Wednesday, January 31, 2007

無実の罪 (2007/01/25)[s]

イノさんへ

先日いただいたイノさんのエッセーには、刑期を終えた人達の中に、あらためて冤罪を主張する人が多いということが記載されていました。 そして、そういったケースの殆んどは「記憶の書き換え」によるものではないかというご指摘を拝読しました。 たしかにそういうことも多々あるでしょう。 

カナダであったケースですが、里親に育てられた兄妹が、里親に性的乱暴をされたと言い出し、育ての親を地獄に陥れたことがありました。 少年少女の言葉をソーシャルワーカーや警察は疑いもなく信じたのですね。 しかし成人してから、その兄妹は前言をひるがえし、あれはつくりごとであったことを告白しました。

カナダのメディアが伝えるところによると、無実の人を、警察や検察が、ジャンバルジャンを追い詰めたジャベールのように、使命感をもって、証拠不十分のまま、有罪におとしいれることが珍しくありません。 そうした犠牲者が、DNAその他の新しい証拠で無実であることが証明されても、頑なに自分の誤ちを認めようとしない元警官の例がよく伝えられます。 

ごく最近のことですが、1959年に、当時14才だった男性が、殺人罪に問われて、絞首刑の判決を受けました。 幸い執行されなかったからよかったものの、今になって無実が証明され、審理再開の運びとなったことが報じられています。 しかし検察は50年前の事件の再審に抵抗しているということもあわせて伝えられています。 
 
カナダの司法制度は世界の中ではいい方でしょう。 それでもパーフェクトとは言えません。被疑者の多くが先住民や有色人種であるということからしても、警察も最初から偏見を持って事件の捜査に当っているのではないかと問題視されています。 

被疑者の多くは、教育程度も知能程度も低く、普段から疑惑を持たれていることがわざわいして、警官も検事も十分な証拠のないまま「記憶の書換え」を迫り、獄中に囮の警官を録音装置つきで忍ばせ、犯罪を自白させることが今でも行われています。 また被疑者に有利な証拠があっても弁護側にはそれを知らせないなど、司直の公正さに不備があることも暴露されることがあります。 

アメリカでも、死刑を執行された黒人が、後日DNAの立証で、実は冤罪であったれ例に事欠かないようです。 特にテキサスでは、他州に比べて死刑が圧倒的に多いことが注目されています。 一方、ミシシッピーでは43年前にクークラックスクランによる黒人少年の惨殺が行われたことが明るみに出て犯人が逮捕されました。 これも40年前にはいったん逮捕されながらも、無罪釈放となったケースです。 昔の南部では、白人が黒人を殺しても白人の陪審員はそれを罪とみなさなかったわけです。 

数年前、ミシガン州知事が退任の置き土産として、死刑囚を全員無期懲役に減刑したことがありました。 死刑囚のケースを丹念に調べたところ、司直の手に公正を欠く判断が多かったことが判ったからだということでした。 ミシガンでも、警察や検察の先入観による「記憶の書き換え」が行われていたのかもしれません。  

カナダに住んでいても、LIFE IS UNFAIR と思うことがあります。 ロンドンのオールドベイリーの裁判所には公正を司る女神の像が天秤と剣をもち目隠しをして立っています。 カナダの司法界にも同じ女神の叡智と正義が行きわたることを願うものです。     (07/01/25)

Sunday, January 28, 2007

想像で膨らむ怒り (07/01/27)[s]

イノさんへ

「記憶の書換え」という言葉は初めて聞きました。 面白いですね。

ワシントンの上院公聴会の席で、クリントン、ブッシュの両大統領に仕えた安全保障問題担当の元次席補佐官が、ホワイトハウスの側近の言葉について、「クリエーティブ・メモリー」だと評していました。 恐らくそれら側近の発言が真実から遠いことをついた表現だったのでしょう。 それにしても、「独創的な記憶」とは味のある表現だと思いました。

ひと月ほど前、南アルバータのレスブリッジ市に最近移住された山田さんからコメントをいただきました。 そして私の小文に「?」をつけて、疑念を投げかけておられました。 また、「日系教会などに聞いてみては如何ですか」というアドバイスも下さいました。 強制収用された日系人の孫や曾孫の人達によると戦時中は随分苦労されたとということでした。

実は私も30年以上前にカナダに移住してきたのですが、日系人の教会にうかがい、長老の一世や二世の方々からお話をうかがいました。 たしかに農業の経験のない方々はアルバータで初めて砂糖大根を栽培し、苦労されたことでしょう。 しかしそうした俄か農民の中から、500エーカー1000エーカーの農場主となり、やがてミリオネアとしてリタイアされた成功者のお話をうかがいました。 

特にレスブリッジを中心に南アルバータで、日系人の伝道と福祉に尽くされた中山吾一牧師は、私もバンクーバーで親しくさせていただき、戦中戦後の日系社会についてお話をうかがいました。 お嬢さんのジョイ・コガワさんにもお会いしましたが、コガワさんの書いた日系人の物語が「おばさん」という小説となり、読者の紅涙をしぼらせる名作として高く評価されています。 しかしコガワさんも、戦時中は幼女だったわけで、追憶に創造性を加え、詩のような英語で読者を魅了したのでしょう。 

しかし、山田さんがお会いになられた孫や曾孫の人達は、当時まだ生まれていなかったわけで、その人達が親や祖父母の苦労に義憤を感じ、頭の中で悲劇を創りあげ、ふくらませていった情熱を、山田さんも感じとられたのではないかと想像します。

昭和天皇がロンドンを旅行された時、お手植えの若木が切り倒され、「我々は忘れない」と書いた紙片が残されていましたが、この蛮行を行った英国の若者も、戦争を体験しなかった世代です。 オランダで天皇の車を囲んで乱暴をした若い群衆も然りでしょう。 

私もイギリスやカナダで、日本軍の捕虜だった人達に会ったことがありますが、ひと言の恨みがましい言葉や表情は見せませんでした。 ただケンブリッジ地方には日本軍の捕虜になった人達が多いらしく、戦後暫くは日本人を泊めないホテルもあったとか聞きました。 日本軍の捕虜になったある作家は、BBCの放送で、戦場で対決した日本兵のことを「ジェントルマン」と呼んでいたのには驚きました。 

