこと、そして杉さんと逢えたことが「青春の輝き」であったことを、書いたのです。1949年、昭和24年の4月か5月の話です。
それが、読者の一人のALOHAさんの目にとまり、杉さんにそのメールを見せる話に発展してしまったわけです。
突然、50年以上前の話が出てきて、杉さんもさぞ、驚かれたことと思います。
福家先生が杉さんの上海時代の先生であったという偶然から、『青い山脈』を学校で試写会をする話まで発展して、杉さんが学校にお見えになり、今回はALOHAさんが(実は本名は小生知らないのです)偶然、小生のメールを見られた事から、こんな大事になってしまいました。 おさがわせしましたことは、深くお詫び申し上げます。
ただ、小生の昔の青春の輝きが、花を開いたことは確かです。しかも、大切な写真とパンフに2枚もサインしていただき、大感激です。杉さんにも、そしてALOHAさんにも厚く、御礼申し上げます。有難うございました。 昔はサインを頂きに行くということは、大変勇気のいることで、学校にお見えになったときも、サインのことなど、頭には浮かびませんでした。
福家先生は2001年9月に、お亡くなりになりました。 奥さまは東大泉の方でご健在と聞いております。
杉さんも、長い間日本の文化の伝え手としてご活躍のご様子。 素晴らしいことをなされておられる、と尊敬しております。一昨年の日本での会合にも是非、出席したかったと思っております。
サインの御礼にもなりませんが、小生、物書きの端くれなので、拙作を別便にて、送らせて頂きます。もともとは、放送作家だったので著作は素人ですが、放送はそのまま消えてしまうので 10年位前からノンフィクション小説を書いております。 もしお時間がありましたら、ご一読ください。
長々と書き連ねたこと、ご容赦ください。 手紙を出すべきところ、サインを頂き狂喜し、ALOHAさんからメールアドレスを教えていただいたので、厚かましくメールを送らせていただきました。ご無礼の段、お許しください。
どうか、健康に留意されお元気でお過ごしください。
阿部基治

杉葉子さんからメールきました(05-7-18,3am)

今、杉葉子さんからメールが届きました。
私のメールから僅か2時間あとです。
PC時代の凄さを感じさせます。

杉さんは、凄くお忙しいとのことで、10月頃に時間が空くのでゆっくりそのときにメールをいただけるとのこと、有難いことです。
ALOHAさんが杉浦さんということも判りました。

ALOHAさんの返事には名前も書かれていませんでしたが、杉さんの返事の中で書かれていました。

なにか、50年以上前の話が現実になって、全てが若返った感じです。

いろいろお世話になりました。
感謝しております。
          暑さを忘れた岡本より

有難うございました!(05-8-18,0;40)

岡本 大兄
無事御入手頂けた様子にて御同慶の至り。
今後共宜敷く。
ALOHA
ps 小生は重松彬さんの弟の重松和君と塾日吉高の二年の時同じクラスでした。(彼は鹿児島ラサール高校より編入して来ました)
このたび”カナダ此の頃”で大兄の思い出話を拝誦、小生の非常に親しいやはり塾員で後輩の従姉が杉サンなので大兄のMailのCopyを杉サンに送るよう依頼すると共にSignを取り付けるよう号令を掛けた次第。体育会は全て号令なのです。
お心遣い無き様。為念。
以上
abe wrote:
ALOHAさんへ
杉葉子さんのサイン、重松経由で受け取りました。
大感激です。
まさか、あのメール1通がこんな形で花咲くとはーー
56年前の青春がよみがえった感じがしました。本当に、有難うございました。
杉さんと重松にもお礼のメールを打ちます。

本来なら、杉さんにはお手紙を出すべきところ、嬉しさを早く伝えようとメールに
しました。
お礼に杉さんに拙作を1冊送りますが、ALOHAさんにもここまで仲介の労をとって
いただいたお礼をしなければならないのですが、住所もわからないので、まずは
メールで厚くお礼を申し述べます。

もし、気付で本をお送りできるところがあれば、拙作を送らせていただきます。
長生きしていると、こんな良いことにもめぐり合えるのだと、つくづく思いました。
ALOHAさんのお陰です。

どうか、健康に留意されご活躍のほどお祈りしております。
そして、また、重松のメルマガで楽しい、勉強になるコメントを読ませてください。
有難うございました。
                        阿部 基治(あべ もとはる)
e-mail abe-bb@mx10.ttcn.ne.jp

サイン受け取りました!

本日、杉葉子さんのサインを受け取りました。
大感激です!折れもせずバッチリです
しかも、サインが写真とおととしのパンフの2枚とは、びっくり!パンフで東京に来られてパーテイがあったことを知り、びっくり!日米のかけはしの仕事を長くされているのですね。

早速、ALOHAさんと杉さんにお礼のメールを打ちます。お礼に拙作を送りますが、ALOHAさんは住所がわからないので、とりあえず、メールだけにしておきます。

本来なら手紙を出すべきところ、なるべく早くこの感激を伝えたいのと、この話がメールで始まったことから、メールを使うことにしました。

井上氏もこの話が意外な形で実を結んだことを喜んでおられましたが、読者はみなさん意外な展開にびっくりされると思います。

今仕事がバタバタしていて、ろくな文章も書けず申し訳なし。落ち着いたまた書きます。
なにしろ他人がやって失敗した成果主義の人事給与体系を全面改訂するという、今まで皆が成功しなかった作業を半年でやるので、頭の中がパンクしそうです。

ではまた、まずは御礼まで。

Friday, July 15, 2005

会長の肩書き(05-7-14)

