Sunday, January 29, 2006

ご無沙汰(06-01-29)[o]

メールを頂き、その返事を一生懸命打って送信しようと思ったら、どこかに消えてなくなっていました。
小生、PCの使い方が良く判っていないので時々こうしたミスがあります。
もし、突然そちらに送信されたらそのつもりで読んでください。
雨のこと、暖房費のこと、年金のこと、などなどいっぱい書いたのに、我ながら悲しくなります。

でも、お元気そうでなにより シルビアホテルで朝のモーニングコーヒー? など飲んでいますか?

新居は以前よりかなり狭くなられたようですから、外に出ての息抜きは必要条件です。

小生も10平方メートル狭くなり、昔の天井の低い団地サイズの住宅なので 移ったときは、気分的にも参りました。
家内にも影響すると思い、なるべく外に連れ出すようにしましたが 一戸建てと違い、圧迫感があると思います。
海岸で海を見るのがお勧めです。

仕事と体調不良で 今月はあっという間に過ぎました。 小生 のどが弱いので 始終風邪気味の状態が続き、なかなかすっきりしません。

ALOHA井上両氏と会ったときは 雪でのども湿り勝ちだったのか 快調で助かりました。
ALOHAさんは30日に貴地へ向かったはずです。 熟年トリオの話を聞いてみてください。

貴兄の眼の件は井上氏の言われた御茶ノ水の井上眼科はかなりの名医だと思います。
家内も先生の名前を知っていました。 日大でダメだったら かかるつもりがあったようです。

小生も白内障は少しづつは進行していると思います。 3月にもう一度検査がありますが、見ずらくなったら手術します。
白内障は即日退院できるほど手術も進歩していると聞いていますので、あまり心配はしていません。

アメリカでも日本でも 良い目医者を見つけて、もう一度読書の面白さなど取り戻してください。
人生、あと30年生きたくなりますよ!

小生、環境的にも 宗教に近づかなくしているので、今のところ どの宗教にも帰依するつもりは全くありません。
この天地を創造した何かがあることは理解しますが、それと神仏とが イコールにはならず、今までも自分の努力を自分で積み重ねて人生をおくってきたつもりです。
苦しいときの神頼みは小生には出来ませんでした。

今も最低線をキープしつつ、明日には家内を元気にすると 内心思っています。 奇跡が起きて 或る日突然全快することは、想像しても現実的でなく その意味では つまらぬ人生を送っているのかも知れませんね。

帰依できる人はそれなりに幸せを掴んでいる訳で、奥様も息子さんも充分満足されているはずです。

小生は無宗教で、遺骨は海に撒いてもらい、生きた痕跡を特に残すつもりもありません。
生きたのは自分が知っていれば充分です。

早く暖かな春が来るといいですね。 寒さは身にこたえます。 年ですかね、 自分では還暦から年を他人にも言わないようにしていますが、身体は 老化の一途を辿っているのでしょう。

暖かだった去年3月のヴァンクーバーを思い出します。

どうか貴兄も風邪など引かぬよう。また、逢える日がきっときますよ。       

お仕事たいへんでしょう(06-01-28)[s]

そちらは相変わらず寒さが厳しいのでしょうか。 お仕事の方は、順調に進んでいますか。

こちらも、記録的な雨天続きで、今日は、雨の中、先月まで住んでいた旧居に行って、家の状態をチェックしてきました。 幸い、泥棒が入った形跡もなく、屋根も雨漏りがしていないようなので、無事に30日帰国する家主に引き渡せればと願っています。

私の目のことを気にかけていただいてすみません。 引越しにかまけて、2ヶ月ばかり鍼を休んでしまったので、雨空のもとでは、気のせいか、いささかビジョンも退歩したように思います。 2月からでも、また治療してもらおうと考えています。 

まあ、いろいろと故障はありますが、このアパートで見かける人の中には、車椅子族も結構います。 年寄りだけでなく、比較的若い人で、両足の無い人もいて、こうした人達にくらべれば、自分なんか恵まれた方だと、自らを慰めています。 

「生きているうちは財産でも死ねばゴミ」とは、よい金言を教わりました。 その言葉に励まされて、階下のゴミ捨て場にセッセと通っています。 

ついでに、「死は天国への凱旋」というクリスチャンの信仰を私も確認したいのですが、どうも私は BIBLE CARRYING, CHURCH GOING, NON-BELIEVER といわれる似非クリスチャンのようで、まだ確信が持てないのです。 もう持ち時間も限られているのですから、ボツボツ LIFE AFTER DEATH についても考えてみなければいけないと思うのですが。

Saturday, January 21, 2006

三者会談実現の朗報感謝します(06-01-21)[s]