終戦直後の混乱の中で私が旅した折、収容所から解放された痩躯長身の捕虜達が満員の列車に乗ってきました。 そしてチョコレートやチュウインガムを車内の日本人乗客に分け与えていましたが、忘れられない光景です。

北アイルランドでスコットランド系プロテスタントとアイルランド系カトリック教徒の抗争が続いていますが、17世紀からの紛争が21世紀になっても尾をひいています。 これも祖先の受けた敗北と屈辱を子孫が頭の中で膨らませ、、血なまぐさい怨恨となって根付いているのでしょう。 

イノさんが指摘しておられた中国の若者による反日行動も、置き換えられた記憶のせいでしょうね。 東京大空襲や原爆にあった人達も今の心境は風化して平静なのかもしれませんが、将来孫曾孫の代になったら突如再燃するような可能性はないでしょうか。 私にとっても FORGIVE AND FORGET は至難の宿題なのです。 (07/01/27)

Saturday, January 27, 2007

力のこもった文章有難うございました (2007/01/27)[s]

力のこもった文章、ありがとうございました。 圧倒されました。

「あの戦争」を、タイムラインにそって実証していただき、私の知らないことも多く、いろいろ教えられました。

abemotoharu.blogspot.com には、前後の個人的な数語をトリムしてパブリッシュさせても
らいました。 メールマガジンならびにウェブサイト「カナダこのごろ」にも掲載させていただきます。 

旅の疲れが、時間がかなり経ってから出てくるのは、年齢の加減でしょうか。 私も、12月の入院の影響か、今度は長引いて、体調がいまひとつはっきりしません。 今日土曜日は、何ヶ月ぶりかの好天気。 海岸を少し歩いてきました。 大勢の人が出ていました。 まだ空気が冷たくて、頬のあたりがヒリヒリと軽い痛みを覚えました。 それでも半ズボン、半袖で走っている老若の男性が数人いて、私の横を走り抜けていきました。 (07/01/27)

戦争と日本人 (2007/01/26)[o]

サイパンから戻って1週間、何故か物凄く疲れています。
いろいろ考えてみましたが、どうも家内がよくなるにつれ注文が多くなったためのようです。
家内が具合が悪かった頃は良くなってもらうために家内の言うことは100%受け入れるようにしていたのですが、どうもそれが慣い性になったのか全部自分の思うままになるように思ったしまったみたいで、細かいことまで注文が出て、参っています。
病気がよくなるとこんな副産物が出てくるとは、思ってもいませんでした。

ところで、昨年の映画のベスト10が出始めましたが、予想どうり「硫黄島の手紙」と「父親たちの星条旗」がキネマ旬報では1,2位を占め、他でも「手紙」が1位になっていることが多いようです。
イーストウッド監督の日米両方からあの戦争を見るという発想と、その描き方の確かさがこの結果を生んだと見ます。
3月26日のアカデミー賞がどうなるか、見ものです。

今、日本では硫黄島ブームみたいで本も新刊だけでなく、以前から出たのを増刷したり、広告も数多く出ていますが、先日、秋草鶴次さんという方が書かれた「十七歳の硫黄島」という本を読みました。NHKの番組に出ていた方です。
17歳の海軍1等水兵で通信兵として硫黄島で戦い、最後は怪我と飢えで意識不明のまま米軍上陸後、3箇月もしてから捕虜になった方が書かれた本です。
その中で、たまたま手紙の件に触れていますが「夜手紙を書くのは、お偉いさんだけ、我々下っ端は疲れて寝るだけ」という記述がありました。
勿論、映画の前に書かれた本ですが、手紙を書けるだけでもよいほうだったのが判ります。

それにしても、あの戦争を客観的に見たり、反省したりすることを、日本という国は何故、しないできてしまったのでしょうか。
どうも、日本人は過去を振り返ってみたり、反省したり、客観的に見たりすることが、不得意な民族のように思えます。

天皇が「あの戦争ー」と言っているように、戦争の呼び方すら、決まっておらず、何時から何時までを指すのかも判りません。
私は、1931年9月18日の満州事変から、1945年9月2日の降伏文書調印までを「あの戦争ー」と思っています。
中には1928年6月の張作りん爆殺事件が始まりだと言う方もおられるようですが、それでもいいと思います。

関東軍が勝手に満州から領土拡大を図り、中国の侵略を企てたのがあの戦争の始まりと見ています。日露戦争で得た満州の権益に酔ってしまったとしか思えません。
確かに欧米ソがアジアの植民地化を進めていましたが、アジアの1国の日本がそれを止めるどころか自分まで領土拡大に走ったことは、返す返すも残念です。
張作りんの時に関東軍を放置した田中義一首相、満州事変のときも同様に若槻礼次郎首相が手がつけらなかった政界の弱さ。
1937年には日中戦争に拡大、そして1939年9月1日、ドイツがポーランドに攻め込み第2次世界大戦が始まると、もう完全に日本は戦争から抜け出せず、資源欲しさに北部仏印、そして南部仏印にまで侵攻してアメリカの怒りをかいます。石油と鉄が無ければ完全に
潰れる日本、そしてそのためにはなんでもする。アメリカは当然よんでいた筈です。

こうしてルーズベルトが戦争を誘発したとの見方もあるようですが、日本が満州のときに国連視察団からから「NO」の指摘を受けた時点で、日本の行き方は世界から否定されていたのです。中国侵略で蒋介石と戦い、その蒋介石が最初のハルノートの原案に絶対反対し、そのため、ハルノートがあの強いものに書き換えられたのですから、日本は正に自業自得だったわけです。東条はそれに乗せられたのです。

1941,12,8からの戦争は、国として「大東亜戦争」と呼び方を決めていますが、天皇はこの呼び方を使っていませんから、「あの戦争-」はここからのものでない事は確かです。因みにアメリカは太平洋戦争と呼んでいます。

戦争中大東亜共栄圏を唱え、また大東亜戦争後、アジアの諸国が独立できたことで戦争を正当化したりする人もいるようですが、これは戦後たまたま独立気運が高まった事で良い結果が出たからそう言えるのであって、戦争中に九段会館で開かれた大東亜会議に各国が反発し、首相級は出てこず、形だけの会議になったことは有名です。
各国は日本がアジアを制圧するために大東亜共栄圏を唱えたことは見抜いていたのです。