お忙しいでしょう。 このメールは、単に ALOHA さんのメールの抜書きですから、ご返事はいりません。
ALOHA さんは、別に、超有名人ではないのですが、どうして覆面紳士を装うのかなあ? 幼稚舎上がりの慶應ボーイとしては、確かに型破りですが、世界をまたに飛び歩く国際浪人です。 井上さんにも、文面では ALOHA で通していたのに、井上さんがバンクーバーの郊外のホテルに滞在と知ると、道に迷いながらそのホテルまで長時間ドライブして行って、3時間会ってきたというのですから、こっちが驚きました。  
彼のメッセージは次のとおりです。
= = = = = = = = = = == = = =
阿部さんのMail拝誦致しました。此処からのMail はいつも時間が掛かるようです。日本からですと3-4日で到着するのですが。其のうち受け取られれば又Mailが来るのでは。 NHKの放送で思い出しましたが NHKの経営委員長をお袋のすぐ下の弟がやっていた事を思い出しました。其の叔父も数年前無くなりましたがやはり塾の出身でありました。確か島と言うNHKの会長の首を切りました。公の米国出張に女を連れて行った事が理由でした。 (以上)
= = = = = = = == === = = =
そういえば、そんな事件もありましたね。 島圭次(?)さんといいましたか。 NHKからRadio Canada International に研修にきていた若い長身の職員が、何かの話で島さんの名前が出た時、「エッ、あのゲジゲジがですか?」と縁無し眼鏡の奥の目を険しくし顔色を変えましたから、社内でも余程の評判だったのでしょう。
BBCでは、NHKの経営委員長に相等する人のことを「CHAIMAN」と呼びます。 会長に相等する人は、DG、DIRECTOR GENERALでした。 PRESIDENT という肩書きはなかったようです。 ところがNHKに行くと、皆さん「DIRECTOR GENERAL」。 つまり局長はDGというわけです。 英国人も、最初何人も「会長」がいるNHKには戸惑ったことでしょう。
人事の権威である貴兄にこういうことを言うのは釈迦に説法ですが、イギリスの会社では MANAGING DIRECTOR が社長。 RESIDENT というのはアメリカ流。 ところが日本からやってくるビジネスマンは、みな 「MANAGING DIRECTOR」という名刺を出す。 つまり常務、専務なんですね。 イギリス側ではてっきり 社長」と思って話をすると、「いや、それは社に戻って検討してからでないと」とノラリクラリ。  やがて、「ナーンだ。 MANAGING DIRECTOR ではなくて MANAGER DIRECTOR なんだ」 と納得する始末。
日本語では、はっきりものを言うことを嫌いますからね。 私もですからいつも 「~ですが・・・」 と、センテンスの終わりに 「・・・, BUT」をつける。 すると、私はネビュラスな男。 つまり煮え切らない男ということになり、なかなか尊敬してもらえない。 日本人の間でも尊敬されませんでしたが・・・, BUT。

Wednesday, July 13, 2005

有難う(05-7-10)

メール拝見、アメリカはいかがでしたか?ロンドンテロもあり空港は大変だったと思います。

ビデオ、有難うございました。2回見ましたが、小生の貧弱な語学力では理解できないところが多く、また、トライしてみます。
ただ、天皇を正面から捉えている点に日本の物との違いを大きく感じました。
日本では天皇犯罪人説を恐れるのか、東条が主体で、天皇は御前会議を含め、常に戦争反対を唱えていた人物として描かれています。
阿南陸相もこちらでは東条の影です。

小生、大東亜戦争は零戦に始まりB29で終わったという「飛行機戦争」と見ていましたが、このビデオはまさに最後を立証してくれたみたいで、この点は小生同感しました。

マッカーサーは死ぬまで、12月8日の比島空襲は空母からなされたと思っていたようですが、ゼロ戦の脚が長く、台湾から爆撃機を援護して比島まで行けたため、山本五十六は空母6隻をハワイに振り向けられ、比島に空母を使わずに済んだのは、有名な話です。
小生は、ゼロ戦がなかったらハワイ攻撃も、大東亜戦争も起きなかったのではないかと、今も考えています。

閑話休題
杉葉子さんの話し、本当に嬉しくALOHAさんのメールを拝見しました。
覚えていてくださったのには、本当に感激。何十年も若返った気がしました。
ホテルは、オオタニの方だったのですね。違うホテルの情報を、誰から聞いたか覚えていませんが、当時ALOHAさんを知っていれば杉さんに逢えたかも知れませんね。

それにしても、貴兄のメルマガのお陰で、素晴らしい青春の輝きの花がこの歳になって咲き、本当に感謝しています。
ALOHAさんと貴兄に改めて御礼を言います。

機会があったら、杉葉子さんにお元気でお過ごしください、とお伝えください。皆、青春時代があり、そして苦労し、老いるのですが、良い思い出はそのままにそっとしておきましょう。

カナダこのごろに記事を載せていただくようになって、小生もメールのなかみを考えるようになりました。
ただ、自分の考えと異なることもあり、なかなか難しいものです。

「ごきげんよう」の言葉を取り上げたときは、「夢で逢いましょう」の中島弘子さんのことにつながるとよんだのですが、やはり、カナダではこの話題は出てこなかったですね。
中島さんが首を少しかしげて「ごきげんよう」と言うラストシーンはかなり、有名だったのですが、カナダでは無理でした。

また、9月には考えて送ります。なお、小生7月に入って大きな人事給与制度改革の話を受けざるを得なくなり、しばらく仕事で多忙になりそうです。9月13日から15日間スイスに行くことが決まっているので、夏休み返上で仕事をする予定。
この歳で仕事が来るのもいいのか悪いのか判りませんが、長年付き合っている会社なので、断りきれず、仲間のコンサルを頼んで二人でするつもりです。

こんな状態ですが、今日はビデオとALOHAさんのメールの御礼まで