Friday, February 24, 2006

よしなし言の2 (06-02-24)[s]

皇太子がこちらにみえるのですか。 全然知りませんでした。 私が知らないのは、新聞を読まない、イヤ読めないからですが。 ラジオでもまだ耳にキャッチしていません。

バンクーバーで、領事館がつかんでいる日系人の数は、一万五千人程度のようですが、そのほかに、短期滞在のワーキングホリデーや、英語の勉強に短期留学している人達も含めれば、4~5万に達するだろうと、聞きました。

その人達は、皇太子を歓迎するのかな?  日本人コミュニティはまとまりが悪いと言われますが、その原因は、私のような、愛国心の薄い、自己中心のエゴイストが結構いるからでしょう。

しかし、皇太子ご自身は、立派な方なんでしょうね。 ご両親が立派で、祖父にあたる方々も英邁でしたから。  私も街に出たついでに、黒いリムジンの行列を見かけたら、立ち止まって見送るでしょう。

ロンドンのオックスフォードストリートだったでしょうか。 留学中の皇太子が歩いておられるのをみて、日本女性、「アーラ、そっくり」と奇声。 「本物ですよ」 「ウッソオー」というやりとりがあったとは、作り話ですか。

千葉のお住いも、リストラ的変遷に相当しますか。 前にも申し上げたように、カナダのクレチアン首相も、総理公邸を出て、2ベッドルームのコンドミニアムに移りました。 

それにくらべると、私如き賎民が1ベッドルームというのは、分に過ぎたもの。 いや、私ののは 1DKというところでしょう。 

NHKの若い人で、まだ会ったことのない人ですが、時々メールを呉れる人がいます。 ロートル爺さんに声を架けてくださるので光栄のいたり。 まだ独身貴族の様子ですが、その人も、「起きて半畳、寝て一畳」で十分という便りでした。 東京勤務で住居を確保するのは、たいへんなんでしょうね。 

私の中学時代は、やけのが原に建ったバラックで、雑魚寝だったので、今の若い人のプライバシー論議には、これもアレルギーを感じます。

それにしても、NHKのセンスのあるディレクター達でも、海外の移民というと、「故国に恋い焦がれている」という思い込みにとらわれているようですね。 たいていは、日本での落ちこぼれ組。 移民よりも棄民としての気持が強いんですがね。 それと、今年も、「カナダの新春風景を」という申し入れがありました。 つむじ曲がりの私は「ご遠慮いたします」と逃げました。 どうして、世界中の人が、1月1日に、「門松立てて門毎に」祝うものと、これまた思い込んでいらっしゃるのでしょうかね。  昭和一桁の人ならともかく、放送局のディレクター達も皆さん平成で、グローバルな感覚が鋭いと思うのですが。 皆、大晦日は祝いますが、新年は、中国、ユダヤ、アラブ、それぞれ違う日に盛大に祝うようです。

よしなし言(06-02-24)[s]

有名な「肉体の悪魔」はついぞ観る機会を失いましたが、今チャンスがあれば観たいものですね。 ただこちらのビデオ店で不自由なのは、英語の題名がわからないと、雲を掴むようなことになります。  爽やかなジェラールフィリップにはとうとうお目見えすることなく、年をとってしまいました。 レイモンラディゲには、当時高校生だった弟が心酔していましたが、今度会ったら、その思い出を訊いてみましょう。

私の専攻でしたらどなたにお話しくださっても結構です。 私は口が堅いのではなくて、その反対です。 実は大事なことでも、思慮もなく、ペラペラお喋りするのです。 危ない危ない。  かねて言葉に不自由している日常生活ですから、たまに日本語が通じると、頭より先に舌が動いて、心にもないことが、つい口をついて出てくるのです。 ですから、今の世捨て人の境遇は、失言のバランスを多少取り戻すことになって、助かっているのです。