こうした長い戦争はほとんど東条内閣と陸軍の強行策で行なわれましたが、海軍も島田繁太郎を初め、大東亜戦争に協力した者も数多かったはずです。
それでなければあのインド、ニュ-ギニアあたりまで進出することは不可能だったと思います。
その結果が、1931年以降、1945年までの軍人230万人、民間80万人という死者です。

今ごろ、戦後60年以上経ってイーストウッド監督がその戦争の中で唯一、米軍の死傷者が日本のそれを上回った硫黄島を取り上げ、それを日米両方から描くという凄いことを考えたのに比べ、日本では戦争の名前も、戦争責任者も全てベールに隠したまま。
民族性の違いでしょうか、それとも監督の人間性の問題でしょうか。

先日読売新聞が「検証、戦争責任」の特集をし、それをまとめた本も出ましたが、その中ではあの戦争を「昭和戦争」と呼ぶことにしています。
ただ、私はその呼び名だと昭和天皇がその責任者みたいに聞えるので、のっていません。
国としてあの戦争をきちんと総括することが必要と私は思いますが、貴兄はいかがですか?

今日は映画のことを書くつもりが、戦争全体の話になってしまいました。
もし載せるのならかなり長いので、2回に分けても構いません。
折角の週末に余計な手間をかけて申し訳なし。 (07/01/26)

Monday, January 22, 2007

選挙は何時? (2007/01/22)[s]

「カナダの議会も冬休みが終わって1月29日からまたオタワの議事堂に下院議員達が集まってくるが」

「ハーパー保守党内閣も発足してからちょうど1年になる。 つい先日初めての内閣改造が行われたが、ひょっとしたらそれが最後の改造になるかもしれない。 野党の自由党もディオン党首のもとで陰の内閣の陣容が揃って、これで選挙の体勢も整ったようだ」

「しかしディオンさんが自由党の党首になるのに、その選出の過程で、党員の中核をなす下院議員の大半が最初ディオンを支持しなかったし、閣僚経験者の殆んどがライバルの候補者についていたからなあ。 その人達をまとめていくのは容易じゃなさそうだ」

「だから、陰の内閣以外に、いろいろな委員会を用意して、残りの有力者を委員長のポストを与え、それぞれ花を持たせるような恰好になっている」

「与党の保守党も、内閣改造は、環境相のポストが目玉だったが、カナダのみならず国際的にも批判されていたアンブローズ環境相がを更迭されたね。 彼女の後任に口そのものがメガホンのように大声のベアド前予算局長官が新たな環境相になった。 これで保守党の環境政策も大きく増幅される地ならしができたと思う」

「ハーパー首相が一年前に政権を組閣した時は、党派心は強いが能力の点ではどうかなという女性を環境相に据えたのは、ハーパー首相自身も環境問題を重視していなかったからだろう。 その上地球温暖化についても懐疑的だった。 特に保守党政権の母胎となったアルバータの進歩保守党州政府のクライン州首相などは、地球温暖化の警告は『インチキ科学』だと酷評していたが、カルガリーが地盤のハーパー首相も似たり寄ったりだったのだろう」

「しかし去年一年の間に、地球温暖化の暴威とその認識が地球を荒しまわっていたからねえ。 ワシントンのブッシュ政権もクラインさんと同じ歌を謳っていたのに、ここへ来て環境問題がテロ対策と同じぐらい重大な命取りの課題であることを認めて、政策の方向転換を打ち出してきている」

「つまり一年前は右寄りの保守路線だったハーパー政権だが、ここへ来てセンター寄りになったというわけか。 とすると自由党やNDP新民主党の唱える政策を一部借用ということだ」

「となると選挙の必然性も薄くなってくるね。 2007年に予想されていた選挙は2008年に持ち越されるかもしれない。 今保守党と自由党の議席の割合は?」

「保守党が125で自由党が100だ。 その他の党もいれて全部で308だがね」

「保守党と自由党の差が拡がってきたじゃないか」

「自由党から保守党に鞍替えしたパキスタン出身の議員や、早々と引退を表明したケベックの自由党前閣僚がいるからね。 でも保守党はまだまだ過半数に程遠いし、安定性を欠くマイノリティ政権であることには変わりない。 次の予算に野党3党がどう反応するか。 それと環境政策の転換で野党のアイディアに近付いてくると、野党も攻撃しにくくなるかもしれない」

「もし春に選挙が行われるとしても、保守党と自由党のどちらかがまた少数派政権になる可能性があるわけだし、何の為の選挙かということになる」

「保守党政府の新しい環境政策がどの程度誠実味があるものか、それを見極める必要がある」

(07/01/22)

Saturday, January 20, 2007

早速のお便り感謝 (2007/01/20)[s]

お疲れのところを早速のお便りかたじけなく感謝です。

今度の旅が奥様のためにもプラスになったとのこと、よかったですね。 海の水は透き通っていましたか。

サイパンの人が日本びいきだということは嬉しいことです。 戦争を知らない日本人が増えていく中で、昔ながらの大和魂は、かえってそんな人達の間で、純粋培養されているのかもしれません。 我々も心して、先人のことを忘れないようにしなければ。

とにかく、日本の忙しい社会から暫くでも離れて、祖国に距離をおいて見つめることができるのは、羨ましいことだし、必要なことでもありますね。

では、英気を養った上で、次のプロジェクトを楽しみにしています。 (07/01/20)

無事戻りました (2007/01/20)[o]

28℃のサイパンから5℃の成田に戻りました。サイパンでの荷物チェックは厳重で、400人のジャンボ機の乗客の荷物を全員分、機内預けも含め、1個1個全部、目の前で開けて調べる凄いもので、靴を脱ぐなど当たり前、そして、荷物を積み込んだら余計な荷物を積まれたら困るとでもいうように、45分も早く離陸しました。

成田から3時間のリゾート地は風が強いせいか温度の割りに暑くはなく快適でした。
指のひび割れもすぐ痛くなくなり、家内も泳いだり、好きな物を食べて、かなり健康状態は改善され、行った甲斐がありました。
お客の大半は日本人ですが、修学旅行できている高校生もあり、老若男女含めて来ていました。中国、韓国人も多いのですが、欧米人はほとんど来ていませんでした。
難点は物価の高いことで、グアム・サイパンとも食料から日用品まで殆どの物を輸入しているため、運賃代が嵩み、食事代も日本よりかかります。
そのせいか、観光客は減っているとのことですが、グアムの方が人気があるので、そちらに流れているのかもしれません。