二二六事件を想起するような大雪の中での三者会談。 しかも場所は銀座の交詢社とは、舞台設定もドラマチック。 熟年名優トリオの話が盛り上がったとうかがい、私まで嬉しくなりました。

日本は裏日本、首都圏だけでなく、鹿児島でも大雪と聞いて、皆さんスノーブーツも持っていないいだろうし、スノータイヤも着けていないから、大変だったでしょう。 バンクーバーの住人も、雪には馴れていないので、混乱が生じます。 その点、隣のアルバータから以東、酷寒のケベックまで、雪との付き合い方がうまいので、車の運転も大胆です。

その雪と氷の中で、選挙戦は最後の追い込みですが、私は現住所に移ってまだ1ヶ月。 まだ名簿の登録もすんでいないので、当日の月曜には、旅券と免許証を持って、最寄の投票所を訪ねてみようと考えています。 

しかし、困ったことに、誰に投票したらいいのか、私には判らないのです。 自由党のマーティン首相が人柄も経験も手腕も長けていると思うのですが、12年続いた自由党政権そのものが失策続きです。 しかも61年昔、日系人の人権を不当に扱ったのが当時の自由党政府。 そんな古いことを持ち出さなくてもと言う声も聞こえてきそうですが、カナダの歴史の汚点であることは否めません。 そのあやまちを20年程前謝ったのが、進歩保守党政府。 しかし現在の保守党党首はまだ46才。 実戦の経験のない机上論のエコノミスト。 NDPという社会民主主義政党が3番目の勢力ですが、この政党の前身のCCFは、戦時中日系人をかばってくれた社会主義政党。 しかし最近の日本人はそういうことを知らないし、恩義も覚えないでしょう。 戦後の日系ビジネス社会は、エコノミックアニマルによる体制派。 したがって政権に就く可能性のないNDPには冷たいものと思われます。

余談ですが、昔パキスタンのブットーが日本のことをエコにミックアニマルと呼んで、日本人はそれを悪口と受け取りましたが、英語人に言わせれば、それは誤解であって、経済的能力に長けた人を意味する褒め言葉だと言うのです。 そういえば、ポリティカルアニマルというのは、政治感覚にすぐれた人を指しますからね。

今から13年前は、それまで長期政権だった進歩保守党が議会で過半数を占めていたのですが、1993年の総選挙では首相以下殆どが全滅。 再選されたのは1人だけ。 ですから、今度の月曜の夜の開票結果で、12年続いた自由党政権の行方がどうなるか。 カナダの有権者は、秋空の風に舞う羽のようなものですから、予想がつきません。保守党が大勝するだろうというのが、世論調査の託宣です。

やっと雨空が一時上がり、引っ越してから初めて、海風の吹く通りを歩きました。

三者会談やりました(06-01-21)[o]

昨日は関東は大雪で、東京でも10センチ近く積もりましたが、その中で予定どうり、三者会談を行ないました。

電車が遅れると倍の時間をみて出かけた小生は早く着きすぎて、ALOHAさんと30分くらい話していたところに井上氏到着。
ただ、彼は車で来たので飲めず、小生と午後から飲み続けていたALOHAさんはかなり良い気分で話し続け、井上氏は聞き役に回ってしまい、お気の毒でした。

それでも会った交洵社から井上氏の知っている寿司屋へ移動したあたりから、井上氏も大分話し出し、結局4時間も楽しく会談しました。

ALOHAさんが30日にヴァンクーバーへ帰られるそうですから、彼から直接話をお聞きください。

貴兄のお陰でなんともおもろい熟年三人組が出来上がり、感謝しております。ALOHA、井上氏とも凄い方で小生だけ見劣りします。
ただ、小生が一番年を取っているので、直ぐ「先輩!先輩!」と呼ばれるのには閉口。60から年を数えていない小生は年齢だけは苦手です。

三人で貴兄のことで意見が一致したのは、目の治療を貴地以外でもすべきとのこと。ALOHAさんの意見を是非、直接聞いてください。
これが三人の一番の願いです。

小生このところメールをうつこともサボりがちで申し訳なし。
落ち着いたら、またうちます。
今日は三者会談のご報告まで。

Wednesday, January 11, 2006

どうかお元気で(06-01-11)[s]

まったく、生きている間は財産でも、死んでしまえば屑というのは、名言ですね。 良い言葉を学びました。

裏日本の豪雪のニュースはこちらでも伝えられています。 たいへんでしょうが、70人も死者が出たというのには、こちらのニュースエージェンシーのデスクも驚いたのでしょう。