私が慶應だというと、意外な顔をする人がいます。 私があまり慶應的でないからでしょう。 かといって、早稲田のあのトンガリ帽子が似合うとも思えないのですが。 

私の生涯は、何事にも、正面から取組もうとせず、斜に構えて、氷の上を滑ってきました。 文学部を受けたのは数学の試験が無かった為。 それでも一浪してようやく入れた時も、今度は横文字の負担を少なくしたいと、東洋史にしました。 別に歴史が好きだったわけではなく、学校の先生になるのなら、歴史がよかろうと、アサハカな考えからです。 英数はダメでしたが、漢文にはあまり抵抗を感じませんでした。 いずれ大学院に行って教職課程もとりたいと思ったのですが、同和火災が無試験で採ってくれるというので、教師になる前に2~3年浮世の経験をするのもよいだろうと、応じたのが、大きな誤りでした。 BBCに行く時も、CBCに雇われる時も、無競争の無試験。 東洋史の松本信広先生は、ちゃんと私のぐうたらな性格を見抜いておられたのですね。 先生に嫌われていたので、大学院も無理だったかもしれません。 あとでラジオのぬるま湯に浸かったのはよいが、出るに出られず、定年となって放り出されました。

さて、人種偏見ですが、私が鈍感だったせいもあるでしょう。 むしろイヤな思いをしたのは、日本人の方が圧倒的に多いです。 これも一種の人種偏見かな?  勿論立派な、尊敬すべき人格者も沢山存じ上げていますが、それは少数派。 私は、いつもマイノリティの立場にいて、まわりにプレッシャーが存在する環境が、カンファタブルなのです。 

大会社や銀行に勤める、威張った日本人や、海外でウロウロする薄汚れた唐人お吉をみると、アレルギーを覚えます。 ということは私が病気ということですが、なかなか治りません。 

生涯で一番快適だった職場は、CBCのフランス語テレビジョンのシネマテック。 私はフランス語ができませんからパントマイムでしたが、彼らは、「ムッシューアキラ、ノットウルジェント、トゥモロウ」と言ってくれる。 彼らはフランコフォンですが、ジェントルマンでした。

逆に地獄ではないが煉獄より悪かったのが、モントリオールで職場が同じだった日本人の女。 盗みは働く、嘘はつく。 そこまでは私もある程度同罪ですが、東京外語の出だというのに、英語は日本の中学生なみ。 仕事はしない、できない。 それでいて高慢、傲慢、強欲の権化。 骨ばった牛がクシャミしたような顔で、その50女が部屋に入ってくると、鼻をつまみたくなりました。 そんなこともあって、私は、臨床心理学者、精神科医のご厄介になる羽目となったのですが、眉の間の縦皺も深くなり、未だに思い出しては悪夢にアタックされるという情けない有様です。

Thursday, February 23, 2006

メダル取った!(06-02-23)[o]

まさかの金メダル! 相手の米・ロシヤが都合よくこけてくれて 金になったのにはびっくり。

世の中何が起きるか、大東亜戦争で この2国がこけたら凄いことになったのに?!

4年後は 貴地で 浅田真央や荒川を 貴兄はナマで見れるでしょう。 羨ましい限りです。

もっとも この女子フィギュア-は 大変人気があって トリノでも 切符が完売され、練習風景を見るのに 20ユーロ出すお客が続出したそうですから、日本から近いバンクーバーは 大変な人が集まることでしょう。

NHKは繰り返し、繰り返し、荒川のSP,FREEの演技と授賞式の模様を流し、恐らく今夜までこの映像を何十回も見せられることでしょう。

小生 日本は 今回メダル無しと見ていたので、伊藤みどり以来のこの快挙には はっきり言って驚きました。

それと同時に あの伊藤みどりが 本人が言っているように、チビで、ブスで、短足だったのに 銀メダルを取ったことが いかに偉かったかを 認識しました。

荒川は身長もあり(165cm)、時代が日本人の体格をここまで変えたことに驚きます。 それに 努力が最後に栄光を勝ち取らせることを再確認しました。 2004年、世界で9位だった荒川が あの表現力を手にするまでの努力は 並々ならぬものがあったでしょう。

日本中が この金メダルで どれだけ勇気付けられたか、喜びを分かち合いたい気持ちでいっぱいです。

日曜から水戸の偕楽園に梅を見に行って 温泉につかってきます。 あんこう鍋が食べたいと家内が言うので茨城にしました。 あまり行かないところなので ゆっくり回ってきます。