サイパンでの観光は、例のバンザイクリフ・最後の司令部跡がメインで、現地のチャモロ人のガイドが案内してくれました。
大変な日本びいきでしかも日本通、天皇・皇后両陛下が2年位前にサイパンを訪問したときに、どんなお辞儀をされ、それがどんなに素晴らしいもので、周囲の人たちが感激したことをまるで、昨日両陛下が見えたように話し、チャモロの年配のグループが「故郷」の歌を1番から3番まで歌ったら、両陛下が凄く喜ばれたとも言っていました。

バンザイクリフは前回訪れたときよりも更に慰霊碑の数が増えていました。毎年、清掃を兼ねて訪れる学校もあるそうです。

ガイドに前回来たときに不謹慎な日本人がいて、思わず怒鳴った話をしたら、先年ある会社の社員旅行があり、そのときに部長がクリフの展望台で社員にバンザイをさせ、写真を撮ったことがあったそうです。
その時は、別のあるチャモロ人がバスに戻ろうとしたその部長を殴り倒したと言っていました。

ガイドは、部長なら年配だし、サイパンの歴史を知っているはずなのにひどいものだ、と日本人も変ったと盛んに言っていました。

小生は、このサイパンを飛びたったB29によって二度も家を焼かれていますから、尚更気になるのでしょうが、もう、飛行場には軍用機は全く無く全部、グアムに移されていました。
島内にもたまに戦車の残骸が置かれているくらいで、戦争を感じさせるものは、前記の2ヶ所くらいでしょう。もう、そこはリゾート地なのです。

家内もサイパン着陸時から、手を合わせていましたが、バンザイクリフや司令部跡で頭を下げて、少し気が楽になったといっていました。
避寒の旅としては予定どうりでTシャツで短パンの約1週間が夢のようでした。
落ち着いたら、ブログに載せられるような話を書きます。 (07/01/20)

Saturday, January 13, 2007

カードを有難う (2007/01/12)[o]

洒落たカードを有難うございました。
日本では見たことも聞いたこともありません。

出かける前に、拝見出来感激。こんな見送りを受けて出かけるのは初めてです。

奥様にもお礼を申し上げますので、よろしくお伝えください。 (07/01/12)

Friday, January 12, 2007

明日から留守します (2007/01/12)[o]

忘れ薬のこと、有難うございました。
機会があったら試して見ます。小生も意味も無く最近はイライラし、怒りっぽくなるのが自覚症状であるので、家内の手前怒ったところを見せたくないので困っています。

自分で自分の時間もままならず、その所為と知ってはいてもつい不機嫌になります。

ルパンの会から原稿も頼まれているのですが1行も書いていません。
タネは頭の中にありますが、書けないのです。
情けない状況です。

教師の件、語弊があるのを承知で書いたのですが、貴兄のお子さんも教師とうかがうと、悪いことを書いてしまったと後悔しています。

でも、採用で本当に苦労したので自分の身内の叔父のことを含めつい書いてしまいました。

その不動屋さんも同じに苦労しているところを見ると、似たケースは多いと思います。
しかし、100%ではありませんから、取りこし苦労はしなくてもよいのでは。

小生の身内にも公務員はいますが、それぞれが自分の責任で生活しているのですから、余計なことは言っていません。

頭のパニックが余計なことを書かせたと御寛容ください。

サイパンは避寒目的ですが、最近、日本では沖縄がこの意味を含め、大人気です。
人口が一番増え、人口の比率からみて高齢者・長寿者が一番多いのも沖縄です。

在日沖縄の米軍司令官が「沖縄から他の場所に移転しにくいのは、日本人同様、ここが気に入っているからだ」と言っているのを聞いて
思わず苦笑いしました。
今も気温は最高で20度以上あり、最低で10度を切ることは無く、移住、二重生活で冬は沖縄という人は少なくありません。
小生も、以前書いたように石垣あたりに移りたかったのですが、もう、その夢は捨てました。

両手のあかぎれを見ているとその夢を思い出すこともありますが、サイパンへ行けばあかぎれは、治るでしょう。

F組の者へのPRは思っていられるより、少数ですから余り期待しないで。
この千葉の住所は名簿も訂正せず、転居通知も出していないので、ほとんどみんなは知りません。
ここで、ひっそり看病生活をしておとなしくしていた方が楽なので、こうしています。

日々老いを感じつつ、また一歩前に歩かねばならないのが人生なのでしょう。
では、又。 (07/01/12)

忘れ薬ほか (2007/01/12)[s]

私が勝手に忘れ薬と呼んでいるのはプロプラノロールPROPRANOLOL(ラにアクセントがあります)という高血圧の薬です。 これをのむと、暴行とか事故、戦場の悪夢などが消えるというのです。 B29の爆音を消すのにも役立つかもしれません。 ペンタゴンでもその効果に注目し、イラクやアフガニスタンから帰還した兵士に実験しているそうです。

私は60を越してから、不愉快なこと、腹が立つことが多くなり、複数の臨床心理学者や精神科医にもカウンセリングしてもらったのですが、時間の無駄でした。 怒りっぽくなったのは前頭葉が萎縮したせいではないかと、CTスキャンもしてもらいましたが、これもシロ。 しかし最近テレビのドキュメンタリーでプロプラノロールのことを聞いたので、ファミリードクターに処方箋をもらい、服用しています。 これで亡霊が消えたわけではなく、今も日中瞬間的に亡霊が浮かんできて表情に出ますが、怒声、罵声は確かに少なくなりました。

人工的なアルツハイマーを起こしているようなものですが、大事な記憶や楽しい思い出まで消えてしまうのではないかという恐れはあります。 注意力散漫となり、人の名前、物の名前がなかなか出てこなくなりました。 まあそれでも、75過ぎれば、つまらぬ不愉快な思いから解放される方が、懐かしい思い出にふけるよりはプラスマイナスいいのではないかなと考えるのです。

F組の人達にメールマガジンやホームページを紹介していただいて恐縮です。 しかし開いてみてガッカリされるのではないかな?  最近来た投書の中には、「右翼のマガジンかと見まがうほど」という言葉もあり、「原理主義者にハイジャックされたみたい」という声もありました。 