それにしても、気象台の予報では、この冬は暖冬だったのですか。 有難くない籤を引くときは、「気象台、気象台」とおまじないをかけた方がよさそうですね。

それにしても赤外線入りの温かい下着とは初耳です。 そのうち、空調つきの衣服も工夫されるでしょうね。

たしかに昭和16年、日米戦争の火蓋が切られる前は、鹿児島でも、海軍の飛行機が、よく急降下の訓練をしていました。 鹿児島湾の真ん中に櫻島をかかえた地形が、真珠湾を想定した訓練には適していたのでしょう。 艦載戦闘機の爆音は、勇ましくても、騒音とは思いませんでした。

申し上げるのが遅くなりましたが、新住所は下記の通りです。

#305, 1122 GILFORD STREET, VANCOUVER, BC, CANADA V6G 2P5

電話番号: 604-730-1342

こちらは24日続いて雨。 まだまだ数日は同じ雨模様が続きそうです。
貴兄も奥様もくれぐれもお大事に。

落ち着かれたようで一安心(06-01-10)[o]

今年の日本は暖冬の予想を見事に裏切り、連日の寒さで珍しく暖かい下着(遠赤外線入り)を買ったりしました。
北日本は4メーター近い積雪で日常の生活も雪下ろしが最優先のようです。
酷暑と厳冬が益々ひどくなるとの予想もあり、地球温暖化の影響はいろいろな面で出てくるのではないでしょうか。
アメリカは京都議定書の批准を拒否していますから、ハリケーンが来ようと寒かろうが文句は言えないのではないでしょうか。

引越しが一段落されたようで、まずは一安心ですね。人生のごみは小生も捨てるのに苦労しましたが、先行き短いので2~3年使わないものは みんな捨てるか上げる対象にしました。
死ねば財産も全てごみ、とは言いえて妙です。

ALOHAさんと21日に会う予定を立てました。井上氏にも連絡を取っていますので、三者会談が成立しそうです。
貴兄のお陰で素晴らしい方とめぐり合え、感謝しております。
ALOHAさんは夏にヴァンクーバーで会いましょうといっていますが、小生が家内の病状次第なので回答はしていません。
国内で少し様子を見て、大丈夫なら海外に小生も出たいのですが、年末の状況をみると、当分は家内も小生も海外は無理と思います。

棕櫚の話で思い出したのですが、貴兄の住んでおられた鹿児島は昭和16年は秋まで海軍航空隊の鹿児島湾の爆撃練習で連日、騒音に悩まされたのではないでしょうか。鹿屋、大分などに分散していた海軍航空隊は
真珠湾に見立てて、超低空の爆撃練習を繰り返したと沢山の本に書かれていますから、貴兄も記憶があるのではないでしょうか。

今年は転居通知を出していないこともあり、初めてF組の連中に年賀状を出すのを止めました。何かあれば、携帯電話もメールもある時代ですから 連絡には困らないはずなので、思い切って年賀状を少なくしました。
貴兄のところも住所不明でだしてありません。
落ち着いたら、住所をおしえてください。

新年は明けましたが、われわれにはただ、冥土への道が近くなっただけですね。
それでも、きつい老いの人生の中で、今年は穏やかに松の内が過ぎました。有難いことです。

Monday, January 09, 2006

何とか新年を迎えました(06-01-09)[s]

いよいよ今日からお仕事ですか。 ご苦労さまです。 

私の方は、引越しも大方終わりました。 このあと、大工さんに旧居の修繕を頼み、プロの掃除業者に来てもらってDEEP CLEANINGをしてもらい、カーペットクリイーナーにシャンプーをかけてもらいます。 そして古着が20箱ほどたまったので、古い家具とともに、救世軍みたいな所に引き取ってもらえればよし。 もしダメなら、塵芥処理場行きです。

「カナダこのごろ」も大分長い間休んでしまいました。 エンジンを再始動するのに、頭と指がポンコツなので、無事動きだすかどうか。 ニュースもひと月以上視聴していませんが、ぼつぼつルーティンに戻らなければと、新年を迎えて多少神妙なところです。

Monday, January 02, 2006

謹賀新年 玉文感謝(06-01-02)[s]

すばらしいお便りです。 私の鹿児島の自宅にも学校にも棕櫚の木はありましたが、そんな壮大なドラマがあったとは、知りませんでした。 そして、貴兄も、身辺に、その壮麗なタピストリーを織り成す縦糸横糸に係わり合いがあったというのですから、驚きです。

吉村昭という作家は、よく資料を突き詰めて、ノンフィクションに小説以上のドラマを構築される筆力をお持ちのようですね。

時々読者ラウンジに登場する、日暮里の猫屋敷こと山田耕嗣さんは、吉村邸の跡に建てられたマンションに住み、吉村家の親子とも交遊の間柄のようです。

私は浅学にして、遂に吉村作品を読まないうちに、眼疾にとらわれる身となってしまいましたが、引越し騒ぎのため、鍼は休んでいます。 また通おうと思っています。 鍼をやっている間は、気のせいか、木々の緑もみずみずしく見えたと思ったのですが、止めると、また白く濁ってきました。 