3月は井上氏と会う予定になっていますが、今度は3回目ですから いろいろな話が出ることでしょう。

ただ、前回 貴兄が東洋史専攻と言ったら 井上氏が知らなかったので、今後 小生と貴兄に関することは こちらから言わないように気をつけます。

貴兄が口が固いのは良く知っていますが、専攻くらいは話した事があると 小生が勝手に思い込んだが失敗でした。 以後、気をつけます。

このところ、時間があると またビデオを引っ張り出して 昔の映画を見ています。

今まで誰にも言っていませんが、小生の一番好きな映画は「肉体の悪魔」です。

1947年製作 クロード・オオタン=ララ監督、ジェラール・フィリップ、ミッシェリーヌ・プレール主演の
あのレイモン・ラデイゲの原作の映画化です。

こんな不倫映画が好きというと 笑われそうで人に言えないのですが、あの高校生の ひたむきで、純粋?ともいえる恋愛感情の凄さに 惹かれるのです。

ここには 青春そのもの、若さが満ち満ちていて 何回も見ます。気分が落ち込んでいるときに見ると なんとなく涙が出て、少しすっきりするのです。

ジェラ-ル・フィリップが怒っているシーンを見ていると、年を取って怒りっぽくなるのと、若さで怒るのとは こんなに違うのかとも思います。

好きな映画を1本選ぶとなると かなり難しく、ミュージカル・戦争・アニメなど ジャンル別なら かなり
選びやすいのですが、ただ1本となると大変。

でも、このときのオオタン=ララ監督は ほかの作品 「乙女の星」「可愛い悪魔」などと比べると 全く出来が違います。

シナリオが良かったのか この作品に思い入れがあったのか知りませんが、「草原の輝き」より もっと純粋な高校生の感情が よく描かれていると思っています。

機会があれば御覧下さい。でも、眼を無理するのなら止めてください。

この「カナダこのごろ」の整理、配信だけでも相当負担がかかっていると思いますので、ご注意を。

旅から帰ったらまたメールします。

皇太子は?(06-02-23)[o]

皇太子がバンクーバーへ寄るようですが、そちらはもうその準備に躍起になっている人もいるのでしょうね。
黄色いイエロー・ジャップの皇太子でも、日本の皇室となると 英国同様のカナダはかなり神経を使うと思うのですが 如何でしょうか?

貴兄も長年海外にいると 人種問題は避けてとうれかったと思いますが、今まで伺った範囲では あまりいやな目に遭わなかったようで よかったですね。 小生など 僅か四十数カ国をまわって それこそ南米、アフリカ、欧州と 何回も遭遇し、差別を本に書いたので その報いがきたのかと思ったくらいです。

貴兄の書かれた「招かざる客」のキャサリン・ヘップバーンとシドニィ・ボアチエのやり取りは 先日、ヘップバーン特集で見て また思いを新たにしていたので、田園調布の話を聞いて驚きました。

人間というのは 自分が他人より偉くないと満足しないのですかね。

小生 家内の看病で 浦安の海の見える街から ここに引越し、周りから見たら落ちぶれたのでしょうが、自分では全く気になりません。

家内はかなりショックを受けたようですが、これでなければ生活できないと言ったら やっと理解したようです。

それでも 小生が 赤字が凄くて引っ越したと友人などに言うと いやな顔をしますから、見栄が残っているのでしょう。 友達には いくら説明しても 理解するのは 金がないということなのに、人間は見栄をはり、威張りたいものなのでしょう。

小生はこういうことに無頓着なのか、気にしない性格なので 全く気にしません。

それより 家内が1日も早く治ってくれるのが先決です。

このところ家内の様子を見ていて あまり調子が良くなさそうなので、週末は気分転換に どこかへ連れ出すつもりです。
温泉にでも入って、美味しい物を食べさせれば かなり違うのです。

仕事で少し稼ぐお金がこれに役立つのです。

小生の健康の許す限り、この手でごまかすつもり。

ただ、軽自動車は音がうるさく、長距離はきついので 関東地区だけです。 1日200㌔が限界です。 前なら、300は行けたのですがー。

このところ日本は 灯油の値段が去年の5割増くらい高く、ガソリンの値上がりどころではありません。 ガソリン 1L 115円、灯油 1L 69円がこのあたりの相場ですが これでも東京に比べると かなり安いようです