教師が問題というのは我が家にとっても問題です。 というのは2人の娘が教師。 1人は高校の教師ですが、もう1人は夫も同じ大学の教師ですから、孫の行く末が思いやられます。 それに長男も牧師という仕事柄、教師みたいなもの。 それに加えて次男までCBCを辞めてPhDをとって教えようかなどと口走っているので危機状態です。 たしかにまわりの教師連をみていると、楽な商売だと思うのでしょう。 私は教師になり損ねて、憂き世の苦労でまわり道をしましたが、子供達が夢をかなえてくれたのかと思ったのでした。 しかしどうも甘かったようです。 (07/01/12)

Thursday, January 11, 2007

教師と警官 (2007/01/11)[o]

貴兄のメールを見てびっくりしました。
正に、教師と警官の子供は採用できなかったのです。

理由として考えられるのは、共に公務員として給料が高く経済的に困らない家庭、社会での地位が高いと親も子も思っているのか態度が大きく不遜、周りからちやほやされて物を貰うのは当たり前、感謝の気持ちが薄い、などなどです。

私の叔父にも大学の教授にまでなったのがいますが、お中元、お歳暮でものを貰うのは当たり前なのか、物をもって出かけてもお礼などほとんど言われたこと無し。自分が教授で一番偉いと思っていたのでしょう。
小生、何度馬鹿にされた発言を聞いたか判りません。
東大でしたから、慶応など目じゃなかったのでしょう。
親父の弟ですが、一昨年、死んだときはほっとしました。
学習院の関係で葬式で皇室から花が贈られていて、益々家族まで鼻高々になり、本当にゾットしました。

国は異なっても、職業で、親も子供まで人が変ってしまうことに、本当にびっくりしました。
大体、公務員の子供はほとんど採用できませんでした。

サイパンは来週です。
小生は2回目ですが、前回、バンザイクリフで嫌な想いをしたので、もう一度頭を下げてきます。
前回はおばちゃんがクリフの前で、Vサインで写真を撮っていてさすがに小生も怒鳴ってしまったのです。
家内は小生がぺリリュー島を初め、日本の過去の戦地を回っているのをみて、サイパンに行く気になったようです。
B29の爆音は恐らく今聞いても直ぐに判ると思います。
戦後も、何回も夜中にあの爆音で眼が覚めました。

このところ、家内の体重減少作戦につき合わされ碌な物を食べていないので、少しロブスターやビフテキなど美味いものを食べてきます。
1ドル100円以下のときに買ったドルがかなりあるので、手持ちでまかなえそう。カナダドルも100円を超しましたね。小生が行ったときは90円くらいでしたがー。今やUSドル120円弱、カナダ105円前後が普通でしょう。

貴兄の嫌な記憶を消す薬は何というのですか?
小生も最近不眠症になるくらい悩まされているので、飲んでみたいです。
いつもイライラ、怒りっぽく自分で制御するのがヤットです。

良い事は年をとるともうないのでしょうか。さびしい限り。
F組の者に少し貴兄の宣伝をしましたが、誰か読者になりましたか? (07/01/11)

Wednesday, January 10, 2007

学校の先生とガーリック (2007/01/10)[s]

もうサイパンに発たれたかな? タイミングを案じながらのひと言です。

学校の先生はあまりかんばしくないというコメント。 面白く拝見しました。

実は、カナダに来て間もなく、サスカチュワンに引っ越す可能性が出てきた時、不動産のエージェントに相談しました。 すると、「オランダ人がいいですよ。 家をピカピカにして住んでくれる。 それから、学校の先生とポリスマン・・・」と言いますから、(ハハン、学校の先生とポリスマンならいいというわけか。 日本の村でも、村の駐在さんと産婆さん、それに先生は尊敬されているからなあ」と独り合点したら、「いや、教師と警官は絶対あきまへん。 なまじっか法律を齧っているから始末が悪い」と続けるのです。 意外も意外でした。

そういえば、BBCからNHKに出向していたイギリス人の同僚が、留守中、教師夫妻に家を貸しました。 すると、帰ってきたら、家はメチャメチャに荒れ放題だったそうです。 ご参考までに。

ガーリックを食べていますか。 私の所でも、ガーリックは高血圧によいと、家内がにんにくをつぶして、蜂蜜とアーモンドバターをまぜて練って、毎日食べさせてくれます。 私は鼻が悪いせいか、ちっともにんにの匂いなるものに気付きません。 喜んでなめています。

どうかお元気で。 ボン・ボワヤージュ !

Tuesday, January 09, 2007

ビデオみました (2007/01/09)[s]

「戦場の郵便配達」、鑑賞しました。 鑑賞というにはあまりにも深刻な筋立て。 ドキュドラマとしてはよく作ってあると思いました。 戦争を知らない平成の人達が取り上げたことを評価します。 ドキュメンタリーのところは、さすがに真実のみが発揮できる表情がとらえられていて、感涙を覚えました。

いい作品をみせていただきました。 有難くお礼申し上げます。

一握りの政治家や武官達の思惑で、多数の父親や夫、それに少年達が、無残な死を遂げさせられたわけですが、これもハイエラルキーの暴圧に抗議できない人間の宿命なのだと思うと、暗澹たる思いがします。 今でもイラクやアフガニスタンで消されていく人達の無念さや別れの機会も与えられなかった遺族の人達の苦しい思いは、此の世では癒されることはないのでしょう。 旧約聖書をみても、人類がハイエラルキーの呪詛に反抗することもできず、その呪縛の中で最期を甘受しなければならぬことに、不可解の一語しか出てきません。 不合理と無法がまかり通ってきた歴史に救いを見出しがたいのですが、そういうことを言うだけ空しいのでしょう。

75年の生涯をそれなりに大した悲劇的経験もないまま送ってこられたことは、人類の一員として幸運な方だったと思います。 それでも屈辱と憤怒と悔恨で過去の記憶のページは占められています。 最近過去の不愉快なことを忘れる薬を処方してもらって服用しています。 不快な思い出だけ遠ざけるのならいいのですが、いい思い出、大事な記憶までも消えてしまうのはやむを得ません。 もともとは高血圧の薬なのですが、事故の亡霊や戦場の悪夢に悩まされる人達に実験してみて効果的だというので、私も試しています。 副作用で支障も出るでしょうが、硫黄島の生き残りの兵隊さんで夢魔に悩まされる人には興味があるかもしれません。

どうかお大事に。 サイパンの旅行、奥様にいい結果が出ますように。 (07/01/09)

ビデオゆっくり見て下さい (2007/01/09)[o]