しかし、悪いのは眼と頭ぐらいで、まあ今のところ、血圧、血糖、コレステロールも、処方薬で抑え、無事越年しました。 2005年は、貴兄と再会、それからこうしたメールのやりとりのお蔭で、私の人生も豊かにふくらんできました。

明けましておめでとうございます(06-01-02)[o]

明けましておめでとうございます。新年という感じは余りありませんが、毎年、今年は良くなるかという期待感はあります。
貴兄の小学校の友人のように、或る日突然家内の病気が良くなったといった期待感です。

柳谷さんのメールで実家が棕櫚問屋だったと拝見し、小生の関心がもくもく頭を持ち上げました。
吉村昭の小説「戦艦武蔵」の最初に、この棕櫚の話が出てきます。
昭和12年の夏、九州から始まった棕櫚の買占めは四国から紀伊半島に達し、棕櫚が西日本から消えてしまうのです。
棕櫚の価格は勿論暴騰するのですが、現金決済のため買主不明。
そして、その棕櫚が戦艦武蔵を作る三菱重工長崎造船所に持ち込まれ 縄になわれ、武蔵の巨大な船体を隠すカーテン代わりに使われる~~
この小説の出だしが異様だったので、棕櫚のことを良く覚えていました。
当時、九州では棕櫚がかなり多く生産されていたと聞いています。
そして、棕櫚のお陰で武蔵は昭和17年に秘密裡に完成します。

武蔵は大和と同型艦で7万トンという世界最大の戦艦でしたが、昭和19年の秋に比島沖で米空軍の攻撃で撃沈されています。
今、日本では「男たちの大和」という映画が公開され、話題をよんでおり、尾道に作られたこの映画のオープンセットと呉に昨年出来た大和ミュジアム、そして江田島の旧海軍兵学校を見学するツアーが大人気だそうです。水上特攻で沈んだことが、大和の悲劇を強調してしまうのでしょうが、これに比べて、武蔵は意外に地味にしか取り扱われず、知られていません。航空機の時代の大型戦艦は、油を食う無駄な船として冷遇されていたわけです。不沈戦艦と言われながら2艦とも沈んでいますが、武蔵については「自分がキングストン弁を開かなかったら、武蔵は沈まなかった」と戦後も語り続けた海軍兵士がいたことが、本にも書かれています。
誤った情報で、自沈のための弁を開けと艦長が命令しただけだとの話を読んだことがあります。

昭和天皇もこの世界最大の戦艦を見られていますが、昭和18年に御覧になったのはこの「武蔵」でした。そしてそのときの二代目艦長は古村啓蔵大佐(のち少将)です。
実は、この古村少将の息子が小生の小学校から大学までの同期生だったのです。
武蔵が撃沈されたときは確か猪口艦長だったと思いますがこの古村艦長もついていない人で、「大和」の特攻のときは護衛の巡洋艦、駆逐艦をまとめる戦隊の司令長官で、乗艦を撃沈され海を漂い救出されていますが 確か以前にも乗艦を撃沈され、2回くらい海に投げ出されています。

この古村少将の奥さんが戦艦長門の初代艦長、飯田のみ太郎こと延太郎大佐の一人娘です。
そして、戦艦長門の最後の艦長が、日露戦争で旅順口閉塞作戦で広瀬中佐の部下だった杉野兵曹長の息子の杉野修一大佐です。
こういう風に海軍も娘を海軍の軍人に嫁がせたり、息子が海軍に入ったりして結構人財閥があるようです。
古村の息子は大学時代は、恰好良いすらっとした男でサッカーをやっていましたが常に2軍の面倒を見て地味な男でした。
彼がもしおふくろさんの事を教えてくれていたら、飯田のみ太郎のことなど書きたかったと思っています。今も年賀状くらいは交換していますが、彼は両親については全く口にしません。

杉野兵曹長が実は生きていたという話もあるのですが、これは長くなるので又の機会に譲ります。

棕櫚の話が、海軍四方山話になってしまいました。
正月の話としてはふさわしくないかも知れませんが、勘弁してください。

仕事が10日から始まるので、そろそろその準備にかからねばなりません。仕事をやめれば生活を切り詰めねばならず、つらいところです。
新住居の住み心地はいかが?一戸建てと違い、鍵一つで出かけられるところがアパート住まいの良いところだと思いますが。
今月中旬頃、ALOHAさんと井上氏に会えればと思っています。
貴兄も奥様も風邪など引かれぬよう注意してください。