。暖房を全部灯油に頼っている小生にとっては 今年はきつい冬でした。

もう直ぐ3月、春を待つのみ。

Sunday, February 19, 2006

カンフル剤は無理(06-02-19)[o]

小生の拙いメールがカンフル注射などと言われると恥ずかしくてとても書けません。最近の文章を見てお気づきのように文章作成能力の衰え著しく、こんな短文でも書けないのです。
せめて、まだあいつも生きているか、というくらいに思って読んでください。
3冊目は遠くにありて思うもの、です。

貴兄の食欲までの衰えにはまだ少し時間があるらしく、小生は生きているうちはおいしいものを食べたいと思っています。
年がまだ72歳ですからその分若いのかも。

これで色気がなくなると男としてお終いと言われており、そこを食い止めるのが大変です。
昨年亡くなった親友は最後までバイヤグラで頑張ったようですが、そこまでする勇気も、相手もいません。
友人は病院に夜、こっそり相手を呼んでいたようですが、あと余命××と言われるとそういう感情が湧くのかもしれません。
彼は宗教はどうでもいいや、と言っていましたが葬式は先祖からの日蓮宗でした。

キリスト教が布教に成功できるのは、文化と歴史が浅いところだと本で読んだことがあります。 日本より韓国の方がクリスチャンが多いのはそのせいかと思った事がありました。 アマゾンの奥などで教会を見るのは正にこのことを言っているのかも知れません。

小生はもう、どんな宗教にも関心なく、自分しか信じられなくなっています。 この苦しい何年間も 自分でやらねば誰もやってくれるわけはなく、他人や神仏には頼ろうとは思いませんでした。

先週ある局で、キャサリン・ヘプバーンの特集があり久しぶりに「旅情」を見ました。 何回見ても良い映画です。
デヴィド・リーン監督も小生のお気に入りです。

この映画の中で、ヘプバーンが 古道具屋を訪ねて 8ミリカメラを回し、後退して運河に落ちる有名なシーンがありますが、小生最初にヴェニスへ行ったときに、そのシーンを撮影した「セント・バルナバス広場」へ行ってみました。

ツアーだったので 朝5時に一人で起きて20分ほど歩いて行ったらーーー
広場は見つかりましたが、彼女が運河に落ちるあたりは なんとゴミ箱とごみの山!
あの名シーンがもろくも消えてしまいました。

映画の中では 2階建ての古道具屋が実際は平屋で、室内は別の場所かセット(タイトルではヴェニスで撮影とあるのでセットはなし?)で、撮ったのでしょうが、室内以外は全部、ロケで撮られたのがよく判りました。

でも、ヘップバーンがここを歩いたのかと 夢中で広場を歩き回りました。

この話は以前ある雑誌に投稿したのですが、ボツ。 そこで貴兄に投稿したわけです。

それから、この「旅情」の日本語版は見ないでください。
ラストシーンが本物と違うのです。

確かに 画面は ヘップバーンが列車の車窓から手を振り、ロッサノ・ブラッチが贈り物を渡すべく、必死にホームを走る あの名場面なのですが、日本語版は ブラッチが贈り物を渡せず、ホームに立ち止まるあたりから 突如として あの「SUMMER TIME]の主題曲が流れるのです。

本物は列車の車輪の音、汽笛の音そして主題曲とは全く違った音楽が ヘップバーンが大きく振る手を背景に流れます。

感情がそこにあります。

こんな違う処理をして リーン監督は何も文句を言わなかったのか不思議です。

イタリヤはいろいろ有名な映画が撮られており、ロケ地を探すのは楽しみです。  

ただ、コモ湖に行ったときに「舞踏会の手帳」をロケしたところに案内してくれと言ったら、添乗員も現地ガイドも 舞踏会の手帳を全く知らず、却ってこちらが困惑しました。
1937年(昭和12年)の映画ですから無理な話だったでしょう。