ビデオは2週間かかりましたね。年末年始はやはり混むのでしょう。

ドラマの中身は余り出来は良くありませんが、かなり事実に近いと思うので是非ご覧下さい。
「戦場の郵便配達」は実際に米軍上陸の9日前まで行なわれていたそうです。

硫黄島をただ1機で爆撃した一式陸攻の藤田機長は、このドラマを放映した先月に、86歳で亡くなりました。
60キロ爆弾を12個落としただけなのに、栗林中将から感謝の電報をもらい、是非もう一度と張り切っていたそうですが、2回目に硫黄島を爆撃できたのは、玉砕直前の3月25日だったと記録にあります。
米軍に攻められる前は、約200機もいた日本の航空隊はほぼ全滅し、最後はこんな形でしか守備隊を援護できなかったのです。
最初から、守備隊を見殺しにするつもりだったのは明白です。
ガダルカナルやキスカのようにうまく撤退することが不可能な状況の中で、本当にひどい戦いをさせたものです。

ところで、旅行の件ですが、サイパン・ハワイはフライトのマイルが溜まり、期限が来て全部使わねばならなくなったので、家内の希望地へ出かけることにしただけなのです。タダの航空券です。

従って、ホテルだけ別予約で安く済みます。貴兄の言われる経済力はありません。そんな事をいわれるとどこにも行けません。
国内より安く、しかもフライトが、ただ、だから出かけるのです。
戦争中、B29は恐らく6~7時間かけて本土に来ていましたが、今は3時間半です。

それよりも原油の高騰に伴う燃料チャージ代と称するものが、サイパンで一人9,600円、ハワイが11,000円も取られ、この方が痛いです。

家内が旅行に行きたいといってもらえるだけで、小生にとっては有難いことです。

サイパンでは次の本の取材もしますが、果たして本が書けるかが問題。

また、時間を作ってメールします。 (07/01/09)

Monday, January 08, 2007

ビデオ届きました (2007/01/08)[s]

今日ビデオ拝受しました。 暮れの最もお忙しい時にご面倒をおかけしてすみません。 今封筒を開けたところで、鑑賞はこれからです。 有難うございました。 サイパンにお出かけですか。 すごい気力、体力、経済力ですね。 脱帽です。

とりあえずご報告まで。 (07/01/09)

ビデオ送付 (2006/12/27)[o]

ビデオを送ります。 頭チラツキあり。 CMカットのため見苦しいところあり。 勘弁を。
家内が回復しつつあり、様子をみるのと、避寒と、取材を兼ね、1月にサイパンへ5日ほど行きます。
来年はお互いに良い年にしましょう。  (06/12/27)

道徳の教えは易しい表現で (2007/01/08)[s]

イノさんへ、

世界各地で異常気象による暴風雨や雪が暴れまわっているようですが、カナダも例外ではありません。 バンクーバーもやられています。 こちらの冬は雨のシーズンですが、今年はやはり記録破りの強風が吹き荒れ、数千本の巨木が根こそぎ倒れ、スタンレーパークの再開もいつになるか危ぶまれています。 それだけでなく、秋には貯水池が汚濁する危機に見舞われ、その上に何万戸という家が長期の停電で打撃を受けました。

イノさんのエッセーによると、人の心にも異常気象が発生しているようですね。 それも世界各地で似たような惨事が起こっているようにみえます。 私は新聞を読まないのでニュースには疎いのですが、バンクーバーでも住宅街で日中アタックされるケースが起きています。 

こうした問題が教育勅語で解決されればいいのですが、どうもスケプティカルです。 確かに万古不易の真理が綴られた名文だと思います。 私も小学校の時暗誦させられました。 しかしながら私はちっとも聖人君子の境地には近づけませんでした。 ALOHAさんの学んだ慶應の幼稚舎と私の小学校では大違いだったのでしょう。 意味もよく判らず、御題目を唱えるだけのカラ念仏。 それよりは、教壇に立つ先生の真摯な人格の方が強く印象に残っています。 

教育勅語復活論を先日「カナダこのごろ」に掲載したところ、直後に6人の読者が解約しました。 多分偶然でしょうが、教育勅語に反撥したのかなと一瞬勘繰りました。 団塊以降の世代には教育勅語や修身という言葉がアレルギーを起こすのでしょうか。

戦時中我々の学校に陸軍の部隊が駐屯していましたが、軍人勅諭だか戦陣訓だかをスラスラ暗誦できない兵隊さんが上官にビンタをくらっていました。 この前も言いましたが、「生きて虜囚の辱めを受くる勿れ」と言った東條首相が自ら虜囚になったのですから、兵隊さんも殴られ損でしたね。 

日本軍の支那派遣軍司令官が、「物を盗るな、火をつけるな、強姦するな」とだけ諭したそうですが、軍人勅諭や戦陣訓より遥かに直裁簡明。 上意下達はこうあるべきでしょう。

札幌農学校で学則を作ろうとしてクラーク博士にお伺いを立てたところ、「BE GENTLEMEN だけで十分」と言われたそうではありませんか。 これもけだし名言です。 

戦前慶應の教室には「道にあっては老幼婦女に譲れ」という意味のことが書いてあったと聞きました。 小泉信三塾長の教えだったそうですが、「大学生にそんな子供めいたことを」と批判の声もあったことでしょう。 しかし敢えてそういう具体的な教えを打ち出したところに小泉博士の教育者としての真面目があったのでしょう。

山本五十六の「やってみせ言ってきかせてその上で褒めてやらねば人はせぬぞよ」という歌は有名ですね。 千利休の茶の湯の心得を説いた歌もまるで現代文のように判りやすい。  

道徳教育も、先ずケーススタディで具体的な事例を取り上げ、平明に説いてくれれば、凡庸な私でも少しは身と心に残ったかもしれません。 福音書に記されたイエス・キリストの教えもほとんどが寓話の形で説かれています。 人類に普遍的な道徳の原理も二十一世紀にふさわしい新しい装いがあるのではないかと思うのです。

(07/01/08)

Sunday, January 07, 2007

七草も過ぎ(2007/01/07)[o]

昨日は七草かゆを食べ、健康を祈りましたが、おかげさまで昨年の暮れあたりから体調が良くなり風邪も引かなくなりました。

昨年は11月までに体調の良くなかった日が1/3もあり、本当に苦労しましたが、高校時代の友人が元気が出るようにと連れて行ってくれた焼肉屋でにんにくを大量に食べたのが良かったらしく、それ以来、にんにく療法で頑張っています。