因みに、ロケに使われた ヴィラ・オルモはホテルとして健在です。

今日はいつものように下らぬ話を書きました。 トリノ五輪は興味なく、テレビは映画くらいしか見ないので、話題が無く申し訳なし。

早く寒さが退散してくれるといいですね。 冬は嫌いです。

Friday, February 17, 2006

Re:年かな?(06-02-17)[s]

年かな?  その問は、私自身に向かって発せられるものでもあります。  私の場合は、旅をしたいというアンビションがなくなってしまいました。 どこそこのレストランが美味いと聞いても、足を向ける気持が風前の蝋燭の火のように怪しくなってしまいました。 昔は、活字なら、電話帳でも喜んで開いたのに、その興味もなくなってしまったのも寂しいことです。 やはり年かな?

旅は、テレビの「トラベル・ヨーロッパ」を、アームチェアで眺めて満足する。 「ぶらり途中下車の旅」も、タレントさんが、「美味い、まろやか、奥が深い」などと、目を細めて板前さんを褒め上げるのを聞いていて、「そうでしょうね」と羨ましくは思うけれども、美味求真の旅に出かけたいという気はさらさら無くなった自分に気づくのも、考えてみれば寂しいものですね。 美人を見かけることがあっても、別な惑星の生物という感慨しかおこらない。 これも年でしょうね。

そういう自分に、今一番のカンフル注射が、貴兄からのメールです。  貴兄も心身ともにオーバーワークで一息つきたいこともあるでしょうが、そうした中をおして書いてくださったお便りは、こちらも心に沁みます。

放送作家の仕事というのは、そんなに苛酷なものだったのですか。  本当に送りっ放しなんですかねえ。  プロデューサーとかディレクターも、批判したり注文をつけたりするけれども、自分でそれ以上の作品をクリエートできるのでしょうかね。 出版社の編集者の中には、「原稿を読んでもらいたかったら菓子折りの一つでも下げてこい」という人もいるとか何かの本で読みましたが、カナダ大使館の日本人職員の中には、移住希望者が持ってきた菓子折りを机の引き出しに入れてみて、「入らんじゃないか」と一喝。 そこであらためて封筒を届けて、カナダ入国を果したという昔話を聞いたことがあります。 東京のカナダ大使館の日本人職員といえば、脱税が有名でしたからね。 カナダの新聞にも報道されていました。

日本でキリスト教が根付かないのは、日本人に「原罪」という意識がないからだと聞いたことがあります。 そういえば、我々日本人は一億総正直という神話が行きわたっていますからね。 おかげで、カナダでも、韓国の食料品店では、日本人の小切手なら受け取るが、「チャイニーズはお断り」と、差をつけます。 私なんか嘘つきなんですけどね。

年かな?(06-02-17)[o]

風邪で体力に全く自信が無くなり、毎日怠惰な生活を送っています。
昨年の疲れもあったのか何もする気が起きず、昨日も仕事を少ししたら あとは何も出来ません。家事が億劫になって困ります。

井上氏のエネルギシュな日々のエッセイを読むと、若いなと思います。
もっともあの文章は 秘書の方が打っていると聞いたので(これは秘密なのかな)それであれだけの量をこなせるのは、当然かも知れません。

それにしても 年を取ったなというのが実感、 旅も機中泊というのが出てくると行く気が起こりません。
家内に、病気が少しでも良くなったら どこかに連れて行くと約束したのですが、連れて行く小生が全く元気なく 出られません。

トリノでは 日本はメダルはあきらめた方がいいですね。 努力しないのに結果がついてくるはずがありません。
高橋尚子が半年も高地合宿して練習に励んだことは、アマチュアが多い選手に真似しろとは言えませんが、天才といわれてのぼせ上がる若手、 オリンピック近くに酒をのんで問題を起こす女性選手 、これを何故か持ち上げるマスコミ、 体重の制限すら覚えていないヴェテラン選手、 それをチェックもしないコーチ、 選手について行った役員は126人もいるのです。

これが全部税金ではわれわれは堪りません。まさか、ファーストクラスやビジネスクラスを使って行っているのではないでしょうね。

今後、五輪の出場回数を メダルをとっても最高3回、取れなければ2回までに制限し、黙々と努力している底辺の選手に出場の機会を与える。

原田のようなチョンボをしたものは 旅費を返還させる、 といった処置を講ずべきです。

よく選手が「試合を楽しむ」という表現が多く使われていますが、世界のオリンピックにいって「楽しむ」はありません。 メダルを取りに世界から集まるのです。 みんな必死なのです。 楽しんで勝てるわけがありません。
楽しむのは国内の試合くらいにして欲しい。

まー、また世界の金持ち日本が また金を無駄にばら撒きにきたと思われているでしょう。

努力が報われること、毎日が真剣勝負だということ、こんな簡単なことを教わっていないのですね。 信じられない日本の若者の集まりです。

小生、放送原稿を書いて局に持っていくと、プロデュ-サーやディレクターが読んで、ダメなら書き直しです。 OKが出るまで何回も書き 勿論、原稿料は最後の完成稿にしか出ません。 一晩に400字詰めで50枚以上書かされたこともあります。
そんな原稿でも放送されたら紙くずです。 それでも、必死に何百かの台本を書きました。 それしか放送作家として生きていく道はありません。
小生のようなぺーぺーにして然りです。

みんながそんな努力を当然としてやっているのですから、オリンピックに出るには 他人の2倍や3倍の努力は当たり前、 力いっぱいやっても負けるのが多いのは判りますが、実力も無いのに無理な技をする、 体調管理も出来ない、 など初歩的な失敗が多いから日本中が怒っているのです。

フィギュア-でメダルが一つも取れなかったら、一体どうなりますかね。
日本国内での、オリンピック出場のための標準記録、入賞記録など 全部見直さねばダメでしょう。

海を見ていますか? 海は心を安らげてくれます。 最近怒りっぽくなり、イライラばかりしているので、海が恋しいです。 散歩では是非海を眺め、眼の治療にしてください。

Thursday, February 09, 2006

気にしないでください(06-02-09)[o]

慶応のことは気にしなくてかまいません。
幹事はその仕事をしているだけですから、当然のことをしているだけです。

それよりも最近いい加減なことを平気です人間がおおくてまいります。
今日も、日本経団連の会議で平気で携帯電話を鳴らす人がいて唖然としました。
われわれと同じ年代でも平気な人がいるのです。
こうした人が今ごろの若い者がとか平気でご高説をのたまうのです。
今日はさすがに頭に来て事務局に恥ずかしいが注意をするよう頼みました。

もう、昔の日本は忘れた方がいいと思います。
小生も自分勝手に生きようと最近思い出したところです。

仕事、家事、その他もろもろでメールも出せず、申し訳ありません。
暫く、勘弁してください。

それにしても先日の杉野の話は後から読んで文章のひどさに我ながら驚きました。あんなひどい文書で著述業は名乗れません。ご免なさい。

では、また。

Wednesday, February 08, 2006

50周年の集まり(06-02-08)[s]

今日、慶應から、卒後50年の集まりの案内を受け取って、驚いています。 よく現住所を突き止めたものだと感心するのですが、唯一の心当たりは、貴兄が用意してくださった同窓会名簿。 あれしかソースは考えられません。 あのリストをつくるのにも、苦労なさったことでしょう。 私は、今度の引越しで、あの名簿が出てきて、懐かしく、暫く見入っていました。 ありがたいことです。 一緒に軍艦マーチの資料も現われました。

賀来兄がまだ仕事の上でも健在だった頃・・・、というとかなり昔になりますが、その頃呉れた便りの中で、F組の会に出た時のことが記してありました。 そして、出席していた皆さんは、それぞれ成功の道を歩み、順調な経歴を経てきた人達。 また女性も、そうしたサクセスフルな夫をもった、これまた幸せな人生を送っているレディたち。 そういう印象が述べてありました。

私は50年式典には勿論出席できませんが、仮に日本にいても、賀来兄の言うように、落ちこぼれ組の一人として、遠慮しただろうと思います。 2~3日前ALOHAさんが、「今夜三田会があるよ」と言っていましたが、別に世をはかなみ拗ねてみたいと思っているわけではありませんが、どうしても自然にそうなってしまう。 それで結構快適なんですから、世間の皆さんに大目にみてもらうしかありません。 お許しください。