実は家内はにんにくがダメで餃子もほとんど口にしないので、小生も遠慮して食べなかったのですが、これだけ身体に良いと「くさい」なんていう苦情も何のその、毎日、食べ続けています。

暮れの大掃除で椅子から滑り落ち、「脛に傷持つ身」になってしまいましたが、幸いに骨は何ともなく、家事やらなんやらで忙しい毎日です。

もう少しものを考え、書ける時間が欲しいのですが、今は精神的にもせわしく、文章をまとめることも出来ません。

あの本を書いていた頃は文章が次次に頭に浮かび、書くのにほとんど苦労しなかったのに雲泥の差です。

お名前はやはり島津公の名前からですかー。小生のごとく父方母方の祖父から一字ずつもらったなんていうのとは大違いですね。

ALOHAさんの「教育勅語」の話、それだけ捉えれば中身は全て正しく、素晴らしい内容です。
ただ、一番の問題はあれを「勅語」として出したことです。

同じ内容でもお上から押し付けて、小学校1年から丸暗記させて果たして
効果が上がるものですか?
覚えていないと殴られて、それが教育につながった筈はありません。

家庭内教育は戦前と今では大きく異なり、今は家庭内教育は一部の方を
除いて崩壊しましたが、学校教育も同様。
問題はこうした現象に危機感を感じる人が、一人でも二人でも増えることです。それが、解決に結びつく一番の早道です。
それなくして改善されることは無いでしょう。

小生が人事で採用を担当していたときに、親が教師というとほとんどその子供は採用できないレベルでした。面接でそれが出ました。
人事課長も「両親とも教師は、最悪」と、常常言っていました。

こうした事実を書けば語弊があることを知りつつ、敢えて実態を書きました。
教師自体にそしてその家庭にも崩壊が始まっていたからこそ、現実があると、私は思います。

乗り物の中で平気で化粧する女性、レストランの中で子供が走り回っても全く注意などなし、図書館で平気で必要な部分を切り取る、子供の学校の給食費の不払いなどなど道徳・モラルの低下は続く一方、親が子を、子が親を殺す時代ですから、こんなことは些細で大したことではないと思われますか?

私は声をあげることも必要だし、それと共に実行することがもっと大切だと思いますが、それは家庭内からしか始められず、他では出来ません。
学校にだけそれを期待することは責任回避につながると思います。
教育基本法を改正しても、それを実行できるかどうかは、我々が育てた子供が大きくなって教員免許をもらったから直ぐできるとは限らない、ことを
我々自身が一番良く知っているはずです。

かなり、エキセントリックな発言かもしれませんが、これがALOHAさんの
メールを読んだ感想です。

今の日本が崩壊に向けて走りつつあることを感じつつ、どうすべきか考え、実行する以外に改善の道無しです。

2007年が少しでもよくなるようにお互いしたいですね。 (07/02/07)

Saturday, January 06, 2007

もう年が明けて1週間経ちました (2007/01/06)[s]

カナダにいるとちっともお正月らしい気分になりません。 クリスマスで皆さんエグゾーストしてお金も気力もなくなるのでしょう。 井上さんは三日からオフィスに出ているそうですが、社員の皆さんは成人式まで連休の模様。 井上さんの場合は、相手が海外ですから、正月休みが通用しないのでしょう。

私は満で75ですから、数えでは77になるのかな? 「四捨五入して80だ」と威張ってみても、長寿時代の今日誰も感心してくれません。 返ってくるのは、「どうみても80にはみえない。 精々79といったところだ」という雑音だけです。

私の名前は、父と伯父が考えたもののようですが、島津斉彬の名前が念頭にあったのでしょう。 斉彬公は、誰かが慶應タイプだと言っていました。 

先日「子育て」について小文を書いたら、ALOHAさんから反論がきました。 貴兄もご覧になったかもしれません。 幼稚舎では教育勅語や修身を強調していたのですかねえ。 ALOHAさんの教育勅語論を載せたら、その直後、6人の読者が解約しました。 偶然でしょうが、6人もいっぺんにというのは久し振りです。 前に教育勅語の口語訳を紹介したら、「読むのをやめます」と面と向かって言われたことがありました。 アメリカの有名大学で教えている日系女性でした。 団塊以降の世代には抵抗があるのかもしれませんね。

私も小学校の時暗誦させられましたが、いくら素読しても意味が頭に入らず、空念仏でした。 学校に駐留していた陸軍の兵隊が、軍人勅諭か戦陣訓だったか知りませんが、暗誦できないのでビンタをくらっていましたが、気の毒でした。 支那派遣軍司令官が、「物を盗るな、火をつけるな、強姦するな」と諭したそうですが、具体的、かつ簡明で、これなら兵隊さんでも判ったでしょう。 クラーク博士が札幌農学校にいた時、教務が規則の明細をもってきたところ、「BE GENTLEMAN だけで十分だ」と言ったそうですが、名言ですね。 

小泉信三は戦前大学生に「道にあっては老幼婦女にもとれ」と教え、教室にも貼ってあったそうではありませんか。 戦時中「そんな子供みたいなことを」と批判する向きもあったそうですが、それを敢えて教えた小泉塾長はさすがと思います。 山本五十六の「やってみせ言ってきかせてその上で褒めてやらねば人はせぬぞよ」という教えも有名ですが、平成のビジネスリーダーはどうなんでしょうか。 (07/01/06)

Tuesday, January 02, 2007

謹賀新年 (2007/01/02)[o]

頌春 良い年にしたいですね。
実は、元旦にきたメールにウイ-ルスに汚染されたものがあったらしく、それを除去した旨の通知があり、少し慌てました。

みんなに迷惑をかけられないので、一応確認したからこのメールを出しています。

日本の正月も大分様変わりしました。
おせちは買うものになり、作る人は少なくなりました。凧上げ、羽根突きはほとんど見かけません。
お餅を食べるだけで、何も感激はありません

去年は貴兄にブログまで作っていただいたのにろくな原稿も書けず申し訳ありませんでした

今年は少しはましな原稿を書くべく努力します。

戦争の話については、井上氏に関連をもたれないように少し経ってから別の角度で書き直します。

それにしても日本人は過去を反省したり、考えることが嫌いなのでしょうか。
戦争で散々ひどい目に会ったのに、それも隠す神経が判りません。

今年から仕事も無くなり、収入も減ったのですが、旅だけはしたいです。
また、旅日記が書ければいいと思っています。

貴兄の眼が少しでも良くなるよう、そして1年間健康でいられるよう、祈ります。

貴兄の彬という名前は島津斉彬の1字を取られたのですか?