ではまた。

Tuesday, February 07, 2006

どうもどうもすみません(06-02-07)[S]

早速お返事たまわり、ありがとうございました。 お忙しいところを、どうも余計なご心配をおかけして、すみません。

テレビの業界というのも、新陳代謝が速いのでしょうね。 NHKを退職して、 NHK人事部の斡旋で RADIO CANADA INTERNATIONAL に来た人が、「NHKも、使い捨て、切り捨て、掃き捨てですよ」と、吐きすてるように言っていたのを思い出します。

その人も、最初は2年の約束で来たのですが、いろいろ問題があって、1年限りということに話が変わったので、真っ青になりました。 そこへたまたまNHKの現業の幹部来訪。 その人の前で醜態を演じてもとRCIの幹部も考えたのでしょう。 一年でクビというのは取り下げて、無事2年勤めあげて帰っていきました。 

その人にとってはNHKだけが神様で、NHKに33年間勤めたというのが、何よりも自慢で生き甲斐。 そんな人でも、あんな台詞を吐かせるのですね。

正木兄は永塚兄と仲が良かったのですが、賀来兄とはソリが合わず。 私は東洋史で賀来兄に兄事していたので、正木先生とはどうも!  正木兄の祖父さんが上野の美術学校の有名な校長だったとか聞きましたが。 彼は文化放送に入ったように憶えているのですが、私が文化放送にちょっと出入りしたのは15年前。 その頃勿論正木兄らしい人影は見受けませんでした。 

時の流れは、すべてを影法師のようにはかないものにしてしまいますね。

残念ながら(06-02-06)[O]

メール拝見しました。

TVももう何年も仕事をしておらず、哲郎さんの役に立ちたい気持ちだけはありますが、ご紹介できるところがありません。
誠に申し訳ありませんが、お断りせざるを得ません。

最近のプロダクションはどんな形で動いているのか、実情がわかりません。

プロダクションの名前は差し上げた脚本家の名簿の後ろに載っていますが、コネが無くなってしまって、調べようが無いのです。
お役に立てず、申し訳なし。
哲郎さんががっかりされると思いますが、希望的観測はこの際すべきで無いので、冷たい返事を出すことをお許しください。

あと、コネとして使えるのは正木君だと思います。彼は広告業界ではかなり有名人でしたから、彼ならどこか知っているかもしれません。
正木 鞆彦address PEA00717@nifty.ne.jp
です。
名簿は彼も持っていますから、連絡すれば動いてくれるかもしれません。

こんな返事で勘弁してください。

Monday, February 06, 2006

お願いの件で恐縮ですが‘(06-02-06)[s]

風邪でお疲れのところを、杉野兵曹長や関中尉についての実録など、貴重な話題をお伝えいただき、有難うございました。 是非「カナダこのごろ」で紹介させていただきたいと思いますので、どうかお許しください。

岡本さん、いや阿部さん、まだテレビの業界とのコネクションがおありですか。 もし、どなたか、TVプロダクションの方で、CBCに、短いクリップを売ってもよいという方がおられましたら、お名前とアドレスをご紹介願えないものかと思うのです。

実は、息子の哲郎が、今ロスアンゼルスで、TV番組制作の下働きをしているのですが、その中で、30秒か、60秒、あるいは90秒のクリップを使わせていただき、そのコストはCBCに払わせるというものです。 したがって、日本のプロダクションとCBCの取引になるのでしょう。 こちらからの連絡は、英語になるでしょうから、英語に慣れておられる向きが応対してくださると、有難いのですが。

対象は 「ZED」 というポップカルチャーの番組で、毎晩深夜に長時間放送しています。 国際的にトレンディなTVシーンをモザイク風にモンタージュして、速いテンポで流しており、ロートルの私にはとてもついていけないのですが、新人類にはピッタリなんでしょう。

「もし・・・」 ということで、万が一ややこしいようでしたら、ご放念ください。

ではくれぐれも御身お大切に。

Sunday, February 05, 2006

冬と雨は苦手(06-02-05)[o]

まだ、雨模様の日が続いていますか?

なかなかメールが打てず申し訳なし。

相変わらず何を目的に生きているのかわからぬ日が続き、気がつけば、ボケ老人が何も出来ずぼさっとしているだけです。

風邪で1週間やられ、寝てもいられぬ性分から 家事をすれば、益々風邪はこじれて 未だに治りません。

医者にはとてもつらくて歩いてはいけず、39度の熱に浮かされていました。
恐らく、流感だったのでしょう。

寝ながら考えていて、人生、さま様で 思いがけぬ事が起きると思っていましたが、今日は 昨年、100年を迎えた日露戦争終結を機に、杉野兵曹長のことを書きましょう。

「杉野兵曹長は生きていた!」

あの日露戦争の中で、英雄となった方は何人かいますが、神田万世橋に銅像まで出来た[広瀬中佐と杉野兵曹長]の話は、歌にまで唄われて かなり有名です。

その杉野兵曹長が 実は生きていたという話が読売新聞のコラムに載ったのは、4~5年くらい前のことです。

小生その事実を確かめたくなり、その記事を書いた農民作家の遠山あきさんというかたに 人を介して手紙を出しました。

丁寧なご返事とともに、ある雑誌の記事のコピーが送られてきました。

平成8年[1996]1月1日付「海交会だより」[静岡県西部海交会]に、日露戦争秘話・杉野はいずこというタイトルで 元ハイラル陸軍特務機関員 横田正二氏の文が載っています。

旅順港口を閉鎖して、中のロシア太平洋艦隊を閉じ込めようという作戦は 三次まで行なわれ 失敗に終わりますが、その第二次に 広瀬中佐と杉野兵曹長は 福井丸で出かけます。

そして、自沈の爆破装置をセットして ボートに移乗するときに 杉野孫七兵曹長の姿が見えなくなります。

広瀬中佐が爆死する寸前まで「杉野はいずこ、杉野は居ずや」と探していた兵曹長は、その直前の爆発で海中に投げ出され 意識不明のところを、ロシア軍に助けられ、捕虜になっていたのです。

戦争が終わり、杉野は朝鮮の釜山まで戻って来て、奥さんに電報を打ち、呼び寄せようとしたのですが、電報を受け取った奥さんは びっくり、もう軍神にまでなっているのに 今更、と、叔父と釜山へ行き 事情を話して 帰国をあきらめさせ、杉野は そのまま満州へ 一人、旅だったのだそうです。

そして、大東亜戦争中、横田特務機関員は 満映の理事長だった甘粕正彦{あの大杉栄を殺した元陸軍将校}から紹介されて、満人の奥さんと暮らしていた杉野兵曹長と逢い、この話を聞かされたわけです。 当時、七十歳台に見えたそうです。

この話が事実かどうか 調べるつもりが 家内に倒れられ、出来ないときに、たまたま歴史家で、軍事史学会顧問の佐藤和夫氏と出会い、この話をしたら 1年以上かけて事実関係を調べ 「日本海海戦随想禄」という本に発表していただきました。

それによると、事実を知る直接の関係者はみんな他界され、確認は出来なかったようですが、林えいだいという作家が この生存説を追って 本を書いており{2002年新評論から出版}、わざわざこんな話を作る必要も無いことから、事実は有ったものと推定されています。

こんなこと一つでも、人間の人生の真実を追うために 沢山の人間が動いていることに驚きました。

大東亜戦争の最初の特攻隊の隊長だった関中尉も 19年10月に空母に突っ込んだあと、20年1月にマニラの近くで関氏と出遭ったという話が、宮本卿三著「隼のつばさ」に載っています。

艦爆の操縦士だった関中尉は、そのまま突っ込めず、ゼロ戦の爆弾を空母に命中させて撃沈し、近くの小島に不時着したと話したそうです。

人生の真実を知ることは難しい、と痛感する話です。

小生の人生も 他人に知られることはほとんど無いでしょうが、有名人の一生も 恐らく真実は誰にも掴めないでしょうね。
それが、人生なのかも知れません。

眼の事、事情わかりました。 鍼で少しでも良くなることを井上氏同様、願っています。

では、風邪を引かぬよう。お元気で