いつも気になりながらなかなかうかがえませんでした。

では、落ち着いたらメールします。 (07/01/02)

Monday, January 01, 2007

保守政権の一年 (2007/01/01)[s]

「ハーパー保守党政権の一年」

「今から一年程前に選挙があったわけだが、選挙の半ばまでは、ポール・マーティンの自由党が優勢だった。 ところがその選挙の最中に、RCMP(連邦警察)が、突然自由党のインカム・トラストの情報漏洩をめぐって捜査の手をいれると発表した。 時あたかもクリスマス。 議員や候補者は全員選挙区に帰って選挙運動中。 それに自由党は、ケベックのスポンサーシップ・スキャンダルで国民から疑惑の目でみられている。 RCMPの動きには、タイミングといい、動機といい、不審な点があったが、政府は黙認せざるを得なかった。 その結果自由党の支持率は6ポイント急落し、保守党が勝利を拾ってハーパー政権が誕生した。 そのハーパーが真っ先におこなったことは、RCMPを訪れて、長官と仲むつまじいところを見せたが、こういう行為は今までの首相にはなかったことだ。 それに記者団の質問に対しては黙殺で通した。 その後一年が経過したのだが、RCMPは、未だにその選挙干渉とみられる捜査の動機とタイミングについては沈黙したままだ」

「RCMPといえば、ロイヤル・カナダ騎馬警官隊。 つば広のソフトの帽子に赤い制服に身をかためた隊員は現在24,000人。 伝統的に国民の信頼と尊敬を得ているカナダのシンボル的存在だ。 しかし数年前シリア生まれのカナダ人について間違った情報を米政府当局に通報した。 その結果ニューヨーク空港で米官憲に逮捕され、シリアに連れていかれた。 そして拷問に苦しむことになるのだが、シリアもカナダのRCMPも結局は被疑者の無実を認めた。 しかし米政府はブラックリストから外すことを拒否し未だにテロリスト扱いだ」

「RCMPもこの事件について一応その非を認めたのだが、誰も責任を取ろうとはしない。 長官も初めは辞任しないと頑張っていたが、その発言の矛盾を議会でつかれて、ハーパー首相もかばいきれなくなり、辞表を受理した。 だがRCMPの誰が米国政府に間違った情報を告げたのか、依然として黒い幕はおりたままだ。 辞任した長官の後任には、暫定的に女性の副長官がそのポストを預かっているが、いずれ正式な長官が任命されれば、神聖にして冒すべからざる存在だったRCMPも改組変革を余儀なくされることになるだろう」

「ところでハーパー政権の一年はどう評価する?」

「少数与党に基づく保守党政府だが、ハーパー首相はあたかも多数派であるかの如く政権運営を行っている。 これは、自由党の党首不在が長かったことと、NDP新民主党やBQブロックケベコアの党勢が今ひとつ伸びず、保守政権倒閣に及び腰だからだろう。 となると、次の選挙は来年春と言う声が高かったのだが、春にはケベックの州選挙も予想されている。 ケベックは連邦政権の浮沈をかける重大な州だ。 それに自由党の幹部も党首選出で金をつかったし、NDPもBQも今直ぐの選挙では自信がない。 となると、選挙は夏か秋。 ひょっとしたら2008年にもつれこむかもしれない」

「ハーパー首相も前半は新人総理としては思い切った独裁的な手綱捌きでなかなかのパフォーマンスだったが、ワシントンとの関係も改善されたし、国内の支持も、メディアを敵にまわした割には、一応安定している。 しかし選挙前の公正廉直な倫理公約とは裏腹に、選挙参謀を下院議員でもないのに問題をはらむ公共事業相に任命したり、自由党の看板で当選した人物を選挙民の意思を無視して保守政権に迎えたり、言行が一致しない点がある。 それに環境問題をことさら軽視し地球温暖化に対してもまともに取組もうとしなかったが、今になってみると環境問題が選挙の重要課題になりそうだというので急遽政策の転換をはかろうとしている。 アフガニスタンの出兵を決めたのは自由党政権だが、その期間を延長したのは保守党政権だ。 最近まではアフガニスタン出兵を支持しないのは非国民扱いにされたが、その将兵の犠牲が大きく朝鮮動乱の消耗に匹敵するようになるにつれ国民の愛国心の発露も微妙な変化が生じつつある」

「もし選挙が2007年に行われるとすれば、争点は環境とアフガニスタンか。 今保守党と自由党の支持率は伯仲している。 どちらが勝ってもまた少数派の政権ということになりそうだ。 ここは、ケベックの州選挙も含めて、剋目して待つ以外にないようだ」 

‘(07/01/01)

あけましておめでとうございます(2007/01/01)[s]

年末のご挨拶を頂戴して、ありがとうございました。 こちらからは、そんな折り目正しいことを何一つすることなく、面目ないことです。 ご寛恕願います。

ところで、貴信は、私論につき、掲載不可とのことですが、内容的には、すぐれたご意見で、これを埋めてしまうのはまのは勿体ないことだと思います。  井上さんの表現に当たり障りがあるとしても、もう一度、そこのところを配慮して、同じ趣旨の文章を書き直していただけませんか。 私も貴兄の受け取り方、考え方に賛成ですので。

今こちらでも、午前零時をまわりました。 花火を打ち上げる音や、鍋を叩くにぎやかな音が、暗闇の中で聞こえています。 テレビでは蛍の光がいろいろな編曲で流していました。 私達老人組は、早々と引っ込んで、アパートの窓も閉め切って、おとなしくしています。

こちらでは大晦日は賑やかですが、元旦はひっそりです。 翌日から働きに出なければならないので、醒めた気分の1月1日です。 今は曇り空がつづいているので、初日の出がみられるでしょうかね。

ニューイヤーズ・レゾリューションという言葉はこちらでもよく耳にしますが、何をやっても三日坊主の私には、縁のないコンセプトです。 目出度さも中ぐらいなりおらが春という句に親しみを感じます。
(07/01/01)